第69話 秋の夜長のお月さま 7
文字数 2,233文字
「何でも屋さんは、昨夜のソレが何だったのか、自分は何をしたのか、それが知りたいということでしたが──」
「はい……」
もう、分かったけどさ。
「人の心を喰らう<悪いモノ>に引っ張られて惑わされた俺を、お地蔵様が助けてくださったんですね。俺のふかした煙草の煙を使って。つまり、俺は真久部さんの書いてくれた指示書通りに行動して、助けてもらうために必要な決まりごとを守ったと──」
<悪いモノ>が何なのかまでは聞くまい。店主もそこまでは教えてくれなさそうだし。別に知りたくないし。
「そういうことです」
店主は頷いた。
「どうして先に教えておいてくれなかったんですか?」
それは聞いておきたかった。
「知ってたら、駅でタクシー拾ったのに──」
店主は首を振る。
「バスの代わりに、そのタクシーがエンストしただけですよ、きっと」
「え……?」
「ああいったモノの力の揮い方に、僕も詳しいわけじゃありませんが、電車が遅れたあたりからもう、きみは流れに乗せられてたんだと思います」
「そんな……じゃあ俺はやっぱり離岸流に……」
どんぶらこ、どんぶらこと沖に連れ去られる自分を想像して青くなっていると、店主は「離岸流……?」と呟いて少し笑った。
「離岸流とは、なかなか的確なたとえですね。ええ、確かにあれはそういうものです。いつの間にか引きずり込まれてるんですよ」
しかも、そのことを自覚出来なくなってしまう、と店主は言う。
「だけど、もし流れに乗せられても、お地蔵様がそれをインターセプトしてしまうので……結局はそのまま流されるのが正解なんです。もしも最初から<悪いモノ>に引っ張られることを知っていて警戒していたら、そうならないように足掻こうとするでしょう? つまり、流れに逆らうことになってしまいます。結果、その流れを利用して導くお地蔵様の手から逸れてしまう。暴れれば暴れるほど、蜘蛛の糸に捕われて、ぐるぐる巻きになった羽虫と同じ運命を辿りますよ」
だから、知らなくて良かったんです、と真顔で言うので、俺はコクコクと頷いていた。今考えてみたら、俺、ものすごくのほほんと道に迷ってたもんな……。焦って走ったりしてたら、ドツボだったのかも。
「あのお地蔵様は、初めの頃は月光地蔵と呼ばれていたそうです。月の明るい夜、<悪いモノ>に怯えながら歩く人の目にはことさら明るく心強く見えたそうで……それもお地蔵様の幻術だったんでしょうか」
良い投影先が得られず、灯台代わりにしかそれを使えなかったんでしょうね、と店主は推測する。
「<悪いモノ>に力を与える月光は、お地蔵様にも幻術を行使する上で必要だったんでしょう。適切な投影先さえあれば、満月の夜でも<悪いモノ>に魅入られた人を助けることが出来た。──煙草の煙という良いスクリーンを得られるようになってからは、お地蔵様も張り切ったことでしょう。月の一番明るい光を使ってクォリティの高い幻術を行えるんですから」
「あー……タネは分からないけど、仕掛けは必要だったんですね」
タネは……お地蔵さんの不思議パワー。仕掛けが煙草の煙。うん、本当に手品みたい。
「そうですね。そんなこともあって、あのお地蔵様はいつしか手妻地蔵、と呼ばれるようになったそうです。今でも、名前だけは伝わっているようですね」
手妻とは手品のことだ。マジックだ。お地蔵さんが使うのは幻術だから、今風に言うとイリュージョン。
「凄腕の手妻師。本当に……」
俺は、あの<俺>の輝くような笑顔を思い出した。楽しそうにどじょうすくいを踊っていた、幻。
「俺の幻は、どじょうすくいを踊ってましたよ」
「それはきっと、きみの前の人が助けられたお礼にどじょうすくいを踊ったんでしょう」
お地蔵様の幻術は、奉納された踊りが基本になってるらしい。どじょうすくいだけでなく、盆踊りバージョンや阿波踊りバージョンもあるという。
「だとすると、俺も何か踊りを奉納したほうがいいのかな……」
コロブチカとマイムマイムしか踊ったことないけど。いや、でもあれって一人で踊るもんじゃないしなぁ。うーん……。どじょうすくい、練習する?
