第188話 寄木細工のオルゴール 26
文字数 3,151文字
まだ狐に憑かれたとかのほうがマシですよ、とそんなふうに言う。
「祓えますからね。でも、その人間自身が狐だったら、どうにもしようがないと思いませんか?」
「……」
自分自身から自分を取っ払うなんて、できないよな……。
「──悪魔の証明を、自分で求める悪魔、みたいな感じなんでしょうか」
矛盾というかパラドックスというか、ぐるぐる回って決着がつかないっていうか……。そんなふうに俺が譬えてみると、真久部さんはうなずいた。
「ええ……。それを解消するためには、結局自分の目で確認するしかないんです。──男は自らの欲求のまま行動し、終には非業の死を遂げた」
「……」
自分に囚われて、自分自身から逃れることができなかった。そういうことなんだろうか……。妄執の深さは業の深さ、蟻地獄に嵌るみたいだと思うとぞっとして、俺は背中を震わせた。
「男の死に方は、当時そうとう噂になったらしくて……先代、後から謝られたそうですがね──」
オルゴールを譲った先の、骨董仲間のご友人からね、と真久部さんはつけ加える。
「せっかく託されたものを、騙されて自分の父親が売ってしまった、しかも、それが『あの男の手にだけは渡したくない』と先代が言っていた、まさにその相手だったと知って、どう詫びていいかわからなかった、申しわけない、と」
「ご友人……寝覚めの悪い思いをして気の毒でしたね」
男のことを気の毒だとは、俺も思えなかった。
「そうですね。──先代もそう言って慰めたそうだよ。自分から罠にかかりにくる者を、防ぎようがない。だから仕方がなかったんだと。危ないからといくら罠を隠しても、わざわざ探し出してまで飛び込んで来られてはねぇ……」
何だか溜息が出る。
「──男が、そのご友人の手からオルゴールを掠め取って持ち主になってから、一年くらいのことでしたっけ……」
分かってる中で、九代目の持ち主。──その後、三十年ほど行方不明だったらしいけど。
「手に入れてすぐ、昔でいう神経衰弱になって、水辺を異常に怖がるようになったということですがね」
十代目の持ち主は、目の前で微苦笑を浮かべてる。
「それってやっぱり、さっそくオルゴールを開けようとして──、水に関する不運で不幸 な運命を告げられたんでしょうか……」
そうなんだろうなぁ。この──なんというか、甲羅を経た道具なら、男が正しい手順で開けようとしたとしても、つるっと間違えさせそう。正しいやつの隣の板に指を掛けさせたりして──。怖っ。
「……」
……俺、拾っただけだし、何も悪いこと考えてなかったし、頼むから怒らないでくれよ、と目の前のオルゴールに内心で手を合わせた。──まあ、真久部さんの口ぶりからすると大丈夫っぽいけどさ。それでも薄っすら怖いと思ってしまうのは、小心者だから許してほしい。
俺がそんなことを考えていると、「男の死後、先代が恩人から聞いたそうですがね」と真久部さんは続ける。
「水辺どころか、庭の小さな池まで怖がって埋めて、終いにはずっと飼っていた熱帯魚の水槽まで処分したというから、よほどのことだったんだろう、ということでした」
「じゃあ……やっぱり水の事故で亡くなったんですか?」
話の流れ的にそうなるだろうと、恐る恐るたずねてみると、胡散臭い笑みが返ってきた。
「そう思いますか?」
問い返されて、じわりと背中に恐怖が這い上がる。怖いのに、頑張ってしてみた予想が違うといわれると、それ以上にまだ怖いことがあるのかと身構えてしまう。
「違うんですか……?」
にっ、とさらに唇の端を上げる。え? 何?
