第280話 足型ならば梅鉢マーク
文字数 2,019文字
「え? え? 違うんですか?」
俺は焦った。だって、真久部さんの笑みが怪しすぎて……これは機嫌がいいんだと思うんだけども。
「実際、廃業しようとはしたらしいんだけどねぇ」
「は、はぁ……」
楽しそうに語る店主の話に、店内の古道具たちがわくわくと聞き入っている、ような気がする──のはまさに気のせいに違いないな、うん。
「もう捨ててしまおうとした材料の粘土に、ウメの足型がついていたというんですよ、いつの間にか」
「……それは単純に、以前からついていたのに気づかなかったんじゃ?」
考えられる現実的な可能性としてはそうだよな。
「どうでしょうねぇ?」
真久部さんはにんまりする。
「それに気づいて捨てられずにいたら、翌日また足型が増えていたんだそうです。次の日も、また次の日も。それで、猫八は廃業するのを止めたのだといいます」
ひとりでに増殖する猫の足型。なんという怪奇現象──……。
「猫って、足型つけるの好きですよね! ほら、固まる前のコンクリートに、よく肉球丸出しの梅鉢マーク がついてるじゃないですか」
古川さんちの車庫の床、海老沢さんちの玄関先。何故か猫の足型が点々とついているから、見つけたときは笑ってしまった。面白いというか、滑稽味を感じるというか。湯沢さんちの場合、新築の家の塀の、レンガをモルタルで埋めたその目地にピンポイントで足型をつけられたんで、笑うしかなかったって溜息ついてた。
「きっと、ウメがいなくなったから、他の猫が入ってきて粘土を踏んでいったんですよ」
自分をごまかしながら、うんうんうなずいていたら、「そういう可能性もありますね」と真久部さんも同意してくれる。
「でしょう? 困ったもんですよね、猫って」
あははー、と笑っていたら。
「だけどね、何でも屋さん。ウメの足には特徴があってねぇ。他の猫に比べると、足型がちょっと大きかったんですよ」
ヘミングウェイの猫みたいなものですね、と言う。
「ヘミングウェイ? 有名な『老人と海』の、あの?」
「そう。小説家のね。ヘミングウェイは友人の船長から猫をもらったんだけど、スノーボールと名付けられたその猫は、ちょっと指が多い猫だったんです。猫八のウメも同じで、他の猫より少し足が大きかったんだよ」
人間にもあるけれど、猫にも多指症というのがあるんだね、と続ける。
「だから、肉球の数もひとつ多いので、すぐにウメの足型だとわかるんです」
「へえ……」
猫の足なんかそんなしげしげと眺めたことないけど、いろいろ個性があるんだなぁ。
「もしかしたら、他にもウメと同じような猫がいて、踏んで遊んでいたのかもしれません。でも、裏側にまでついているのはねぇ……」
まさか、猫がわざわざ粘土をひっくり返して足跡をつけて、また戻したなんてこともないでしょうし、と続ける。
「え? 裏?」
「そう。置いてあった粘土の裏側にも足型がついていたといいますよ」
「……」
襖を開ける猫はいるけど、閉める猫はいない。もし開けて閉めるまでするのがいたら、それは化け猫だって何かの本で読んだことがある。
……足跡をつける猫はいるけど、つけた後、ひっくり返しておくなんてのも、やっぱり化け──。
「化け猫とは違うと思うんですよ」
俺の心を読んだように、真久部さんは言う。ほっ。
「今にそのように伝わってはいるけれど、猫八の気のせいかもしれないし、本当に別の猫が仕事場に侵入して、足型をつけていったのかもしれない。でも、大切なのは、そのおかげで猫八に気力が戻ったということ。その一点に尽きると思うんだよねぇ」
「ま、まあそうですよね」
元気が出たんなら、きっかけは何でもいい。俺もそう思う。
「復帰して後、猫八の作る招き猫は全部が三毛柄になったといいます。ウメが三毛猫だったからでしょう。──そこの小判の猫は、ウメが生きている頃のものだね」
「白猫ですもんね……」
納得する俺の目の端で、小判がキラッと光る。いや、だから俺、別に招き猫欲しくないし。うちには居候の三毛猫もいるしさ──。
「──何でも屋さん?」
「え?」
呼ばれて、すぐに目を上げると、ふふ、と真久部さんが笑った。
「いえ。何でも屋さんはやっぱり大丈夫みたいですね」
<何でも金運招き猫>にあんなに誘われているのに、魅入られないとはさすが、なんてわざとらしく呟いているけど、俺は聞こえないふりをする──乗らないの、わかってて言ってるって、俺知ってるんだからね! っとにもう、このヒトは。
「えーっと! 水無瀬家を呪っていたというか、この場合は呪わされていたって言ったほうがいいのかもしれないけど、あの招き猫って三毛猫でしたよね。つまり、あれはウメがいなくなった後に作られたものなんでしょうか?」
足型なんかついてましたっけ、とたずねると、首輪の下に付いていましたよ、と機嫌よく真久部さんは教えてくれる。
