第78話 秋の夜長のお月さま 16
文字数 2,511文字
それにしても、冬の布団はどうしてあんなに離れがたいんだろう、いや、暁も覚えることの出来ない春の布団が最強か、なんてことを考えてたら、訊ねられた。
「竜と目が合った時のことですけど……」
「はい」
「その時、何を思いました?」
何を、って……銀色だー、とか以外にってこと?
「綺麗だとか、カッコイイとか、凄いとか──あの時は全く現実感が無くて、単純に賞賛してたと思います。手妻地蔵様の影響下にあったからでしょうか? 正気だったら──我に帰ったら恐ろしいと感じたでしょうけど」
いきなりあんなでっかい生き物(?)が空を飛んでたら、びっくりする以前に怖いだろう。腰を抜かすくらいでは済まないはずだ。竜なんて普通は絵とか擬似映像で見るもんだし。現実にいたら、ゴジラなみに恐ろしくないか? 人智を超えた存在って、そういうもんだと思う。
「他には?」
「あの辺りを守護する竜神様なんだな、って」
まさか、自分の持ってる鞄の中から現れたなんて思いもしないしさ。何だか分からない怖いものから助けてくれた超存在なんだから、そう感じるのは自然だと思うんだ。
「──それかもしれませんね」
それ、って何だ? 内心首を捻っていると、店主は考えるように一度目を閉じた。
「昔、竜に憧れて格好だけ真似て月夜に泳ぎ出した時は、ただ驚かれて怖がられて気味悪がられるだけだったけれど、竜になったとたん、純粋に賞賛されて、神様だとまで思われて。だから──そう成ったんじゃないかと僕は思います」
「そうなった?」
「そのように成った、という意味です。きみが無意識に持っていた竜神のイメージ、土地の守護者。それが形を与えたんですよ。畏れ、敬い、素直な憧れ、感謝、そして肯定。そのようであるのだから、そのようであれ、と」
幼子にキラキラの目で見上げられて、知らん顔して逃げられますか? と店主は言う。
「幼子って……」
俺のことかい。
「あの自在置物が作られてから、二百数十年経っています。あれは作られてすぐに性が生まれたようですから、我々なんて子供に見えてもしょうがないでしょう」
そういえば……、江戸時代が終わってからでも百五十年ほど経ってるんだよな。あれが作られたらしい江戸中期っていったら、三百年近く前になるんじゃないかな? 何か歴史の重みを感じる……。
「分かりやすく言うと、幼子に『小父さん凄い!』って尊敬の目で見られので、いい格好したくなった、ということです。それと、さっききみが言ったように、長年入っていた体は居心地がいい、ということもあるのかもしれません……」
それならもう、心配ないかもしれませんね、と店主は呟いた。
「粗末に扱わなければ、あれはそのまま土地の守り神になるでしょう。萱野さんなら大切にしてくれるでしょうし……」
うーん、と店主はさらに考えを凝らしている。
「今はまだ竜神もどきですが……そうやって修行を積めばいつかは本当の竜神様になれるんじゃないかなぁ……。何でも屋さんの目撃証言から推測すると、もうあの<悪いモノ>は二度と現れることもないでしょうし」
満月の夜でも煙草持たずに外歩いて平気、らしい。
「あ……そうか。俺はそういう演出のイリュージョンだと思ってたけど、本当に食べちゃってたんですよね」
ってことは、あの断末魔は本物……幻聴じゃなかったのか。今更ながらに恐ろしくなる。思い出したくない。両耳を押さえて「あー!」って言いたい! 一人じゃないからしないけど。
「……じゃあ、めでたしめでたし、ってことでいいですか?」
もう現れるのは稀になっていたかもしれないけど、人の心を喰らう化け物はいなくなり、代わりに土地の守り神に成り得る存在が誕生した。いいことずくめ、なんじゃあ?
