第303話 疫喰い桜 17

文字数 2,731文字

「……まあ、だから、こいつはまだまだ竜に成れないだろうよ」

笑ったまま、少しだけ困ったように溜息をついてみせる。

「今までだって数多の**を喰らってきたけれど、成れなかった。中てられるのをわかっていて喰らったものも、同じくらいあるんだからしょうがない。今回みたいに、せっかく蓄えた**を減らされようが、清浄すぎるものの見えざる後光かオーラのようなものに、本体を浄化されかけようが……それでも懲りない。だからこそ、()()()()()()()疫喰いなんぞができるんだろう」

それはそれで人様の役に立って何よりだ、と薄く笑む。

「ここの()が案じていた、疫病に乗じた“鬼”どもに乗り物にされていたアクティブ馬鹿どもの魂も、今回は元に戻れるだろう。コイツがソレを浄化した形になるわけだけど、想像していたよりずっと多くて、私も驚いたよ。──まあ、一部、行き過ぎてしまったような、元々“鬼”と近いような者は知らないがねぇ」

「……」

そういうのは、“鬼”と一緒に疫喰い桜な悪食鯉に喰われちゃったんだろうなぁ……。あんまり考えたくなくて、うつろな目をしているだろう俺に、伯父さんがわざとらしくニッコリしてみせるから、ちょっとびくっとする。

「さて。何でも屋さんにはしっかり花見をしてもらったことだし、そろそろ戻ろうかね」

何か妙な言い回し……? 疑問に思うも、すっと動いたスタイリッシュ仙人の細く長い指先に気を取られる。

「あ!」

そこには、誘うように揺れる赤い暖簾。

「……」

桜の森以外、そっけないというか、人の営みの見えない場所で、それはなかなかシュールというか場違いというか。好きなところに入り口を作れる迷い家なラーメン屋とは知ってるけど……ん? 店名が──。

「ああ。()()()は、<夢見草>というんだよ。たまに()()()()も食べにくるらしいが」

悪戯っぽくひらめく真久部の伯父さんのオッドアイ。()()、に突っ込ませたいんだろうけど、その手には乗らないもんね!

「ゆめみぐさ、って何ですか?」

だから、店名についてたずねておく。<走りぎんなん>は、銀杏並木のある場所だからのネーミングってわかるけど。

「なんだ、そっちか……」

わざとらしくも残念そうに、伯父さん。

「夢見草とは桜のことだ。夢のように美しく夢のように儚いので、元々そのような異名がある。ここの桜は普通の桜と違って散らないけれど、本来は生きている人間には見ることはできない。何でも屋さんはもちろん、私にだってさ。それに──わかるだろう?」

桜の森を指し示しながら、そちらを見やる。

「……」

ふわふわと霞む薄紅の花びらは、これから明け初める東の空と、夕暮れ間近の西の空の、刻々と変化するその永遠の一瞬を留めたような淡い光をまとっている──。あの花たちは、ここにしか咲かない……。“鬼”はもちろん、きっと人の手にも、触れることはできないのだろう。

それはまさに夢見草。夢うつつ、淡く儚く消え失せるまぼろしにも似て、心のどこかやわらかいところが小さく痛む──。

と。

「あ……!」

枝の先に、ふっとやさしい色の光が生まれた。見る間に、それはふわりとほどけて花となる。──たった今、咲いたんだ!

「ああ、誰かの感謝が、ここに届いたようだねぇ」

伯父さんも同じところを見ている。珍しく普通に微笑んでいた。

「幼子か、親か、極卒か……純粋な気持ちでできたものは美しいね。“鬼”退治も無事済んだことだし、しばらくはここも安心だろうが、魂を乗っ取られて乗り物にされるアクティブ馬鹿が、また増えなければいいんだが──」

「……」

今の、新型コロナの自粛生活はいつまで続けなければならないんだろうか。夏には、秋には……来年の今頃には元の生活に戻れるだろうか──。

そんなことを思っている俺の耳に、「ん、何だって?」と伯父さんが言うのが聞こえた。え、俺? とそっちを見ると、どうやら違うようだ。

「ここの**は珍味だから、また食べたい? ……まあ、あんな喰らい方はお前くらいしかできないだろうが……」

悪食鯉のアイツと、また会話しているらしい。

「だけど、次もお前、やっぱり浄化されて果てかけるだろうが、いいのか? ……何? そのギリギリな感じがクセになる? 人間だって通はフグの肝を食べたがるだろう、って、お前──」

「……」

食通なのか……? 鯉のヤツ。

「フグ肝は、四人前食べて死んだ歌舞伎役者もいるがなぁ……あれはそれほどに美味だからであってだな、お前のように不味いのに食おうというのは、ただの悪食というのだ。一緒にするな」

ですよねー。

「まあいい、わかった。“鬼”がまた増えたら、ここの()に教えてもらうとしよう。──()も喜ぶだろう」

コロナに罹るだけならまだしも(良くないけど)、うっかり“鬼”に魂を乗り物にされてこんなところに来てしまったら、極楽はもちろん地獄にすら行けなさそうで、そうなったら救いが……。詳しく聞くのが怖いから聞かないけどさ。

「──ん? その時はやっぱり何でも屋さんに観てもらいたいと? リアクションが最高って──まあ、今回も、観客がいたほうがやる気が出るというから、わざわざ彼を迎えに行ったんだしな……」

「えっ!」

今、聞き捨てならないことを?

「ま、真久部さん? どういうことですか?」

「おっと、口を滑らせてしまったな」

ニッタリ笑って額をこつんと叩いてみせる意地悪仙人、全く悪びれてない。

「報恩謝徳の桜を狙う“鬼”が、今年は異様に多いとここの()が憂いていたのを聞いて、コイツが喰ってみたいと言ったんだがねぇ。いざというと『観客がいないと張り合いがない』と我が侭をいうので──、()()()()()()に慣れていて、護りも強い何でも屋さんなら適役だと思ってさ」

あの道がきみんちへの近道だと聞いて、訪ねていこうとしてたところだったんだよ、と言う。

「偶然じゃなかったんですか……?」

奇遇だねぇ、とか言ってたじゃん、真久部の伯父さん。

「だって、迎えに行こうと思いついて、行動してすぐだよ? きみを見つけたの。まさかそんなすぐに出会えるとは思わなかったんだ」

私だって驚いたよ、と意地悪仙人。胡散臭い笑みが、憎い──。

「……もう、いいです」

俺は疲れていた。心底疲れてしまった。

「用は終わったんですから、帰りましょう。今すぐに!」

そう言い捨てて、<夢見草>の赤い暖簾をくぐる。

だけど、俺じゃあこの迷い家なラーメン屋の入り口は開けられないんだろうな、と思っていた──のに、開いた!

「え……」

信じられない出来事に、戸口に立ったまま硬直する俺。カウンターの中で慈悲深く微笑みつつ小さく頷いてみせる店主。後ろから聞こえる意地悪仙人の笑い声──何でも屋さんはやっぱり合格だったね──。

「……」

今日のすべての出来事が夢なら、いいなぁ。






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