第257話 一を足す
文字数 1,956文字
首を振ると、不思議そうに目を瞬く。──うーん、やっぱり男前だな、このヒト。地味だけど。
「あれ? でも、前に本屋さんで会ったとき、何でも屋さん、そういうタイトルの本を買ってませんでした?」
心の中だけで地味に感心していたらそんなことを言われたので、俺も目を瞬いてしまった。
「えっと……」
店 以外で真久部さんを見るのは珍しいから挨拶したことは覚えてるけど、その時持ってた本の題名まで覚えてない。
「──たぶん買い物依頼で頼まれたやつだから、すっかり記憶にないです……」
何だ、そうだったんですか、と口では残念がりつつも、大して残念でもなさそうに真久部さんは説明してくれる。
「巫覡 、神薙 というのは、言ってみればシャーマンです。超自然的な存在と、人間との間の仲立をするのがその役目」
土地、また時代によって、その意味合いも役割も様々に違ってきますがね、と続ける。
「修行をしてその力を得る人もいれば、生まれつきの人もいます。ある日突然“神の声”を聞く人もいますけど、“神”を騙る輩に騙されていることが多い──。水無瀬の叔父さんの場合は、元々人に見えないものが見える体質にもかかわらず、自我を揺るがせることがなかった。だから良い憑坐 になれたようですね」
「よりまし……?」
またも出てきた聞きなれない言葉。首を傾げる俺に真久部さんが言うには、憑坐とは、神霊がよりつくというか、降りる人間のことだという。それって、磐座 以外の場所で祭祀を行う際、神様にご降臨願うという……なんか、神様の別荘ってか仮宿っぽい神籬 と何がどう違うんだろう?
そうたずねてみると、人の形をしていれば憑坐で、そうでないなら神籬、と考えておけばいいですよ、とにっこり笑う。──怪しい笑みにちょっと怖い考えが浮かびそうになったけど、人の代わりに人形を使うこともあると聞いて、何となく安心した。
「柘榴石の磐座に坐す家神様に力を貸してもらうため願ったとき、それを叶えてもらえたのも、家神様にとって叔父さんは、声を聞き取りやすいだけではなく、聞かせやすい存在でもあった、というのが大きいと想像しますよ」
もちろん、守護する家の血筋に連なる者である、というのが第一の条件ではあったでしょうけど、と補足する。
「何故かというと、普通はあちらの世界の良くないモノたちの声と、まともな神様の声の区別をつけるのはとても難しいことなんです。でも、叔父さんにはそれができたようだから」
それが巫覡の才ですよ、と真久部さんは言う。
「……よくわからないけど、家神様に力を貸してもらうのと、メッセージを受け取ってそれを他の誰かに伝えるっていうのは、また別ってことですか?」
「そうです。どちらか片方だけか、両方できるか。叔父さんは両方できた。そんなつもりもなかったでしょうが……。それでも、巫覡として家神様の言葉を伝えることができたのは、その後の水無瀬の家にとって幸いなことでした」
叔父さんがいなくなった後の呪物への対処とか、家神様がしばらく力を失うから感謝を持って今まで以上に大切に祀らなければならないとか、そういうことは水無瀬さんのお父さんやお祖父さんは知っておいたほうが、というか、知っておかないといけないことだもんなぁ。
「それにしても……召集令状を盗んでいくってどういうことなんでしょう?」
兄の代わりに自分が行く、という意味なのはわかるけどさ。
「普通はそんなことできないでしょう? たとえば、えーっと……そう、たとえば交通違反をした本人じゃなくて別人が代わりに出頭したとしても、すぐバレるじゃないですか」
だいたい名前が違うし、と言うと、真久部さんが笑みを深めた。それは少し寂しげで……。
「わかりませんか?」
「え? 何が」
「言ったでしょ? 水無瀬さんのお父さんの名前は紘一、叔父さんの名前は紘二」
「……」
コウイチとコウジ。連番タイプの名前だと思ったんだ。一番目が長男、二番目が次男……ん?
