第142話 たくさん遊べば 1

文字数 2,211文字

師走入って二日目、真久部さんは朝からお出掛け。
だから俺は頼まれて留守番。

グレートデンの伝さんはじめ、三匹の犬の散歩と、まだ多くない銀杏の落ち葉かきを軽く終え、汚れた服を着替えたら、いざ古美術雑貨取扱店慈恩堂へ。

と、思ったのに、笹井さんから緊急ヘルプ。「足が痛すぎて動けない、助けて」って、どうした! 

近くだし慌てて駆けつけてみれば、こむら返り。──笹井さん、こむら返り初体験だったんだって。冷えるとなりやすくなりますよ、と教えてあげたら、「足をエイリアンに乗っ取られたかと……」と攣った筋肉の名残りの痛みに怯えてた。

寒さには強いから、毎年冬は暖房なしで過ごしてる、なんて言うので、顧客のご老人方から教わった人生訓を披露。『いつまでも若いと思うな。年相応に身体を労われ』。

今回のは身体が寒さに悲鳴を上げたようなものだから、またなりたくなければせめて足元を暖かくしたほうがいいですよ、と言うと、震え上がって「電気店行ってコタツ買って来ます!」ってすぐ出掛ける用意を始めた。こむら返り、痛いもんな……。笹井さん、実はこのところちょっと風邪気味でもあり、ご老人の人生訓にドキリとしたそうだ。

別に何をしたわけでもないんで、そのまま挨拶して慈恩堂に向かおうとしたら、笹井さんは何でも屋基本料金を払うと言う。律儀な人だ。今回はサービスにしておきますよ、と笑っておくと、「何でも屋さんは欲がないなぁ」と頭を掻きながら、せめて、と秘蔵の酒をくれた。「些細な情報だって、充分報酬に値するんですよ」なんて諭されたら、もらわないわけにはいかない。

礼を言って、今度こそ慈恩堂に向かう。預かった鍵でシャッターを開け、開店作業を終えたら即営業開始だ。時間に余裕を見ておいてよかった。

真久部さんは早朝の電車で出掛けたので、今日は本当に朝から夕方まで独りきりで留守番&店番だ。閉店時間までには帰ってくるって言ってたけど、早く帰って来てくれるといいな……。


 ボーン……ボーン……ボーン……
 ……ボーン……ボーン……ボーン……
 ボンボンボン、ボボボンボン……


携帯を見ると、正時。だから古時計たちが時を告げるのは変じゃない。変じゃないけど……俺は帳場の掘りごたつのスイッチを入れながら、ついそっちを見てしまった。

「……」

つい最近、古時計のひとつが売れて、新しい古時計を仕入れたらしい。それは聞いてたんだけど、この新しい古時計、どちらかといえばクラシック系の仲間たちの中にあって、ひとつだけラテン系のリズムを刻んでいる……ような……。

ハッ! いかんいかん。注意を引かれたような気がしたら、とりあえず無視。考えるのは後から、ってそもそも考えちゃいけない。何も知らない知られちゃいけない。知ってるなんて知られちゃいけない。新しい古時計の故郷がどこかなんて、たしか南米あたりのコーヒー農園主の屋敷で、七十年ほど時を刻んでいたとか……。

えっと。お茶でも淹れようかな。電気ポットのお湯は煎茶に適温。さすが真久部さん。気持ちよく店番できるように、朝からきっちり用意してくれてる。

木目のきれいな茶櫃には、茶筒に入った高級煎茶と茶道具、菓子盆には甘いのしょっぱいの取り混ぜてお菓子を満載。至れり尽くせりだ。

煎茶を蒸らしながら、どれを食べようかなーと考えているあいだに、古時計のほうからこちらを伺うような微妙な気配ともいえない気配が消えた。ホッとしながら湯呑み茶碗に茶を注ぎ、早朝からの仕事で疲れた身体を労わるべく、好物の○セイのバターサンドを頬張る。

 
 ん? きみも食べる?
 お茶は苦い? じゃあこのミルクココアをいれようか。


……
……

あれ、俺、今何してたんだろう。帳場机の上に、小皿に盛ったバターサンド、甘い匂いのするココアの入った小さなマグカップ。

「……」

そういえば、茶櫃の中に入ってたな、ミルクココアとくまさんのマグカップ。珍しいな、と思いながらスルーしてた。

真久部さんは不思議な人で、いつもその時必要なものをあらかじめ用意していてくれる。どうしてそんなことができるのかって、前に聞いてみたことあるんだけど、本人にもわからないんだって。ただ、なんとなくそんな気がするから用意しておくと、後から「あ、そうだったのか」と理由がわかるんだって言ってた。

今の不思議もそうなんだろう。……この店と真久部さんに慣れる前なら理由がわからなくてガクブルになってたところだけど、俺だって慈恩堂の店番を努めるようになって強くなった。わからないならわからないままでいいって……。


 くすくすくす……


楽しそうな子供の笑い声が聞こえた、ような気がする……。いや、気がするだけだ。『見ない見えない聞こえない。すべては気のせい気の迷い』慈恩堂でのお仕事心得を心の中で唱えて、と。

「そうだ、ラジオでも聴こうかな!」

声に出して気合を入れ、真久部さん愛用のわりにあんまり聴いてるところに出会ったことないラジオのスイッチを入れる。──賑やか過ぎるDJの喋りがちょい耳障りで、どこか音楽メインの局はないか、と選局目盛りをいじっていたら、古時計たちのほうからボレロの小太鼓とサンバのリズムが入り混じったような秒針の音が──。

と。店の電話が鳴って、全然イケてないセッションが強制終了した。
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