第97話 お地蔵様もたまには怒る 16
文字数 2,298文字
「知人宅からの帰り道、いつも使う駅で電車待ちをしていると、馴染み の年代物のベンチと、もう使われてない窓口の大理石のカウンターが、ぽそぽそ話しかけてきたんだそうです」
──このあいだ、やまのなかのじぞうをぬすんだやつが、わしにすわってな……
──かばんにいれてころがされて、じぞさん、おこってた
そうかい。
──こんどは、まちなかのじぞうをぬすむって、けえたいでんわのあいてにな
──じぞさんおこってた
どこのだい。
──どこだったか、……の……じぞうっていってた
──じぞさんおこってた
いつって言ってたかい。
──ちょうどきょうのあしたのあくるひ
──よあけのばんに
「それを聞いた伯父が、車で送ってきてくれた現地の知人にメールで訊ねてみると、山の集落の古い墓からお地蔵様が盗まれて、騒ぎになったのは本当のことだという。これはいけないと伯父は焦ったそうで、知人に頼んでもう一度迎えにきてもらい、その足で手妻地蔵様のところまで連れて行ってもらったと言ってました」
駅の道具たちは置かれている場所柄、時間の感覚には優れているから、あの伯父も慌てたことでしょう、と真久部さんは言う。古道具の告げた「ちょうどきょうのあしたのあくるひ」とは、昨日のことだったから、と。
えーと……。
「その駅って、前に俺が自在置物を届けに行ったあの時の……」
「ええ。手妻地蔵様の、一番の最寄り駅です」
駅舎の隅にあったあのベンチとか、窓口のカウンター、しゃべっちゃうんだ……。
……
……
以前、慈恩堂のお遣いで、そこから歩いて行けなくもない距離に住む顧客の家まで、品物を届けに行ったことがある。その際、大昔からそこに巣食っていたという“悪いモノ”に、運悪く引っ張られ、道に迷わされて、危うく魂を喰われるところだったんだけど、それを助けてくれたのが手妻地蔵様だったんだ。
満月の光を味方に付けた、手妻地蔵様の手妻──イリュージョンは見事なものだった。
「そうそう、何でも屋さんが知ってる頃の手妻地蔵様は、吹きっさらしの雨ざらしで、地域の人にもすっかり忘れられたような状態だったけど、今では祠も建てられて、立派にお祀りされているようですよ」
「え?」
「想像してもみてください、長年道端の荒地にあって、その辺の石ころと区別もつかなかったものが、ある日突然、きちんと磨かれ祀られたお地蔵様として<出現>したんだよ? 普通は驚くでしょう」
何でも屋さんの清掃上手が功を奏したんですよ、と真久部さんは微笑む。
「……」
お礼の清掃、俺、頑張ったもんなぁ……。真久部さんから預かった花立てだって、きちんと設置してきたんだ。周辺の草や落ち葉も取り除いて、長年の泥砂汚れを落とし、最後に色とりどりの花を供えて。
そんなふうに、いきなりぴかぴかになった手妻地蔵の姿に驚いた奇特な人が、「こんなところにお地蔵様が。知らなかったとはいえ申しわけない」と祠を建ててくれたのだという。
「それは……いいことですね」
ずっと昔からそこにあって、通る人を“悪いモノ”から護っていてくれたお地蔵様なんだから、やっぱり地域の人に大事にされていてほしいと思う。──俺がお参りしようにも、ここからは遠いからなぁ……。
「本当に。そうそう、誰が言い出したのか、手妻地蔵様にお参りすると踊りが上達するらしい、となっていてねぇ、今では芸事全般にご利益のあるお地蔵様として、密かに人気らしいですよ」
これまでとは役割が全く違うけれど、元々あのお地蔵様は踊りが好きだったようだから、という真久部さんの言葉を聞いて、俺はふと何かが閃いたような気がした。
「ねえ、真久部さん……」
あの、月の光のイリュージョン。
「何でしょう?」
「俺、あの時、手妻地蔵様に俺の幻がどじょうすくい踊るのを見せられたんですけど」
俺を金縛りにしておいて、俺そっくりの幻に踊らせ、そっちに“悪いモノ”を喰い付かせた。
「後日、真久部さんが依頼にしてくれたお礼の清掃に行った時……タブレットで西洋のダンスを見せた話、しましたよね?」
俺と同じように手妻地蔵様に助けてもらった人たちは、お礼にどじょうすくいや阿波踊りなど、得意の踊りを奉納したという。俺もそうしたかったけど、残念ながら盆踊りすら知らなかったから、義弟の智晴に頼んで西洋の踊りを色々編集してもらったやつを作って、見てもらったんだ。お地蔵様にはそういうのは珍しかろうと思って。
「現代ダンスの変遷みたいなやつでしたっけね」
覚えてますよ、と真久部さんは頷く。
「最初がフレッド・アステアのタップダンスだったんですけど──」
俺は昨夜の、夢なのかなんなのか分からないアステア・俺とロジャース・俺の話をした。
「あれって、やっぱり手妻地蔵様の──?」
伯父さんが借りてきて、俺が置いてきたあの石の茶碗、その効果なのかと訊ねてみる。──実はもしかしたら、茶碗がイリュージョンのタネだったりして。高品質月光子空中投影装置! って、現実にはそんなもん存在しないだろうけど。
「その通りと言えばその通りなんだけど、ね」
真久部さんはまた溜息をつく。
「借りてきたって伯父は言うけど、一緒に来た、っていうほうが正しいかもしれない」
「へ?」
一緒に、来た? 誰が?