「そう、なのかなぁ……そう言っていいんでしょうけど、複雑な気分です」
伯父のお節介が役に立つなんて初めてかもしれない、と店主はこぼす。
「自在置物の取り扱い方を、萱野さんに変えてもらわないといけません。今までと違って、積極的に月光を当ててもらわないと。水は……雨の日に細く窓を開けるくらいでもいいか……」
また深く考え込む様子で、店主は空 を見つめている。
「あ、そうだ、何でも屋さん」
「はい」
「あの自在置物は、きみのイメージを最初に受け取って今の形になったようだから、時々、心の中だけでいいですから、昨夜の竜の姿を思い出して、『登竜門を登りつめた守護竜神様、素敵! カッコイイ! いつもみんなを護ってくださってありがとうございます!』みたいな、こう、おだてるような、ヨイショするようなことを考えてください。きっと気持ちよく乗せられてくれるでしょう」
「そ、そんなのでいいんですか?」
「嘘じゃないでしょう?」
「ま、まあ……」
あの時、だいたい似たようなことを考えていたとは思う。もっと素直な気持ちだったけど……言葉にすると確かに、素敵! カッコイイ! ありがとう! だ。夢現 の世界だったけど。
「思い出した時だけでいいんですよ。本人がせっかく竜神であろうとしているところなんですから、励ましが必要です」
あなただって娘さんに『パパ、すごーい!』って目をキラキラさせて言われたら、『よーし、パパ頑張っちゃうぞー』ってなるでしょう、とセリフ棒読みで言われてしまった。
「今はまだ、あなた以外にあれが竜だということを誰も知らないですからね。萱野さんには伝えますが、彼は竜の姿を見ていないので、単にそういう謂れがあるんだと思うだけでしょうし。それでも萱野さんなら大丈夫でしょうけど」
あの自在置物を売る相手に関しては、慎重に人選しましたからね、と店主は言う。
「真久部さんがそう言うならそうなんでしょうけど……今のところはただの竜で竜神もどきであったにしても、それ普通の家に置いていていいんでしょうか? 祠とか作って祀ったほうが……」
いいんじゃないかな? いくら乗せられやすいっていっても、何というか、常の存在ではないんだし。
「竜と目が合った時のことですけど……」
「はい」
「その時、何を思いました?」
何を、って……銀色だー、とか以外にってこと?
「綺麗だとか、カッコイイとか、凄いとか──あの時は全く現実感が無くて、単純に賞賛してたと思います。手妻地蔵様の影響下にあったからでしょうか? 正気だったら──我に帰ったら恐ろしいと感じたでしょうけど」
いきなりあんなでっかい生き物(?)が空を飛んでたら、びっくりする以前に怖いだろう。腰を抜かすくらいでは済まないはずだ。竜なんて普通は絵とか擬似映像で見るもんだし。現実にいたら、ゴジラなみに恐ろしくないか? 人智を超えた存在って、そういうもんだと思う。
「他には?」
「あの辺りを守護する竜神様なんだな、って」
まさか、自分の持ってる鞄の中から現れたなんて思いもしないしさ。何だか分からない怖いものから助けてくれた超存在なんだから、そう感じるのは自然だと思うんだ。
「──それかもしれませんね」
それ、って何だ? 内心首を捻っていると、店主は考えるように一度目を閉じた。
「昔、竜に憧れて格好だけ真似て月夜に泳ぎ出した時は、ただ驚かれて怖がられて気味悪がられるだけだったけれど、竜になったとたん、純粋に賞賛されて、神様だとまで思われて。だから──そう成ったんじゃないかと僕は思います」
「そうなった?」
「そのように成った、という意味です。きみが無意識に持っていた竜神のイメージ、土地の守護者。それが形を与えたんですよ。畏れ、敬い、素直な憧れ、感謝、そして肯定。そのようであるのだから、そのようであれ、と」
幼子にキラキラの目で見上げられて、知らん顔して逃げられますか? と店主は言う。
「幼子って……」
俺のことかい。
