第215話 竈と猫 2 吉備津の釜は熱音響
文字数 2,244文字
俺が首を捻ると、真久部さんがまたにいっと怪しい笑みを見せた。
「何でも屋さんは聞いたことないですか? ──かまどに掛けた釜でお湯を沸かして蒸篭 を蒸し、その蒸篭に洗い米を入れて蓋をして、そのまま焚いていると音が鳴る。これを釜鳴りといい、その音で吉凶を占うというものなんですが」
ん? 釜占い? 聞いたことあるような。
「その占いに使う釜鳴りの音って、熱音響……なんていったっけ……熱で空気が震えて音が……、うーん、熱音響なんとか振動、だったっけ……?」
大学時代、コンパの座敷童子として何故か他学部の、しかも研究室飲み会に借り出されたとき、そこの主任教授から教わった覚えがある。普段気難しくて恐ろしいと聞く教授がすごく機嫌よく、楽しそうに語ってくれたから、俺も楽しくなってお酌をしつつ、うんうんうなずきながら聞いてたんだけど、実は全然意味わかってなかった。ごめんなさい、教授。でもこれだけ覚えてるよ。
「吉備津の釜と逆の原理で、冷凍庫が開発されたって……えっと、熱音響冷凍機」
音が熱を吸うって、どうしても理解できなかった。だからこそそこだけ覚えているともいう。他にも何ちゃらサイクルとか難しいこと言ってたけど、俺、物理学部の学生じゃなかったんで、これだけで許してください……とあの時の教授の、真っ白い髪に埋もれた滑らかなピンク色の頭頂部を思い出して詫びていると、真久部さんが肩を落とした。
「そっちじゃないですよ、何でも屋さん……」
「へ?」
「そういう話じゃないです。科学だけでは、説明のつかない事象についてのことですよ」
「いや、でも、水が沸騰すると蒸気になって、膨張するから釜の蓋の隙間から噴き出して、音が──」
出るんじゃ? と言いかけると、残念そうなに首を振られた。
「きっと今までも、そうやっていろいろと スルーしてたんでしょうねぇ……」
不思議系の話を、と小さく呟いて、生温い眼で微笑まれてしまった。いろいろスルーって……そうなのかな? と自問自答。出た答は、半分無意識。後の半分は──いや、だから俺、怖いの苦手なんだよ、真久部さん。今のは、本当に教授から聞いた話を思い出しただけなんだってば。
「せっかく吉備津の釜を思い出したなら、上田秋成の『雨月物語』も思い出せばいいのに」
「え……『雨月物語』って、怖い話のやつですよね?」
読んだ弟がそう言ってたぞ。だから俺、手に取ったり、話を聞いたりしたことない……。
「いや、『雨月物語』の全部が怖い話ではないですが、そのうち『吉備津の釜』はとても有名な怪談だから、何でも屋さんだって一度は何かで見たり読んだりしたことがあるはず」
そう言われ、考えてみた。
「そりゃ……、夏になればテレビでも怪奇ものが増えるし、そうでなくても、この仕事始めてからお客様のご要望で一緒に怖い映画のDVDとか観ることだってありますけど、そういうタイトルのは観たことないなぁ……」
いきなりホラーな映画のCMが始まることあるし、苦手でも避けようがなかったりするよな、ああいうの……。子供の頃は、弟が観てる横で座布団抱えて俺も観てた。怖いのに、気にはなる、って、いわゆる怖いもの見たさってやつだな。俺は苦手だけど、弟は怪談好きだったんだよ……。一卵性の双子なのに、頭のデキだけじゃなくて、弟は俺とは趣味嗜好も違ってた。もっとも、弟は情けない兄に怖いものを無理強いしたことなかったけどな。
「──そういえば、すごい昔の映画で『雨月物語』っていうのを観たことあったかも……。でも、それに釜は出て来なかったような……」
「ああ……溝口監督、京マチ子主演の映画ですね。たしかにあれには『吉備津の釜』は──」
記憶を探るように、真久部さん。すごい、あんな古い映画でも監督名と主演女優名知ってるんだ。──怪奇な映画だからだろうか。そういえば、店の隅のほうに、古いレコードと一緒に古い映画のポスターもいくつか置いてあったような気がする。巻いてあるから見たことないけど──今後も見ないでおこう。
「まあ、いいです。『牡丹灯籠』とか『四谷怪談』はさすがに知ってますよね?」
「う……それはさすがに。落語でも聞いたことが」
イマドキのホラーDVDのラインナップには無いから、お客さんと一緒にでも映画は観たことないけど、この二つは落語で聞いても怖かった。あと、『真景累 ヶ淵』……。遠い目になっていると、真久部さんが続ける。
「その二つを足して二で割ったようなものだと思っておいてください……こう説明してる段階で、もう怖くもないでしょうけど」
ふふっと笑う。何でも屋さんを怖がらせるのって、たまに難しいですね、なんてこと言いながら。何それ、酷いよ、真久部さん……。
「まあ、吉備津神社の釜占いでとある縁組の吉凶を占ったら凶が出て、それでも娶わせたら、前半『四谷怪談』後半『牡丹灯籠』みたいな結果になって、占いが当たってしまったな、という話です」
「怖いじゃないですか!」
想像したくないよ、そんなの。そう抗議すると、機嫌のいい猫みたいに目を細めてにっこりする。
「大丈夫。釜が鳴るのは吉兆だから。──そんな鳴釜の音が聞こえると、富貴亭の板長が言ったわけですよ。板長は吉備津神社のある岡山出身だそうで、鳴釜神事には馴染みがあったらしいんだ」