「男はね……、とある大きな植物園の、花畑の真ん中で死んだそうですよ」
「はなばたけ……?」
唐突なワードに戸惑う俺に、真久部さんは、そうです、とうなずいてみせる。
「ある時期から急に塞ぎこみ、神経質になってしまった男を、その友人たちが親切心で外に連れ出したんだそうだよ。水辺が嫌なら、丘はどうだとね──」
気持ちのいい季節で、植物園には色とりどりの花が咲いていた。海は見えるが遠く、怖がる理由もない──。
「広大な敷地は、ピクニック代わりに歩くのにはちょうど良く、男女五、六人で楽しく花を見て回っていたそうですが」
「そんなに広いなら、池とか小川とかもありそうですけど……」
花畑の真ん中って言ったよな、真久部さん。
「水辺の植物も栽培されてるようですが、そういう場所は友人たちが避けてくれたんじゃないでしょうか? 今でもある植物園ですが、ルートも三つくらいあって、隅々まで見ようとしたら軽く一日は掛かりそうな広さです」
僕は行ったことありませんが、家族連れにも人気の場所らしいです、と教えてくれる。
「なら、そんなところで、どうやって──」
水の事故でないなら、うーん……。
「あ。心臓麻痺?」
オカルトではよくある死因、だと思う。
「最終的には心臓は止まりましたけど、それが直接の死因ではないですねぇ」
猫のように笑う。ち、違うのか。それなら……。
「自殺? く、首をくくったりとか」
「…友人たちが一緒だったんですから」
それはないでしょう、とちょっと首を傾げてみせる。──何だろう、その微笑ましいものを見るような眼差しは。子供が一所懸命答えるのを見守るみたいに……真久部さん、楽しんでいるでしょう、俺が悩むのを……。
「じゃあ、その友人たち全員で共謀して──」
「まさか。あの有名な急行列車のミステリじゃないんですから……何でも屋さんはやっぱり面白いねぇ」
笑われた。いや、俺もそんなわけないと思うよ? だけどもう打ち止め、これ以上死因なんて考えつかないよ。
「……」
にこにこというか、にやにやというか、楽しげに頬を弛める地味な男前面を、俺で遊びすぎじゃないですか、と無言のメッセージをこめてじっとり睨んでいると、猫の笑いをまといつかせたままの表情で、すみません、と頭を下げる。
「いや、普通はなかなか思いつかないと思いますよ。僕も聞いたとき驚きました」
うん、うん、とうなずいている。
もう。そうやって焦らすのやめましょうよ、真久部さん……。
「……男は水、というか水辺を怖がってたんですよね? ってことは水に関する恐ろしい運命を告げられたんだと思ってたんですけど、違うんですか?」
「それで合ってると思います」
先代椋西さんもそうおっしゃってましたし、と続ける。
「ただ、いくらそうやって自衛をしても、思いもよらない方向から予言を成就させる力を、このオルゴールのような**の育った道具は持っていてねぇ……」
──広大な敷地を誇る植物園の、海の見える丘一面の花畑。友人たちに連れられて、うららかな日差しの中をそぞろ歩く。時折り強く吹きつける海風も爽やかで、男は水に怯え暮らす日々をひととき忘れる……。
「何でも、風に女友達の帽子が飛ばされたそうで」
彼女のことを憎からず思っていた男は、落ちた帽子を拾おうと花畑に踏み入り……。
「屈んだ拍子に、鼻先を花びらにくすぐられたか、男はくしゃみをしかけたらしいんです」
つかみ損ねた帽子。指先に花びらを散らしながら、男はちょうど風上に向けて口を開け、息を吸い込んだ。くしゃみをするために。その時、ひときわ強い風が吹いて……。
「後からわかったことですが、その時に、千切れた花を風と一緒に吸い込んでしまったようです」