「あの自在置物が作られてから、二百数十年経っています。あれは作られてすぐに性が生まれたようですから、我々なんて子供に見えてもしょうがないでしょう」
そういえば……、江戸時代が終わってからでも百五十年ほど経ってるんだよな。あれが作られたらしい江戸中期っていったら、三百年近く前になるんじゃないかな? 何か歴史の重みを感じる……。
「分かりやすく言うと、幼子に『小父さん凄い!』って尊敬の目で見られので、いい格好したくなった、ということです。それと、さっききみが言ったように、長年入っていた体は居心地がいい、ということもあるのかもしれません……」
それならもう、心配ないかもしれませんね、と店主は呟いた。
「粗末に扱わなければ、あれはそのまま土地の守り神になるでしょう。萱野さんなら大切にしてくれるでしょうし……」
うーん、と店主はさらに考えを凝らしている。
「今はまだ竜神もどきですが……そうやって修行を積めばいつかは本当の竜神様になれるんじゃないかなぁ……。何でも屋さんの目撃証言から推測すると、もうあの<悪いモノ>は二度と現れることもないでしょうし」
満月の夜でも煙草持たずに外歩いて平気、らしい。
「あ……そうか。俺はそういう演出のイリュージョンだと思ってたけど、本当に食べちゃってたんですよね」
ってことは、あの断末魔は本物……幻聴じゃなかったのか。今更ながらに恐ろしくなる。思い出したくない。両耳を押さえて「あー!」って言いたい! 一人じゃないからしないけど。
「……じゃあ、めでたしめでたし、ってことでいいですか?」
もう現れるのは稀になっていたかもしれないけど、人の心を喰らう化け物はいなくなり、代わりに土地の守り神に成り得る存在が誕生した。いいことずくめ、なんじゃあ?
「そう、なのかなぁ……そう言っていいんでしょうけど、複雑な気分です」
伯父のお節介が役に立つなんて初めてかもしれない、と店主はこぼす。
「自在置物の取り扱い方を、萱野さんに変えてもらわないといけません。今までと違って、積極的に月光を当ててもらわないと。水は……雨の日に細く窓を開けるくらいでもいいか……」
また深く考え込む様子で、店主は
「あ、そうだ、何でも屋さん」
「はい」
「あの自在置物は、きみのイメージを最初に受け取って今の形になったようだから、時々、心の中だけでいいですから、昨夜の竜の姿を思い出して、『登竜門を登りつめた守護竜神様、素敵! カッコイイ! いつもみんなを護ってくださってありがとうございます!』みたいな、こう、おだてるような、ヨイショするようなことを考えてください。きっと気持ちよく乗せられてくれるでしょう」
「そ、そんなのでいいんですか?」
「嘘じゃないでしょう?」
「ま、まあ……」
あの時、だいたい似たようなことを考えていたとは思う。もっと素直な気持ちだったけど……言葉にすると確かに、素敵! カッコイイ! ありがとう! だ。
「思い出した時だけでいいんですよ。本人がせっかく竜神であろうとしているところなんですから、励ましが必要です」
あなただって娘さんに『パパ、すごーい!』って目をキラキラさせて言われたら、『よーし、パパ頑張っちゃうぞー』ってなるでしょう、とセリフ棒読みで言われてしまった。
「今はまだ、あなた以外にあれが竜だということを誰も知らないですからね。萱野さんには伝えますが、彼は竜の姿を見ていないので、単にそういう謂れがあるんだと思うだけでしょうし。それでも萱野さんなら大丈夫でしょうけど」
あの自在置物を売る相手に関しては、慎重に人選しましたからね、と店主は言う。
「真久部さんがそう言うならそうなんでしょうけど……今のところはただの竜で竜神もどきであったにしても、それ普通の家に置いていていいんでしょうか? 祠とか作って祀ったほうが……」
いいんじゃないかな? いくら乗せられやすいっていっても、何というか、常の存在ではないんだし。