「もしかして……召集令状の宛名の、「紘一」の「一」の上に短い横棒を足して、「紘二」にして持って行った、とか……?」
真久部さんはうなずいた。
「まさか、そんなことが……」
出来たの? いくら何でも無理があるんじゃ? だって、あの時代の赤紙って、そんな小手先でどうにかなるようなもんじゃ……。
「もう戦争末期で──つまり、戦局が絶望的になり、学徒動員や徴兵年齢の引き上げがされた頃のことだったんですよ」
本土決戦、一億玉砕、神州不滅、と、どこか遠くを見るように、真久部さんは言葉を紡ぐ。
「その時期まで水無瀬さんのお父さんに赤紙が届かなかったのは、単に運が良かったんでしょう。だけど、ついにそれが届いた。当時の水無瀬家に男は三人。一人は老人、一人は病弱すぎて召集免除。応じられるのは一人だけ、それは徴兵検査の際に記録されている」
「あれ? でも、前に本屋さんで会ったとき、何でも屋さん、そういうタイトルの本を買ってませんでした?」
心の中だけで地味に感心していたらそんなことを言われたので、俺も目を瞬いてしまった。
「えっと……」
「──たぶん買い物依頼で頼まれたやつだから、すっかり記憶にないです……」
何だ、そうだったんですか、と口では残念がりつつも、大して残念でもなさそうに真久部さんは説明してくれる。
「
土地、また時代によって、その意味合いも役割も様々に違ってきますがね、と続ける。
「修行をしてその力を得る人もいれば、生まれつきの人もいます。ある日突然“神の声”を聞く人もいますけど、“神”を騙る輩に騙されていることが多い──。水無瀬の叔父さんの場合は、元々人に見えないものが見える体質にもかかわらず、自我を揺るがせることがなかった。だから良い
「よりまし……?」
またも出てきた聞きなれない言葉。首を傾げる俺に真久部さんが言うには、憑坐とは、神霊がよりつくというか、降りる人間のことだという。それって、
そうたずねてみると、人の形をしていれば憑坐で、そうでないなら神籬、と考えておけばいいですよ、とにっこり笑う。──怪しい笑みにちょっと怖い考えが浮かびそうになったけど、人の代わりに人形を使うこともあると聞いて、何となく安心した。
「柘榴石の磐座に坐す家神様に力を貸してもらうため願ったとき、それを叶えてもらえたのも、家神様にとって叔父さんは、声を聞き取りやすいだけではなく、聞かせやすい存在でもあった、というのが大きいと想像しますよ」
もちろん、守護する家の血筋に連なる者である、というのが第一の条件ではあったでしょうけど、と補足する。
「何故かというと、普通はあちらの世界の良くないモノたちの声と、まともな神様の声の区別をつけるのはとても難しいことなんです。でも、叔父さんにはそれができたようだから」
それが巫覡の才ですよ、と真久部さんは言う。
「……よくわからないけど、家神様に力を貸してもらうのと、メッセージを受け取ってそれを他の誰かに伝えるっていうのは、また別ってことですか?」
「そうです。どちらか片方だけか、両方できるか。叔父さんは両方できた。そんなつもりもなかったでしょうが……。それでも、巫覡として家神様の言葉を伝えることができたのは、その後の水無瀬の家にとって幸いなことでした」
叔父さんがいなくなった後の呪物への対処とか、家神様がしばらく力を失うから感謝を持って今まで以上に大切に祀らなければならないとか、そういうことは水無瀬さんのお父さんやお祖父さんは知っておいたほうが、というか、知っておかないといけないことだもんなぁ。
「それにしても……召集令状を盗んでいくってどういうことなんでしょう?」
兄の代わりに自分が行く、という意味なのはわかるけどさ。
「普通はそんなことできないでしょう? たとえば、えーっと……そう、たとえば交通違反をした本人じゃなくて別人が代わりに出頭したとしても、すぐバレるじゃないですか」
だいたい名前が違うし、と言うと、真久部さんが笑みを深めた。それは少し寂しげで……。
「わかりませんか?」
「え? 何が」
「言ったでしょ? 水無瀬さんのお父さんの名前は紘一、叔父さんの名前は紘二」
「……」
コウイチとコウジ。連番タイプの名前だと思ったんだ。一番目が長男、二番目が次男……ん?
「もしかして……召集令状の宛名の、「紘一」の「一」の上に短い横棒を足して、「紘二」にして持って行った、とか……?」
真久部さんはうなずいた。
「まさか、そんなことが……」
出来たの? いくら何でも無理があるんじゃ? だって、あの時代の赤紙って、そんな小手先でどうにかなるようなもんじゃ……。
「もう戦争末期で──つまり、戦局が絶望的になり、学徒動員や徴兵年齢の引き上げがされた頃のことだったんですよ」
本土決戦、一億玉砕、神州不滅、と、どこか遠くを見るように、真久部さんは言葉を紡ぐ。
「その時期まで水無瀬さんのお父さんに赤紙が届かなかったのは、単に運が良かったんでしょう。だけど、ついにそれが届いた。当時の水無瀬家に男は三人。一人は老人、一人は病弱すぎて召集免除。応じられるのは一人だけ、それは徴兵検査の際に記録されている」