第221話 竈と猫 8 まだハッピーエンドじゃない

文字数 2,005文字

「オーナーはその場で業者に連絡を入れて、かまどの据え直しを依頼してました」

事の重大さを理解してもらえて、本当によかったですよと目を細める。なんとも読みにくい笑みだけど、これは安心したって感じかな──。そりゃそうだよな、こうするのが最善ですよといくら助言しても、相手に聞く耳がなかったら、真久部さんだってどうにもできないもんなぁ。

「いきなりの依頼だったので、他の兼ね合いもあって数日かかるかも、という話だったようですが、結局その日のうちに業者が来て、かまどは店舗入り口から板場に移ることになりました。あちら(業者)の予定がいろいろ変更になったらしくて……。そういうの(・・・・・)、何でも屋さんにはよくわかるでしょう?」

伯父がいつもすみませんねぇ、と申し訳なさそうに眉を下げるから、真久部さんが何を言いたいのか俺にもわかった。その業者に入ってたその日の予定が全て、何らかの理由でキャンセルになったり、延期になったりしたんだ、たぶん。──真久部の伯父さんが、俺に何かの仕事をやらせようとしている時みたいに。

「あはは……」

わかるけど、わかりたくないって気持ちをこめて、曖昧に笑っておいた。

「まあ、良かったですよね、問題が早く解決できて」

そんな俺に深く突っ込むことなく、同じように曖昧に笑んで、真久部さんはうなずいた。──あの伯父さんは、真久部さんにとって頭痛の種らしいからな……。

「そうですね……」

小さく息を吐く。気を取り直すようにひと口お茶を干すと、真久部さんはまた話し始める。

「一旦ことが動き出すと早いもので、板長が頑張ったのもあり、必要なものの手配もすぐ終わったようですよ。その二日後には煙突の設置を終え、かまど内部の掃除も怠りなく、羽釜と薪の調達を済ませたんですから」

「はがま……?」

って何? あまり聞かない単語に首を傾げていると、かまど用の釜ですよ、と教えてくれた。

「かまどは天板に空いた穴に釜底を嵌めるようにするから、中にずぼっと落ちないように、かまどの火が隙間から出ないように、穴の周りを補強する金輪に引っ掛かるようになってるんだよ」

「ああ……」

ぐるりに帽子の鍔みたいな縁のついてる、あれか。わざわざ探さないと、いまどきはその辺に売ってないだろうなぁ。実物を見る機会がなかったから、あの縁にそういう役割があったとは知らなかった。なんとなく釜の持ち手だと思ってた。

「かまど開きには僕も呼んでもらってねぇ……」

開店日前日。富貴亭で働くことになる人たち全員で、かまどで炊いたご飯を食べたらしい。

「板長と、他の店から移ることになってた中堅どころが若い衆と一緒になって御握りにしてくれたんだけど、ただの塩むすびの美味しいこと。かまどで炊いたご飯を初めて食べた人のほうが多くて、みんな感動してましたよ。板長も中堅どころも、業務用釜で炊くよりこっちのほうが味がいいとしみじみうなずいて、オーナーも、これは……と舌を巻いていましたね」

おこげの風味がまた絶妙でねぇ、なんて言うから、いま腹いっぱいのはずなのに、炊きたてご飯のお握りが食べたくなってしまった。

「板長の炊き方も上手かったんだね。郷里を出て料理人になって数十年、かまどを使うのも本当に久しぶりだったそうですが、昔取った杵柄か、確かな炊き上がりでした」

「ご飯が美味しいと、それだけで幸せな気持ちになれますもんね」

パンも食べるし、蕎麦うどん、ラーメン、スパゲティ、ちょっと変わってトルティーヤ、チャパティ、ナンもたまには食べる。どれも美味しい。でも、白いご飯は別格だ。なんというか、日本人の食の基本だと思う。

「オーナーもそれを実感したらしくてねぇ。さすが商売人、かまどのご飯を富貴亭の売りにしようと言い出しました」

「え? そのつもりじゃなかったんですか?」

わざわざ板場に据え直して、煙突までつけたのに。

「ええ、初めはね。ひと月に一度炊飯すれば、それでかまどの気が済みますよ、と僕がアドバイスしたのもあるし、──かまどの燃料は簡単にガスというわけにはいきませんしね」

あー、そうか、薪なあ。毎日使うとしたら、結構な量が必要になるだろう。薪を導入することによる費用対効果、考えないといけなくなるよな。月いち程度ならそれほど心配いらないだろうけど。

「これはイケる、売れる、となって──、料亭といえど、今風料亭。お米の銘柄にはこだわっても、炊くのは業務用釜のはずが、ふと気がつけば炊き方にもこだわる方向に。そんなつもりもなかったのにね。それが富貴亭のご飯の、美味しさのヒミツ」

へたくそなウィンクで片方の黒い瞳を隠し、もう片方の榛色の瞳で悪戯っぽく微笑んでみせる。うーん、これにて一件落着みたいな雰囲気になってるけどさ……。

「かまどはそれでいいんでしょうけど……オーナーに抱っこさせたままだった竈猫入り招き猫、結局どうなったんですか?」

まだ、全てがハッピーエンドってわけじゃないよね? 真久部さん。
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