「踊りは必須じゃないようですよ」
「そうなんですか?」
ちょっと安心した。最悪、ラジオ体操を第二まで、キレッキレに練習してからお披露目するしかないかと思ってしまった。体操選手がするラジオ体操、動きがきれいでダンスみたいだと思うからさ。
「ええ。お酒も、別に上げなくてもお地蔵様は怒りません。でも、それは礼儀としてどうかと思われるので、用意しておいたんです」
そりゃあそうだ。俺はうんうん頷いて同意を示した。
「塩は、指示書の通りにアレの出た場所に撒いて、自分の肩と背中と足元にも掛けておきましたけど……」
「それで大丈夫です。お地蔵様の茶碗に注いだお酒の残りは、ちゃんと飲み干しましたね?」
「もちろんです」
「塩と、お地蔵様のお下がりの清酒、これで<悪いモノ>との縁は切れました。今後二度と引っ張られることはありませんよ」
はっきりそう言ってもらえて、漠然とした不安みたいなのが消え去った。
「はあ……それにしても、お地蔵様のイリュージョンはすごかったですよ。俺の幻はとても上手などじょうすくいの踊り手だったし、空には竜まで現れて……」
「竜?」
店主は驚いた声を上げた。
「はい……」
もう、分かったけどさ。
「人の心を喰らう<悪いモノ>に引っ張られて惑わされた俺を、お地蔵様が助けてくださったんですね。俺のふかした煙草の煙を使って。つまり、俺は真久部さんの書いてくれた指示書通りに行動して、助けてもらうために必要な決まりごとを守ったと──」
<悪いモノ>が何なのかまでは聞くまい。店主もそこまでは教えてくれなさそうだし。別に知りたくないし。
「そういうことです」
店主は頷いた。
「どうして先に教えておいてくれなかったんですか?」
それは聞いておきたかった。
「知ってたら、駅でタクシー拾ったのに──」
店主は首を振る。
「バスの代わりに、そのタクシーがエンストしただけですよ、きっと」
「え……?」
「ああいったモノの力の揮い方に、僕も詳しいわけじゃありませんが、電車が遅れたあたりからもう、きみは流れに乗せられてたんだと思います」
「そんな……じゃあ俺はやっぱり離岸流に……」
どんぶらこ、どんぶらこと沖に連れ去られる自分を想像して青くなっていると、店主は「離岸流……?」と呟いて少し笑った。
「離岸流とは、なかなか的確なたとえですね。ええ、確かにあれはそういうものです。いつの間にか引きずり込まれてるんですよ」
しかも、そのことを自覚出来なくなってしまう、と店主は言う。
「だけど、もし流れに乗せられても、お地蔵様がそれをインターセプトしてしまうので……結局はそのまま流されるのが正解なんです。もしも最初から<悪いモノ>に引っ張られることを知っていて警戒していたら、そうならないように足掻こうとするでしょう? つまり、流れに逆らうことになってしまいます。結果、その流れを利用して導くお地蔵様の手から逸れてしまう。暴れれば暴れるほど、蜘蛛の糸に捕われて、ぐるぐる巻きになった羽虫と同じ運命を辿りますよ」
だから、知らなくて良かったんです、と真顔で言うので、俺はコクコクと頷いていた。今考えてみたら、俺、ものすごくのほほんと道に迷ってたもんな……。焦って走ったりしてたら、ドツボだったのかも。
「あのお地蔵様は、初めの頃は月光地蔵と呼ばれていたそうです。月の明るい夜、<悪いモノ>に怯えながら歩く人の目にはことさら明るく心強く見えたそうで……それもお地蔵様の幻術だったんでしょうか」
良い投影先が得られず、灯台代わりにしかそれを使えなかったんでしょうね、と店主は推測する。
「<悪いモノ>に力を与える月光は、お地蔵様にも幻術を行使する上で必要だったんでしょう。適切な投影先さえあれば、満月の夜でも<悪いモノ>に魅入られた人を助けることが出来た。──煙草の煙という良いスクリーンを得られるようになってからは、お地蔵様も張り切ったことでしょう。月の一番明るい光を使ってクォリティの高い幻術を行えるんですから」
「あー……タネは分からないけど、仕掛けは必要だったんですね」
タネは……お地蔵さんの不思議パワー。仕掛けが煙草の煙。うん、本当に手品みたい。
「そうですね。そんなこともあって、あのお地蔵様はいつしか手妻地蔵、と呼ばれるようになったそうです。今でも、名前だけは伝わっているようですね」
手妻とは手品のことだ。マジックだ。お地蔵さんが使うのは幻術だから、今風に言うとイリュージョン。
「凄腕の手妻師。本当に……」
俺は、あの<俺>の輝くような笑顔を思い出した。楽しそうにどじょうすくいを踊っていた、幻。
「俺の幻は、どじょうすくいを踊ってましたよ」
「それはきっと、きみの前の人が助けられたお礼にどじょうすくいを踊ったんでしょう」
お地蔵様の幻術は、奉納された踊りが基本になってるらしい。どじょうすくいだけでなく、盆踊りバージョンや阿波踊りバージョンもあるという。
「だとすると、俺も何か踊りを奉納したほうがいいのかな……」
コロブチカとマイムマイムしか踊ったことないけど。いや、でもあれって一人で踊るもんじゃないしなぁ。うーん……。どじょうすくい、練習する?
「踊りは必須じゃないようですよ」
「そうなんですか?」
ちょっと安心した。最悪、ラジオ体操を第二まで、キレッキレに練習してからお披露目するしかないかと思ってしまった。体操選手がするラジオ体操、動きがきれいでダンスみたいだと思うからさ。
「ええ。お酒も、別に上げなくてもお地蔵様は怒りません。でも、それは礼儀としてどうかと思われるので、用意しておいたんです」
そりゃあそうだ。俺はうんうん頷いて同意を示した。
「塩は、指示書の通りにアレの出た場所に撒いて、自分の肩と背中と足元にも掛けておきましたけど……」
「それで大丈夫です。お地蔵様の茶碗に注いだお酒の残りは、ちゃんと飲み干しましたね?」
「もちろんです」
「塩と、お地蔵様のお下がりの清酒、これで<悪いモノ>との縁は切れました。今後二度と引っ張られることはありませんよ」
はっきりそう言ってもらえて、漠然とした不安みたいなのが消え去った。
「はあ……それにしても、お地蔵様のイリュージョンはすごかったですよ。俺の幻はとても上手などじょうすくいの踊り手だったし、空には竜まで現れて……」
「竜?」
店主は驚いた声を上げた。