喉の奥にべっとり貼りついた花に、気道を塞がれる。突然もがき出した男に、理由もわからずなす術もなく見守るしかなかった友人たち。見渡すかぎりの花畑が、強い風に揺れる。葉擦れの音を、ざわざわとまるで潮騒のように響かせながら……。
「その花の色は水色……丘一面を覆う同じ花の群れは波立つ海に似て、只中に倒れこんだ男が苦しみ、喉を掻き毟るさまは、まるで溺れる人のようだったとか──」
「……水じゃなくて、水色の花に溺れたってことですか」
「祓えますからね。でも、その人間自身が狐だったら、どうにもしようがないと思いませんか?」
「……」
自分自身から自分を取っ払うなんて、できないよな……。
「──悪魔の証明を、自分で求める悪魔、みたいな感じなんでしょうか」
矛盾というかパラドックスというか、ぐるぐる回って決着がつかないっていうか……。そんなふうに俺が譬えてみると、真久部さんはうなずいた。
「ええ……。それを解消するためには、結局自分の目で確認するしかないんです。──男は自らの欲求のまま行動し、終には非業の死を遂げた」
「……」
自分に囚われて、自分自身から逃れることができなかった。そういうことなんだろうか……。妄執の深さは業の深さ、蟻地獄に嵌るみたいだと思うとぞっとして、俺は背中を震わせた。
「男の死に方は、当時そうとう噂になったらしくて……先代、後から謝られたそうですがね──」
オルゴールを譲った先の、骨董仲間のご友人からね、と真久部さんはつけ加える。
「せっかく託されたものを、騙されて自分の父親が売ってしまった、しかも、それが『あの男の手にだけは渡したくない』と先代が言っていた、まさにその相手だったと知って、どう詫びていいかわからなかった、申しわけない、と」
「ご友人……寝覚めの悪い思いをして気の毒でしたね」
男のことを気の毒だとは、俺も思えなかった。
「そうですね。──先代もそう言って慰めたそうだよ。自分から罠にかかりにくる者を、防ぎようがない。だから仕方がなかったんだと。危ないからといくら罠を隠しても、わざわざ探し出してまで飛び込んで来られてはねぇ……」
何だか溜息が出る。
「──男が、そのご友人の手からオルゴールを掠め取って持ち主になってから、一年くらいのことでしたっけ……」
分かってる中で、九代目の持ち主。──その後、三十年ほど行方不明だったらしいけど。
「手に入れてすぐ、昔でいう神経衰弱になって、水辺を異常に怖がるようになったということですがね」
十代目の持ち主は、目の前で微苦笑を浮かべてる。
「それってやっぱり、さっそくオルゴールを開けようとして──、水に関する
そうなんだろうなぁ。この──なんというか、甲羅を経た道具なら、男が正しい手順で開けようとしたとしても、つるっと間違えさせそう。正しいやつの隣の板に指を掛けさせたりして──。怖っ。
「……」
……俺、拾っただけだし、何も悪いこと考えてなかったし、頼むから怒らないでくれよ、と目の前のオルゴールに内心で手を合わせた。──まあ、真久部さんの口ぶりからすると大丈夫っぽいけどさ。それでも薄っすら怖いと思ってしまうのは、小心者だから許してほしい。
俺がそんなことを考えていると、「男の死後、先代が恩人から聞いたそうですがね」と真久部さんは続ける。
「水辺どころか、庭の小さな池まで怖がって埋めて、終いにはずっと飼っていた熱帯魚の水槽まで処分したというから、よほどのことだったんだろう、ということでした」
「じゃあ……やっぱり水の事故で亡くなったんですか?」
話の流れ的にそうなるだろうと、恐る恐るたずねてみると、胡散臭い笑みが返ってきた。
「そう思いますか?」
問い返されて、じわりと背中に恐怖が這い上がる。怖いのに、頑張ってしてみた予想が違うといわれると、それ以上にまだ怖いことがあるのかと身構えてしまう。
「違うんですか……?」
にっ、とさらに唇の端を上げる。え? 何?
