第103話 お地蔵様もたまには怒る 22

文字数 2,356文字

怒ってた──?

「──昨日お会いした時は全然そんなふうに見えなかったけど……、ニヤ、じゃなくてニコニコしてても、実はご機嫌最悪だったということですか……」

笑ってるけど実は怒ってるって人、たまにいる。普通に怒るより、そういう人の怒りは根深く、激しい。

うちの顧客の一人、小野寺のご隠居もそうだ。丹精していた蘭を鉢ごと盗まれた時、「綺麗な花に誘われてしまったのかねぇ」とにこにこ笑ってたけど、自ら動いて聞き込み開始、当時越してきたばかりだった一家のまだ若い母親が犯人だと特定。被害届も出して、しっかり相手を窃盗で訴えたって後から聞いた。

──謝れば、被害届も取り下げるつもりだったんだけどねぇ、欲しいなら、言えば株も分けてやったのに。衣食足りても礼節を知らず、人の道から外れる者は、もはや畜生と変わりない。そういう輩には容赦しないことにしてるんだ。痛い思いのひとつもしなければ、また同じことを繰り返すだろうからねぇ。犬猫と同じだよ。いや、犬猫のほうが素直なぶん、ずっとマシだな。

穏やかに微笑みながら、離婚になったようですねぇ、なんてよその国の話でもするように語る姿を見て、この人は怒らせちゃなんねぇ、と震えたもんだけど──。

「伯父はね、普段は飄々としてるくせに、一旦怒ると相手をとことん追い詰めるまで止めない、そういう苛烈な面を持っているんだよ。いつもだいたい機嫌良さそうに笑ってるし、殆どのことは面白がるだけで終わりだから分かりにくいけれど、稀にこういうことがある。何があの人の逆鱗に触れるのか、甥の僕にも未だに分からないんです」

伯父さんも怒らせちゃならねぇ人種だったんだな……。

真久部さんだって、よく読めない笑みを浮かべてるけど、伯父さんほどじゃないかもしれない。最近はなんとなくだけど、機嫌のいい悪いくらいは分かるようになってきたような……、今は特に落ち込んで、こころなしか肩がしょぼんと……伯父さんが俺にしたことを申し訳ないと、まだ気に病んでいるのか……。

「ま、まあ、伯父さん、親切なところもあるじゃないですか! 今回のことだって、ご本人的には好意だったようだし」

ちょっと、というか、全然全くいらないお世話だったけど。いくら西洋ダンス詰め合わせを奉納したからって、別に手妻地蔵様のイリュージョンでそれを見たかったわけじゃない。しかも危険を冒してまで。だいたい、アステア・俺とかロジャース・俺とか誰得だよ? ──元妻とかにはウケそうだけど。

「何でも屋さん……」

残念な子を見るような眼で見られてしまう。甘いって言いたいんだろうな。
でもさぁ。

「通り雨みたいなもんだし」

「通り雨……?」

「そう。降って来るもんはしょうがないんですよ。考えても無駄っていうか、──だって、ほんと、しょうがないと思いませんか?」

自然現象みたいなもんで、遭っちゃったらもう濡れるしかないみたいな。豪雨とか大地震とか、そこまで被害の大きいもんじゃないんなら、気にしないのが吉。

「……何でも屋さんは変なところで物分りがいいんですね」

伯父に対して、僕はそこまで達観出来ません、と真久部さんは言う。

「確かに、あの人は通り雨なのかも……。土砂降りのね。それで風邪を引く人だっているんだから、大迷惑ですよ。──どこかの海の上ででも勝手に降ってればいいのに」

甥っ子ったら辛辣。まあ、それが肉親と他人との違いなんだろうけど。他人だから、大変ですね、のひと言で終わるわけでさ、俺だって身内にああいう人がいたら──まあ、辛辣にもなると思う。よし、話題を変えよう。真久部さんの精神衛生のために。でも、どんな? 思いつかない……。

「そう風邪ね、風邪……ああ! 風邪引かないようにってことだったのかな。昨日伯父さん、ラーメン奢ってくれたんですよ。それがすっごく美味しくて! 今まで食べたことないし、これからもそれ以上の味には出会えないだろうって断言しちゃうほどの美味しさでした!」

最高でしたよ、と言いながら、至福の味を思い出す。あのとろけるようなスープ……。いかん、涎が。

「ラーメン?」

「ほら、そこの駅前のチンとんシャンってラーメン屋。営業してるとこ見たことなかったんですけど、あ、真久部さんは食べたことあるんですよね?」

真久部さんは変な顔をした。

「そこって、ずっと閉まってるとこでしょ? いや、僕は開いてるの見たことないですよ」

「え……? 伯父さんは真久部さんとも来ることがあるって……」

嘘だったのかな? でも、なんでそんな嘘……。

「伯父と一緒にラーメンを食べに行くことはありますよ」

「ですよね?」

「でも、それはこの駅前じゃなくて、伯父の住んでる街での話です。伯父にはあまり店に来られたくないので、用があれば僕のほうから出向くことにしてますから」

「あー……、じゃあ伯父さんの勘違いかな?」

「あの人も、そろそろボケてきたのかもしれませんね」

おぉーう、さらっと毒舌ぅ。

「あはは……まあ、今度もしチンとんシャンが開いてるのを見つけたら、是非入ってみてください。もうね、とろけるスープと絡む麺の噛みごたえが癖になりそうで、チャーシューもチャーシューっていうより肉だけどチャーシューで、って、自分でも何言ってるのか分からなくなってきたけど、それくらい美味しいんですよ。なのに、たったの五百円。伯父さんは原価のほうが高くつく、趣味みたいな店だって言ってましたけど」

一日限定十食ですって、とつけ加えると、話の途中から何故か難しい顔になっていた真久部さんは、ぽつりと呟くように言った。

「……そのラーメン、食べたことがあるかもしれません」
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