第295話 疫喰い桜 9

文字数 1,769文字

それがどうにも気にかかり、俺はさらに花を見つめてみた。見つめてみて、考えた。普通の桜に感じる、儚さとか、可憐さとか、いじらしさとか、そういう繊細な印象はかけらもないように思う。同じような色をして、同じようにやわらかそうに見えるのに。その代わり、何ていうのか、こう、うーん──。

「こってりしてる……」

そう、こってりしてるんだ。見てるだけでお腹いっぱい。あんなに綺麗なのに。

「こってりだって?」

俺の呟きを拾って、真久部の伯父さんが吹き出した。

「いや、その」

花に対してふさわしくない表現だとは思うけど、ほかに言葉を見つけられない。

「言い得て妙だね、何でも屋さん。確かに、アレはぎらぎらしてるよ、脂ののりきった魚みたいに」

指で押したらじわっとアブラが滲みそうだねぇと言って、さらに笑う。

「まあ、仕方ないよ。本性が本性だもの。アレは、元が桜の木だったというのは知ってるだろう?」

「……丑の刻参りの人に、大人気だったらしいらしいですね」

知りたくなかったけど、前に甥っ子のほうの真久部さんが教えてくれたよ。

「そうだよ。他にも桜の木はいっぱいあったのに、アレの木にばかり藁人形が打ち込まれたんだ。まるで吸い寄せられるみたいにねぇ。実際、吸い寄せてたんだが」

その頃から悪食だったんだなぁ、と楽しそうな顔を見て、あなたは悪趣味ですね、と言いたくなったけど、心の中だけにしとく。だって怖いもん……。

「どういう手を使っていたのか、()()()みたんだがね、そしたら、花を咲かせていたと。もちろん春には他の桜と同じように咲かせていたけど、それ以外の季節に丑の刻参り希望者が来たら、幻の花を咲かせてそいつを誘っていたんだと言っていた」

「今みたいな……?」

もこもこの、もっこもこ。樹齢千年はいってそう。

「いや、当時は今ほどの()はなかったから、もっとささやかだったはずだよ。──さて、何でも屋さん。もし、何も知らない状態でこんな桜の花を見たとしたら、どうする? あ、想像は普通サイズでお願いしますよ」

そう言われ、俺は疫喰い桜の、虹色油膜の輝きをまといつつも、ふわふわとやわらかそうな花々にあらためて意識を向けてみた。──あんまり見つめていたくない。正体を知っているから、ってことじゃないと思う。なんかこう、あのぎらぎらテラテラした照りのような、妙な雰囲気が受け付けない。

「綺麗なんですけど──、ちらっと見るだけでいいというか、遠目に見るならいいのかも」

言葉を選びながらなんとかそんなふうに告げると、だろうねぇ、とうなずかれてしまった。

「何でも屋さんのように健全な精神を持つ者には、アレの桜はまさに()()()()していて、長く見つめていたいと思えず、無意識に意識をそらせてしまうものなんだがねぇ。藁人形に託した憎い相手に、夜の夜中、五寸釘を打ち込もうなんていう精神状態の者には、それはそれは魅力的に見えるようだよ」

「魅力的……」

たしかにそうかもしれないけど、俺の本能みたいなものが、何かが違うといっている。だって、虹色油膜の輝きがやたらにツヤツヤてらてらイキイキしてて──それは、俺がいつもあの鯉のループタイを見て感じることじゃないか……! って。

「あ」

思わず声をもらしていた。だって、“鬼”たちが疫喰い桜の花びらにたかりだしたんだ。うわ、さっきより勢いがすごい。まるで強力な磁石に、砂鉄が吸いつくみたいに──。

「ふふ、見惚れていたのが動き出したか」

「見惚れ……?」

「とてつもなく美しいものに、いきなり出会ってしまったと考えてごらんよ。誰だってびっくりして固まるだろう? “鬼”どもも同じだ、今まで棒立ちになっていたのさ。やつらにとって、報恩謝徳の桜も及びもつかないほど美しく魅力的な、疫喰い桜の出現に驚いて」

どろどろとした怨念に凝り固まった丑の刻参り希望者たちと、やつらは同質のものだからねぇ、と続ける。

「他人を思いやることのない、欲──。己の負の感情以外何も認められなくなり、結果、自ら生み出した怨念に突き動かされるしかない丑の刻参り希望者たちの願望、それもまた欲。桜樹の身に、貪欲な鯉の性を宿したアレの大好物だ」

見ている間に、疫喰い桜の花がひとつ、またひとつと、黒く禍々しい靄をまとった“鬼”を捕らえて消える。いや、消えるというより、あれは……え? 内側に引っ込んでいく──? 
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