第226話 子供の頃の体験
文字数 1,788文字
特に害も無ければ、大した益も無く、ちょっと煩わしいだけのね、とつけ加える。
「何でも屋さんと水無瀬さんから話を聞いて、僕も幾つか仮説を立てて行ったんですよ。そのうちの一番簡単な説が当て嵌まったので、ホッとしたというか、何というか。──だいたい、以前見た時だって、蔵自体にそんなに悪いものは感じなかったし……」
長年中の品物を守ってきた自負のようなものは、強く感じましたけどね、と真久部さんは軽く息を吐く。
「いつからそうだったのか、もちろんわかりません。でも、たぶん水無瀬さんの御祖父様くらいまでは、そういう“決まり事”はちゃんと伝わってたんじゃないかな? ──ああ、そうだ。何でも屋さんにも少しだけ、家宝のことを話したと水無瀬さんから聞いたんですが……」
問われて、思い出した。
「皿の話ですよね? 盗まれて──本体の皿は行方不明だとか」
で、庭の池で眠ってる金魚たちの中で、一番大きいやつがその皿から逃げた金魚だっていうんだよな……ファンタジーだ。
「聞いたのはそれくらいです。興味があるなら、慈恩堂さんにでも聞いてくれとのことでしたけど……」
すっかり忘れてた。っていうか、むしろ積極的に忘れるようにしてたかもしれない。
「そうでしたか──。じゃあ聞いてくれれば良かったのに」
そう言って、からかうように目だけで笑んでみせる。
「いやあ、はは……」
あの時は、そんなことより、多すぎる仕事料をもらったことのほうがずっと気になってたから、しょうがないんです。──怪しいからスルーしておこうとか、そんなこと考えてたわけじゃないですよ……?
「ふふ、いいんですよ」
俺の誤魔化し笑いに、全てわかっているというように慈悲くうなずいてくれる。
「いずれにせよ、あの段階では僕だって表層的なことしか知りませんでしたから。水無瀬さんも蔵については、ご父君から伝え聞いたことしかご存知でなかったですからね」
「……そういえば、あれは“泥棒製造機”なんだと、ずっと思い込んでらしたということでしたね」
それをぼやかして、婉曲に“難しい蔵”だと水無瀬さんは表現してたけど──、まさか、どこのご町内にも一人はいそうな、声がでかいだけの、ただの小うるさいオッサンみたいなもんだとは思わなかっただろうなぁ。
「まあねぇ……」
曖昧に微笑みながら、食後の甘いものでもどうですか、と菓子盆に盛ったお菓子をすすめてくれる。さすがに大満足の富貴亭のお弁当のあとだったので、ちょいと重い○セイのバターサンドはやめておき、軽めのラングドシャをいただいた。う、これも美味い。
バターのきいたサクサク生地にふっと気を取られていると、いつの間にかお茶が新しいものに取り替えられている。相変わらずの手早さにぼうっとしていると、「まあね、でも」と真久部さんが言葉を続けた。いかんいかん、ちゃんと聞かないと。半分齧ったラングドシャを持ったまま、俺はもぞもぞと座り直した。
「水無瀬さんの子供の頃の体験を聞いたら、そう思い込むのも無理もないと思いましたよ」
幼心にこびりついて、どうしても忘れられなかったとおっしゃってましたねぇ、と言いながら、菓子盆の中からホワイトチョコレートがかかったラスクを選んで、ぱしっと割った。
「まだ六つになったばかりの頃、地震のような家鳴りを聞いたんだそうです」
まあ、僕も“実験”で聞きましたけど、あれはなかなかに騒々しいですねと、隣のテレビがちょっと五月蝿いみたいな言い方で、特に感慨もなさそうに、割ったラスクをちまちまと唇に運んでいる。──ミシミシギシギシパシパシと、俺なんか思い出すだけでぞっとするんだけど、真久部さんは全然怖くなさそうだ。
「真夜中にねぇ。今にも家が崩れるかと思ったそうですよ」
小さい子供にとっては、それは充分な恐怖体験だったでしょうね、と添える。
「……」
いや、大人な俺でも洒落にならないくらい恐ろしかったですよ、真久部さん……子供だった水無瀬さんにしてみたら、それ以上だっただろうな……。
「目を覚まして布団で震えていると、お母様が様子を見に来てくれたということですから、夢ではないと思う──とご本人も自信なさそうでしたが。開いた障子越し、廊下を隔てた硝子窓から見える蔵の屋根が、ぼんやり光っていたのをよく覚えているそうです──その夜、水無瀬さんの叔父さん……お父様の弟さんが蔵から家宝の皿を盗んで逃げたのだとか」
