第294話 疫喰い桜 8

文字数 2,292文字

「……」

おどろおどろしい来歴を持つ桜の木を材に、一刀彫に彫られた鯉は、大きな口を開けている。目の前に落とされた麩を、ひとかけらも余さず呑み込まんとするかのようなその姿は、実物の何分の一かの大きさにもかかわらず、やたらに貪欲そうで、妙に力強くもある──。

活躍って何するの? まさか、あの口がこれからパクパク動いちゃったりする? 競争の激しい池に棲む、腹をすかせたリアル鯉みたいに……とか慄いていたら。

「え……?」

鯉の頭から、ぽわっと一輪、桜のお花。

「な、」

唐突に咲くそのさまは、幹からいきなり花が開く胴吹きみたいで。

「な、なんで──」

切り倒され、加工された木って、既に生命活動を終えているはずだよな? 生物(いきもの)的に生きてないっていうか、花とか葉っぱとか、今さら生やすはずなんてないっていうか、いや、だから、その!

「ほっほっほ」

有り得ない光景に驚愕し、言葉を無くす俺に、真久部の伯父さんが楽しそうな笑い声を上げる。

「木彫りから花が咲くのを見たのは初めてかい、何でも屋さん? ふふ、まだまだ咲くよ。もっともっと咲くよ。──ほれ、頑張れ。頑張って見てもらえ、お前の晴れ姿を。咲け、」


 疫喰い桜!


鋭く命じる声と同時に、伯父さんはループタイを真上に放り上げた。
その瞬間。


 もこ、もこもこもこ


桜の花が、桜の木になる。


 もこもこもこ もこもこもこ


縦にぐんぐん伸び、横に枝を張って。
ポップコーンみたいに次々花が開く。木が膨らんでいく。
 

 もこもこ もこもこ もこもこ もここ


綿あめでできた雲のように、広野にかかる霞のように。
やわらかそうな薄紅の花が、報恩謝徳の桜の森を覆い尽くすほどに広がってゆく──。

まるで、世界樹みたい……。

そう思った俺の心の声が聞こえたのか、知らずに口に出していたのか。

「ほう、世界樹か……今、ここだけの限定ならば、そうなのかもしれないね」

疫喰い桜が世界樹とは、世も末だねぇ、と、機嫌良さそうにスタイリッシュ仙人が笑う。

「……あの……桜はわかりますけど、えきくい、って何ですか?」

ああ、と伯父さんは説明してくれた。

「疫とは、疫病(えきびょう)疫病(えや)みの意味。つまり流行病のことだよ。この悪食の鯉は、疫病みに隠れて人を操る“鬼”どもをも喰らうのさ」

「操る、って、どう……」

「わかりやすく言うと、寄生虫、だな。何でも屋さんは、ハリガネムシという虫を知っているかい?」

甥っ子ゆずりの(いや、年齢から考えればこっちが元なんだろうけど)小首を傾げる仕草で、邪気しかなさそうな無邪気な笑みで。

「ハリガネムシは、カマキリやバッタ、カマドウマなどにつく寄生虫だ。元々は水辺の小虫に寄生しているが、最初の宿主がそういった肉食昆虫に捕食されることにより、ハリガネムシは自らに最適な宿主を得る。そして宿主の栄養を啜って成長し──次はどうすると思う?」

無邪気な邪気に捕らえられ、俺は身体を強張らせる。気持ち悪い虫として、その名前は聞いたことはあるけど、詳しいことまで知らない。というか、あえて知ろうとしなかった気がする……。

「成長すれば、他の生き物と同じさ。ハリガネムシだって子孫を残さなくちゃねぇ。だから次は生殖活動に入る。そうするためには水に戻らなければならない。水から来て、水に戻るんだよ、生まれた川に戻って産卵する鮭のように。だが、宿主に寄生しているだけの分際で、どうやって戻るのか? 陸をフィールドにしているカマキリたちは、普通は水辺に近寄らない」

「……」

どうするんだっけ、ああ、ネットで見てしまった画像についてた説明を思い出したぞ、たしか──。

「そこで、ハリガネムシは宿主の脳をジャックするのさ。自ら分泌した何らかの物質をその脳に作用させて水辺に導き、飛び込ませる。入水自殺させるんだ。宿主が水に入ったら、尻からうねうねと長いからだを脱出させて泳ぎ出し、同じようにして水に戻ったツガイを探す。用済みになった宿主はといえば、可哀想に子孫も残せず、魚に食われて終わりだよ」

そうだった。寄生虫が宿主を操るなんて、怖くて気持ち悪くて覚えていたくなかったんだ。

「なんでも、キラキラと水面に反射するする光が、こよなく魅力的に見えるようになるらしいよ? きれいだなぁ、近くに寄りたいなぁ、さわりたいなぁ……」

頭の奥に、さっきの“声”が甦る。欲しい 欲しい──。

「似てるだろう、アレたちに」


  欲しい 
    ほしい 
   欲しいよぉ


ああ、気持ちが悪い。

「いくらきれいでも、光など手に入らない。それなのに、憧れて、焦がれて、魅せられて。思考停止したままふらふらと近寄っていく」

きれいなきれいな報恩謝徳の桜を、ただただ欲しがるだけの外道──。

「……“鬼”」

「あの“鬼”たちは、本来ならここに、この賽の河原に来ることはできない。何故なら、やつらには魂がないのでね。だから人に寄生するのさ。寄生して、乗り物にして、ここまでたどりつく──宿主の魂を犠牲にして」

「ってことは……寄生された人は、死んでしまうんですか……?」

乗り捨てにされるの? ハリガネムシに取りつかれたカマキリみたいに──。震える声でたずねる俺に、真久部の伯父さんは胡散臭く笑んでみせた。

「そうならないように、頼まれたのさ。──ほれ、見てごらん」

あれを。そう言われ、あらためて鯉の木彫りから生まれた疫喰い桜を見上げた。ようやく膨らみ終わったか、今は落ち着いて、満開の花たちがただふわふわと揺れている──。

「……」

生気にあふれて、すごくすごく綺麗なんだけど、でも。どうしてそんなにつやつやイキイキぎらぎらしてるのかな。まるで油膜がはったように、虹色の光沢があるのはなぜ?
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