「猫八が会心の作には、鈴代わりのようにそこに付いていたというよ。それはウメが特に気に入った印だと、猫八は喜んでいたといいます」
俺は焦った。だって、真久部さんの笑みが怪しすぎて……これは機嫌がいいんだと思うんだけども。
「実際、廃業しようとはしたらしいんだけどねぇ」
「は、はぁ……」
楽しそうに語る店主の話に、店内の古道具たちがわくわくと聞き入っている、ような気がする──のはまさに気のせいに違いないな、うん。
「もう捨ててしまおうとした材料の粘土に、ウメの足型がついていたというんですよ、いつの間にか」
「……それは単純に、以前からついていたのに気づかなかったんじゃ?」
考えられる現実的な可能性としてはそうだよな。
「どうでしょうねぇ?」
真久部さんはにんまりする。
「それに気づいて捨てられずにいたら、翌日また足型が増えていたんだそうです。次の日も、また次の日も。それで、猫八は廃業するのを止めたのだといいます」
ひとりでに増殖する猫の足型。なんという怪奇現象──……。
「猫って、足型つけるの好きですよね! ほら、固まる前のコンクリートに、よく肉球丸出しの
古川さんちの車庫の床、海老沢さんちの玄関先。何故か猫の足型が点々とついているから、見つけたときは笑ってしまった。面白いというか、滑稽味を感じるというか。湯沢さんちの場合、新築の家の塀の、レンガをモルタルで埋めたその目地にピンポイントで足型をつけられたんで、笑うしかなかったって溜息ついてた。
「きっと、ウメがいなくなったから、他の猫が入ってきて粘土を踏んでいったんですよ」
自分をごまかしながら、うんうんうなずいていたら、「そういう可能性もありますね」と真久部さんも同意してくれる。
「でしょう? 困ったもんですよね、猫って」
あははー、と笑っていたら。
「だけどね、何でも屋さん。ウメの足には特徴があってねぇ。他の猫に比べると、足型がちょっと大きかったんですよ」
ヘミングウェイの猫みたいなものですね、と言う。
「ヘミングウェイ? 有名な『老人と海』の、あの?」
「そう。小説家のね。ヘミングウェイは友人の船長から猫をもらったんだけど、スノーボールと名付けられたその猫は、ちょっと指が多い猫だったんです。猫八のウメも同じで、他の猫より少し足が大きかったんだよ」
人間にもあるけれど、猫にも多指症というのがあるんだね、と続ける。
「だから、肉球の数もひとつ多いので、すぐにウメの足型だとわかるんです」
「へえ……」
猫の足なんかそんなしげしげと眺めたことないけど、いろいろ個性があるんだなぁ。
「もしかしたら、他にもウメと同じような猫がいて、踏んで遊んでいたのかもしれません。でも、裏側にまでついているのはねぇ……」
まさか、猫がわざわざ粘土をひっくり返して足跡をつけて、また戻したなんてこともないでしょうし、と続ける。
「え? 裏?」
「そう。置いてあった粘土の裏側にも足型がついていたといいますよ」
「……」
襖を開ける猫はいるけど、閉める猫はいない。もし開けて閉めるまでするのがいたら、それは化け猫だって何かの本で読んだことがある。
……足跡をつける猫はいるけど、つけた後、ひっくり返しておくなんてのも、やっぱり化け──。
「化け猫とは違うと思うんですよ」
俺の心を読んだように、真久部さんは言う。ほっ。
「今にそのように伝わってはいるけれど、猫八の気のせいかもしれないし、本当に別の猫が仕事場に侵入して、足型をつけていったのかもしれない。でも、大切なのは、そのおかげで猫八に気力が戻ったということ。その一点に尽きると思うんだよねぇ」
「ま、まあそうですよね」
元気が出たんなら、きっかけは何でもいい。俺もそう思う。
「復帰して後、猫八の作る招き猫は全部が三毛柄になったといいます。ウメが三毛猫だったからでしょう。──そこの小判の猫は、ウメが生きている頃のものだね」
「白猫ですもんね……」
納得する俺の目の端で、小判がキラッと光る。いや、だから俺、別に招き猫欲しくないし。うちには居候の三毛猫もいるしさ──。
「──何でも屋さん?」
「え?」
呼ばれて、すぐに目を上げると、ふふ、と真久部さんが笑った。
「いえ。何でも屋さんはやっぱり大丈夫みたいですね」
<何でも金運招き猫>にあんなに誘われているのに、魅入られないとはさすが、なんてわざとらしく呟いているけど、俺は聞こえないふりをする──乗らないの、わかってて言ってるって、俺知ってるんだからね! っとにもう、このヒトは。
「えーっと! 水無瀬家を呪っていたというか、この場合は呪わされていたって言ったほうがいいのかもしれないけど、あの招き猫って三毛猫でしたよね。つまり、あれはウメがいなくなった後に作られたものなんでしょうか?」
足型なんかついてましたっけ、とたずねると、首輪の下に付いていましたよ、と機嫌よく真久部さんは教えてくれる。
「猫八が会心の作には、鈴代わりのようにそこに付いていたというよ。それはウメが特に気に入った印だと、猫八は喜んでいたといいます」