「何でも屋さんと水無瀬さんから話を聞いて、僕も幾つか仮説を立てて行ったんですよ。そのうちの一番簡単な説が当て嵌まったので、ホッとしたというか、何というか。──だいたい、以前見た時だって、蔵自体にそんなに悪いものは感じなかったし……」
長年中の品物を守ってきた自負のようなものは、強く感じましたけどね、と真久部さんは軽く息を吐く。
「いつからそうだったのか、もちろんわかりません。でも、たぶん水無瀬さんの御祖父様くらいまでは、そういう“決まり事”はちゃんと伝わってたんじゃないかな? ──ああ、そうだ。何でも屋さんにも少しだけ、家宝のことを話したと水無瀬さんから聞いたんですが……」
問われて、思い出した。
「皿の話ですよね? 盗まれて──本体の皿は行方不明だとか」
で、庭の池で眠ってる金魚たちの中で、一番大きいやつがその皿から逃げた金魚だっていうんだよな……ファンタジーだ。
「聞いたのはそれくらいです。興味があるなら、慈恩堂さんにでも聞いてくれとのことでしたけど……」
すっかり忘れてた。っていうか、むしろ積極的に忘れるようにしてたかもしれない。
「そうでしたか──。じゃあ聞いてくれれば良かったのに」
そう言って、からかうように目だけで笑んでみせる。
「いやあ、はは……」
あの時は、そんなことより、多すぎる仕事料をもらったことのほうがずっと気になってたから、しょうがないんです。──怪しいからスルーしておこうとか、そんなこと考えてたわけじゃないですよ……?
「ふふ、いいんですよ」
俺の誤魔化し笑いに、全てわかっているというように慈悲くうなずいてくれる。
「いずれにせよ、あの段階では僕だって表層的なことしか知りませんでしたから。水無瀬さんも蔵については、ご父君から伝え聞いたことしかご存知でなかったですからね」
「……そういえば、あれは“泥棒製造機”なんだと、ずっと思い込んでらしたということでしたね」
それをぼやかして、婉曲に“難しい蔵”だと水無瀬さんは表現してたけど──、まさか、どこのご町内にも一人はいそうな、声がでかいだけの、ただの小うるさいオッサンみたいなもんだとは思わなかっただろうなぁ。
「まあねぇ……」
曖昧に微笑みながら、食後の甘いものでもどうですか、と菓子盆に盛ったお菓子をすすめてくれる。さすがに大満足の富貴亭のお弁当のあとだったので、ちょいと重い○セイのバターサンドはやめておき、軽めのラングドシャをいただいた。う、これも美味い。
バターのきいたサクサク生地にふっと気を取られていると、いつの間にかお茶が新しいものに取り替えられている。相変わらずの手早さにぼうっとしていると、「まあね、でも」と真久部さんが言葉を続けた。いかんいかん、ちゃんと聞かないと。半分齧ったラングドシャを持ったまま、俺はもぞもぞと座り直した。
「水無瀬さんの子供の頃の体験を聞いたら、そう思い込むのも無理もないと思いましたよ」
幼心にこびりついて、どうしても忘れられなかったとおっしゃってましたねぇ、と言いながら、菓子盆の中からホワイトチョコレートがかかったラスクを選んで、ぱしっと割った。
「まだ六つになったばかりの頃、地震のような家鳴りを聞いたんだそうです」
まあ、僕も“実験”で聞きましたけど、あれはなかなかに騒々しいですねと、隣のテレビがちょっと五月蝿いみたいな言い方で、特に感慨もなさそうに、割ったラスクをちまちまと唇に運んでいる。──ミシミシギシギシパシパシと、俺なんか思い出すだけでぞっとするんだけど、真久部さんは全然怖くなさそうだ。
「真夜中にねぇ。今にも家が崩れるかと思ったそうですよ」
小さい子供にとっては、それは充分な恐怖体験だったでしょうね、と添える。
「……」
いや、大人な俺でも洒落にならないくらい恐ろしかったですよ、真久部さん……子供だった水無瀬さんにしてみたら、それ以上だっただろうな……。
「目を覚まして布団で震えていると、お母様が様子を見に来てくれたということですから、夢ではないと思う──とご本人も自信なさそうでしたが。開いた障子越し、廊下を隔てた硝子窓から見える蔵の屋根が、ぼんやり光っていたのをよく覚えているそうです──その夜、水無瀬さんの叔父さん……お父様の弟さんが蔵から家宝の皿を盗んで逃げたのだとか」