「あの茶碗には、手妻地蔵様がくっついて来てたらしいです」
なんですと?
──このあいだ、やまのなかのじぞうをぬすんだやつが、わしにすわってな……
──かばんにいれてころがされて、じぞさん、おこってた
そうかい。
──こんどは、まちなかのじぞうをぬすむって、けえたいでんわのあいてにな
──じぞさんおこってた
どこのだい。
──どこだったか、……の……じぞうっていってた
──じぞさんおこってた
いつって言ってたかい。
──ちょうどきょうのあしたのあくるひ
──よあけのばんに
「それを聞いた伯父が、車で送ってきてくれた現地の知人にメールで訊ねてみると、山の集落の古い墓からお地蔵様が盗まれて、騒ぎになったのは本当のことだという。これはいけないと伯父は焦ったそうで、知人に頼んでもう一度迎えにきてもらい、その足で手妻地蔵様のところまで連れて行ってもらったと言ってました」
駅の道具たちは置かれている場所柄、時間の感覚には優れているから、あの伯父も慌てたことでしょう、と真久部さんは言う。古道具の告げた「ちょうどきょうのあしたのあくるひ」とは、昨日のことだったから、と。
えーと……。
「その駅って、前に俺が自在置物を届けに行ったあの時の……」
「ええ。手妻地蔵様の、一番の最寄り駅です」
駅舎の隅にあったあのベンチとか、窓口のカウンター、しゃべっちゃうんだ……。
……
……
以前、慈恩堂のお遣いで、そこから歩いて行けなくもない距離に住む顧客の家まで、品物を届けに行ったことがある。その際、大昔からそこに巣食っていたという“悪いモノ”に、運悪く引っ張られ、道に迷わされて、危うく魂を喰われるところだったんだけど、それを助けてくれたのが手妻地蔵様だったんだ。
満月の光を味方に付けた、手妻地蔵様の手妻──イリュージョンは見事なものだった。
「そうそう、何でも屋さんが知ってる頃の手妻地蔵様は、吹きっさらしの雨ざらしで、地域の人にもすっかり忘れられたような状態だったけど、今では祠も建てられて、立派にお祀りされているようですよ」
「え?」
「想像してもみてください、長年道端の荒地にあって、その辺の石ころと区別もつかなかったものが、ある日突然、きちんと磨かれ祀られたお地蔵様として<出現>したんだよ? 普通は驚くでしょう」
何でも屋さんの清掃上手が功を奏したんですよ、と真久部さんは微笑む。
「……」
お礼の清掃、俺、頑張ったもんなぁ……。真久部さんから預かった花立てだって、きちんと設置してきたんだ。周辺の草や落ち葉も取り除いて、長年の泥砂汚れを落とし、最後に色とりどりの花を供えて。
そんなふうに、いきなりぴかぴかになった手妻地蔵の姿に驚いた奇特な人が、「こんなところにお地蔵様が。知らなかったとはいえ申しわけない」と祠を建ててくれたのだという。
「それは……いいことですね」
ずっと昔からそこにあって、通る人を“悪いモノ”から護っていてくれたお地蔵様なんだから、やっぱり地域の人に大事にされていてほしいと思う。──俺がお参りしようにも、ここからは遠いからなぁ……。
「本当に。そうそう、誰が言い出したのか、手妻地蔵様にお参りすると踊りが上達するらしい、となっていてねぇ、今では芸事全般にご利益のあるお地蔵様として、密かに人気らしいですよ」
これまでとは役割が全く違うけれど、元々あのお地蔵様は踊りが好きだったようだから、という真久部さんの言葉を聞いて、俺はふと何かが閃いたような気がした。
「ねえ、真久部さん……」
あの、月の光のイリュージョン。
「何でしょう?」
「俺、あの時、手妻地蔵様に俺の幻がどじょうすくい踊るのを見せられたんですけど」
俺を金縛りにしておいて、俺そっくりの幻に踊らせ、そっちに“悪いモノ”を喰い付かせた。
「後日、真久部さんが依頼にしてくれたお礼の清掃に行った時……タブレットで西洋のダンスを見せた話、しましたよね?」
俺と同じように手妻地蔵様に助けてもらった人たちは、お礼にどじょうすくいや阿波踊りなど、得意の踊りを奉納したという。俺もそうしたかったけど、残念ながら盆踊りすら知らなかったから、義弟の智晴に頼んで西洋の踊りを色々編集してもらったやつを作って、見てもらったんだ。お地蔵様にはそういうのは珍しかろうと思って。
「現代ダンスの変遷みたいなやつでしたっけね」
覚えてますよ、と真久部さんは頷く。
「最初がフレッド・アステアのタップダンスだったんですけど──」
俺は昨夜の、夢なのかなんなのか分からないアステア・俺とロジャース・俺の話をした。
「あれって、やっぱり手妻地蔵様の──?」
伯父さんが借りてきて、俺が置いてきたあの石の茶碗、その効果なのかと訊ねてみる。──実はもしかしたら、茶碗がイリュージョンのタネだったりして。高品質月光子空中投影装置! って、現実にはそんなもん存在しないだろうけど。
「その通りと言えばその通りなんだけど、ね」
真久部さんはまた溜息をつく。
「借りてきたって伯父は言うけど、一緒に来た、っていうほうが正しいかもしれない」
「へ?」
一緒に、来た? 誰が?
「あの茶碗には、手妻地蔵様がくっついて来てたらしいです」
なんですと?