第26話 転ばせ桜 後編

文字数 2,191文字


薄い笑みを浮かべながら、黙って聞いてくれる店主に気を良くし、つい余計なことをしゃべってしまう。

「そのチャーちゃんっていうのは、シャム猫の雑種みたいなんですけどね。柄は完全にシャム猫なのに、顔が丸いもんだから豆狸みたいで。証城寺の狸囃子みたいに腹鼓打ちそうな愛嬌があるのに、なんかクールな性格してるんですよ」

あれから、念のため用意していた猫用散歩リードをチャーちゃんに装着し、抱っこして賀茂さんちに連れて帰ったんだけど、途中、暴れるでもなし。温和しく俺に抱っこされたまま、心配していた飼い主の顔を見て「にゃ」と鳴いたのみ。で、するんと腕の中から飛び降りると、すたすたと家の中に入って行って、餌入れの前にじっと座って無言で餌を催促していた。

賀茂さんは「本当に、チャーちゃんたら! もうお外には出さないからね!」と怒ってたけど、よほど安堵したためだろう、ほーう……と、深い深い溜息をついていた。

「いや、ホント、飼い主の心猫知らずで」

困りますよね。そんなふうに言いながら、俺は考えていた。

今回、チャーちゃんが温和しい子だったからリードで良かったけど、早く壊れた猫用キャリーバッグを新調しなくちゃなぁ。前回保護した迷い猫が暴れて暴れて……、あんまり安いのはやっぱり壊れやすいし、うーん、どこで買うのが安いだろう?

せこい設備投資に悩んでいると、店主が呼びかけてきた。

「何でも屋さん」

「はい?」

「猫の心を、飼い主も知らないわけですよ」

「へ?」

店主は薄い笑みをさらに薄め、読めない表情でわけの分からないことを言う。

「そのチャーちゃん、飼い主さんに来て欲しかったみたいですけど」

「え? 賀茂さんも探してましたよ。俺とは別の方角に行ってただけで」

「──まあ、きみだからこそ気づいたというか、見つけられたというか……」

何を?

意味が分からなくてぽかんとする俺を置き去りに、店主は続ける。 

「きっと、桜が先か、石像が先か……、分からないくらい古いものだろうね」

「え? ああ、道祖神のことですか、さっきの話の。って、あれは道祖神でいいのかな? お地蔵さんかどっちか分からなくて」

「お地蔵さんではないと思うよ」

まあ、きみには何でもいいか。店主はそんなふうに言う。

「美しいものに目を奪われて、それ以外見えなくなってしまう……誰でもね、人は」

そして、その足元に気を配れる者は少ない。──呟くように続けた言葉の意味は、俺にはよく聞き取れなかった。

「知ってますか? 何でも屋さん」

「何を?」

「あの<転ばせ桜>の土手の木は、初夏になると花を咲かせるんです。地味な花でね、気づきにくいけど──」

「ああ、あれはミズキっていうんですよ。ハナミズキとは全然違うんだけど」

俺の言葉に、店主は軽く目を見張った。

「確かに地味だなぁ、って、あの桜、そんな名前が付いてるんですか?」

<転ばせ桜>。まんまじゃないか。思わず感心してしまった。あの見事な桜に見惚れるあまり、足元が疎かになる人続出! は言いすぎだけど、転ぶ人は多いもんな。このあいだ自転車でも転んでたし。

「……」

無言で俺を見ていたかと思うと、何故か店主はくすくす笑い出した。

「さすがだなぁ、何でも屋さん」

「へ?」

「分からなければいいよ」

ひとしきり笑ってから、店主は言った。

「今日は店番をお願いするつもりだったけど、予定変更しよう。きみにはこれから──」







俺は今、ワンカップ酒とぼた餅、それに線香を持ってあの道祖神? の前に佇んでいる。慈恩堂の店主に依頼されたんだ。あの人、時々わけの分からないことさせるからなぁ……。仕事は仕事だから別にいいけど。

桜もほとんど散って大量の花びらが地面に落ち、小さな石像は埋もれかけている。乾いて茶色くなりかけている花びらを手で除け、まるで溺れそうにも見えていた石像を救出した。その前の地面も軽く払い、持ってきたものを供える。

ライターで線香に火を点け、合掌し──

それから線香が燃え尽きるまで、その場でぼんやり待った。



──翌日、供え物の回収に行ったら、酒もぼた餅も消えていた。ぼた餅はカラスあたりがさらって行ったのかもしれない。酒は……、あんまり考えるのは止めておこう。真久部さんが俺にやらせることって意味不明なことが多いし。

考えたら負けだ。うん。

「って、こら、チャーちゃん?」

いつの間にか、またチャーちゃんが<転ばせ桜>の下に。

「にゃ」

「にゃ、じゃないよ。また外に出ちゃったのか? お家に帰ろう。な? 賀茂さんが心配するじゃないか」

にゃ、と返事するチャーちゃんを、おれはそっと捕まえて抱っこしたのだった。







 くすくすくす くすくすくす

 転ばすぞ 転ばすぞ
 すってんころりん 転ばすぞ 
 次の春にも転ばすぞ

 くすくす くすくす くすくすす

 あれ こっち見た
 それ 知っていた

 忘れて 忘れて なかったか

 それなら許そう 許してやろう
 覚えているなら 勘弁しよう

 忘れるな 忘れるな
 桜だけではないことを

 忘れるな 美しくなくも 目立たぬも
 そこに かしこに あるのだから 





おわり
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み