「いや、あるはずのないものの音が聞こえたら、普通、怖いですよ……」
「まあ、普通、何も無ければ そんな現象は起こらないわけですから、怖いかもしれないねぇ」
身に覚えがあれば、特にね、と、真久部さんはうなずいた。
「何でも屋さんは聞いたことないですか? ──かまどに掛けた釜でお湯を沸かして
ん? 釜占い? 聞いたことあるような。
「その占いに使う釜鳴りの音って、熱音響……なんていったっけ……熱で空気が震えて音が……、うーん、熱音響なんとか振動、だったっけ……?」
大学時代、コンパの座敷童子として何故か他学部の、しかも研究室飲み会に借り出されたとき、そこの主任教授から教わった覚えがある。普段気難しくて恐ろしいと聞く教授がすごく機嫌よく、楽しそうに語ってくれたから、俺も楽しくなってお酌をしつつ、うんうんうなずきながら聞いてたんだけど、実は全然意味わかってなかった。ごめんなさい、教授。でもこれだけ覚えてるよ。
「吉備津の釜と逆の原理で、冷凍庫が開発されたって……えっと、熱音響冷凍機」
音が熱を吸うって、どうしても理解できなかった。だからこそそこだけ覚えているともいう。他にも何ちゃらサイクルとか難しいこと言ってたけど、俺、物理学部の学生じゃなかったんで、これだけで許してください……とあの時の教授の、真っ白い髪に埋もれた滑らかなピンク色の頭頂部を思い出して詫びていると、真久部さんが肩を落とした。
「そっちじゃないですよ、何でも屋さん……」
「へ?」
「そういう話じゃないです。科学だけでは、説明のつかない事象についてのことですよ」
「いや、でも、水が沸騰すると蒸気になって、膨張するから釜の蓋の隙間から噴き出して、音が──」
出るんじゃ? と言いかけると、残念そうなに首を振られた。
「きっと今までも、そうやって
不思議系の話を、と小さく呟いて、生温い眼で微笑まれてしまった。いろいろスルーって……そうなのかな? と自問自答。出た答は、半分無意識。後の半分は──いや、だから俺、怖いの苦手なんだよ、真久部さん。今のは、本当に教授から聞いた話を思い出しただけなんだってば。
「せっかく吉備津の釜を思い出したなら、上田秋成の『雨月物語』も思い出せばいいのに」
「え……『雨月物語』って、怖い話のやつですよね?」
読んだ弟がそう言ってたぞ。だから俺、手に取ったり、話を聞いたりしたことない……。
「いや、『雨月物語』の全部が怖い話ではないですが、そのうち『吉備津の釜』はとても有名な怪談だから、何でも屋さんだって一度は何かで見たり読んだりしたことがあるはず」
そう言われ、考えてみた。
「そりゃ……、夏になればテレビでも怪奇ものが増えるし、そうでなくても、この仕事始めてからお客様のご要望で一緒に怖い映画のDVDとか観ることだってありますけど、そういうタイトルのは観たことないなぁ……」
いきなりホラーな映画のCMが始まることあるし、苦手でも避けようがなかったりするよな、ああいうの……。子供の頃は、弟が観てる横で座布団抱えて俺も観てた。怖いのに、気にはなる、って、いわゆる怖いもの見たさってやつだな。俺は苦手だけど、弟は怪談好きだったんだよ……。一卵性の双子なのに、頭のデキだけじゃなくて、弟は俺とは趣味嗜好も違ってた。もっとも、弟は情けない兄に怖いものを無理強いしたことなかったけどな。
「──そういえば、すごい昔の映画で『雨月物語』っていうのを観たことあったかも……。でも、それに釜は出て来なかったような……」
「ああ……溝口監督、京マチ子主演の映画ですね。たしかにあれには『吉備津の釜』は──」
記憶を探るように、真久部さん。すごい、あんな古い映画でも監督名と主演女優名知ってるんだ。──怪奇な映画だからだろうか。そういえば、店の隅のほうに、古いレコードと一緒に古い映画のポスターもいくつか置いてあったような気がする。巻いてあるから見たことないけど──今後も見ないでおこう。
「まあ、いいです。『牡丹灯籠』とか『四谷怪談』はさすがに知ってますよね?」
「う……それはさすがに。落語でも聞いたことが」
イマドキのホラーDVDのラインナップには無いから、お客さんと一緒にでも映画は観たことないけど、この二つは落語で聞いても怖かった。あと、『真景
「その二つを足して二で割ったようなものだと思っておいてください……こう説明してる段階で、もう怖くもないでしょうけど」
ふふっと笑う。何でも屋さんを怖がらせるのって、たまに難しいですね、なんてこと言いながら。何それ、酷いよ、真久部さん……。
「まあ、吉備津神社の釜占いでとある縁組の吉凶を占ったら凶が出て、それでも娶わせたら、前半『四谷怪談』後半『牡丹灯籠』みたいな結果になって、占いが当たってしまったな、という話です」
「怖いじゃないですか!」
想像したくないよ、そんなの。そう抗議すると、機嫌のいい猫みたいに目を細めてにっこりする。
「大丈夫。釜が鳴るのは吉兆だから。──そんな鳴釜の音が聞こえると、富貴亭の板長が言ったわけですよ。板長は吉備津神社のある岡山出身だそうで、鳴釜神事には馴染みがあったらしいんだ」
「いや、あるはずのないものの音が聞こえたら、普通、怖いですよ……」
「まあ、普通、
身に覚えがあれば、特にね、と、真久部さんはうなずいた。