「男はね……、とある大きな植物園の、花畑の真ん中で死んだそうですよ」
「はなばたけ……?」
唐突なワードに戸惑う俺に、真久部さんは、そうです、とうなずいてみせる。
「ある時期から急に塞ぎこみ、神経質になってしまった男を、その友人たちが親切心で外に連れ出したんだそうだよ。水辺が嫌なら、丘はどうだとね──」
気持ちのいい季節で、植物園には色とりどりの花が咲いていた。海は見えるが遠く、怖がる理由もない──。
「広大な敷地は、ピクニック代わりに歩くのにはちょうど良く、男女五、六人で楽しく花を見て回っていたそうですが」
「そんなに広いなら、池とか小川とかもありそうですけど……」
花畑の真ん中って言ったよな、真久部さん。
「水辺の植物も栽培されてるようですが、そういう場所は友人たちが避けてくれたんじゃないでしょうか? 今でもある植物園ですが、ルートも三つくらいあって、隅々まで見ようとしたら軽く一日は掛かりそうな広さです」
僕は行ったことありませんが、家族連れにも人気の場所らしいです、と教えてくれる。
「なら、そんなところで、どうやって──」
水の事故でないなら、うーん……。
「あ。心臓麻痺?」
オカルトではよくある死因、だと思う。
「最終的には心臓は止まりましたけど、それが直接の死因ではないですねぇ」
猫のように笑う。ち、違うのか。それなら……。
「自殺? く、首をくくったりとか」
「…友人たちが一緒だったんですから」
それはないでしょう、とちょっと首を傾げてみせる。──何だろう、その微笑ましいものを見るような眼差しは。子供が一所懸命答えるのを見守るみたいに……真久部さん、楽しんでいるでしょう、俺が悩むのを……。
「じゃあ、その友人たち全員で共謀して──」
「まさか。あの有名な急行列車のミステリじゃないんですから……何でも屋さんはやっぱり面白いねぇ」
笑われた。いや、俺もそんなわけないと思うよ? だけどもう打ち止め、これ以上死因なんて考えつかないよ。
「……」
にこにこというか、にやにやというか、楽しげに頬を弛める地味な男前面を、俺で遊びすぎじゃないですか、と無言のメッセージをこめてじっとり睨んでいると、猫の笑いをまといつかせたままの表情で、すみません、と頭を下げる。
「いや、普通はなかなか思いつかないと思いますよ。僕も聞いたとき驚きました」
うん、うん、とうなずいている。
もう。そうやって焦らすのやめましょうよ、真久部さん……。
「……男は水、というか水辺を怖がってたんですよね? ってことは水に関する恐ろしい運命を告げられたんだと思ってたんですけど、違うんですか?」
「それで合ってると思います」
先代椋西さんもそうおっしゃってましたし、と続ける。
「ただ、いくらそうやって自衛をしても、思いもよらない方向から予言を成就させる力を、このオルゴールのような**の育った道具は持っていてねぇ……」
──広大な敷地を誇る植物園の、海の見える丘一面の花畑。友人たちに連れられて、うららかな日差しの中をそぞろ歩く。時折り強く吹きつける海風も爽やかで、男は水に怯え暮らす日々をひととき忘れる……。
「何でも、風に女友達の帽子が飛ばされたそうで」
彼女のことを憎からず思っていた男は、落ちた帽子を拾おうと花畑に踏み入り……。
「屈んだ拍子に、鼻先を花びらにくすぐられたか、男はくしゃみをしかけたらしいんです」
つかみ損ねた帽子。指先に花びらを散らしながら、男はちょうど風上に向けて口を開け、息を吸い込んだ。くしゃみをするために。その時、ひときわ強い風が吹いて……。
「後からわかったことですが、その時に、千切れた花を風と一緒に吸い込んでしまったようです」
喉の奥にべっとり貼りついた花に、気道を塞がれる。突然もがき出した男に、理由もわからずなす術もなく見守るしかなかった友人たち。見渡すかぎりの花畑が、強い風に揺れる。葉擦れの音を、ざわざわとまるで潮騒のように響かせながら……。
「その花の色は水色……丘一面を覆う同じ花の群れは波立つ海に似て、只中に倒れこんだ男が苦しみ、喉を掻き毟るさまは、まるで溺れる人のようだったとか──」
「……水じゃなくて、水色の花に溺れたってことですか」