第117話 鳴神月の呪物 8
文字数 2,496文字
きっと自分もそういうふうに上手く利用されちゃうんだろうなぁ、と肩を落とす何でも屋さんに、新しいお茶を淹れて渡しながら真久部は言う。
「物事は、何でもそう一方にばかり都合よくいくものじゃないですよ」
「そうでしょうか……」
「老人はね、こんなふうに考えていたんだよ。──いくら正直者といっても、しょせん卑賤の輩。何度も品物を預かっているうちに欲が出て、必ず幾つかくすねて自分のものにしてしまうに違いない、とね」
「くすねるって……」
彼は嫌な顔をした。
「世の中には、まあ、そういうこともあるでしょうけど……」
「でも、何でも屋さんならどうです? この男の立場だったら。預かったものは、貧しくてもやっぱり全部真面目に届けてしまうんじゃないですか?」
「そりゃ……だって、頼まれたものであって、自分のものじゃないんだし」
手間賃までもらっておきながら、人様から預かったものに手を出すなんて、そんなこと考えもしませんよ、と疲れたように言う。予想通りの彼の返答に、そうでしょうね、と真久部は頷いた。
「老人は、村のせいぜい半分に渡る程度だと考えていたようですよ。残りは男が抱え込んでしまうはずと。あまり高価なものだと大それたことは出来ないけれど、ちょっとだけキラキラした小さな贅沢品。あればうれしいけど、無くても誰も困らない。しかも、どうやら荷主の老人以外そんなものがあることを知らないらしい」
「うーん……」
「だって、ほら。預かったものを指示された受取人に届けても、毎回不思議な顔をされるわけだから。届けられるまで、自分に贈り物があったなんてこと、誰も知る術がないっていうのが男にも分かるはずでしょう」
「“当選者には商品の発送をもって代えさせていただきます”ってやつですか。あれって、実際届くまで当選したの分からないですもんね……」
「そうそう、いい例えだねぇ。中で誰かが抜いても分からないんですよ。となると、どれだけ正直者だろうと、出来心だとか、魔が差すだとか、絶対あると老人は確信してたんだね。村には男以外知り合いはいないと、アピールもしていたようだし。ならそこからも足がつく心配もない」
老人としては、落ちてるのが大金だったら恐れをなして警察に届けるけど、一万円札や千円札の一枚、五百円玉程度なら、黙って拾って自分の財布に入れてしまう、そういう人の心理を利用しようとしたって感じなのかねぇ、と言うと、何ですかそれは、と彼は呆れたようだった。
「いやいや、殆どの人は警察に届けるはずですよ。もしくは拾わないか」
「そう。正直者を甘く見すぎなんだよね」
「正直というか……自分のものじゃないからです。それに尽きますよ」
真久部は笑った。
「まあ、そういうことにしておきましょうか。ともかく老人としては、いずれ品物をネコババするであろう男を筆頭に、贈り物を受け取ってしまった者たちを贄にして、今まで作ったことのない呪物を作るつもりだったんですよ。──もう分かっていると思うけど、老人が男に渡していた品物は呪物です。もっと力の強い呪物を作るためのね」
「……四辻にお金を落としておいて、拾った人に厄をなすりつける、あんな感じ、ですか?」
嫌なやり方ですよね、と彼は呟いた。
そういえば去年の年末に、なんだか怖い目に遭ったという話を彼から聞いたことがあったっけ、と真久部は思い出す。道に落ちていた花を、車に轢かれては可哀想だと拾ってやったら、とても不気味で不可解な体験をしたのだと。
それはたぶん四辻の呪いだと教えてやったら、知っていると彼が言ったので、ちょっと驚いた覚えがある。
「そうですね。でも、この場合は拾わせるんじゃなくて、“本当は自分のものじゃない”ということを知らせず、勘違いさせて受け取らせているから、四辻の呪 いより性質が悪いんだよ。人間を贄にするあたり、金蚕蠱の変形じゃないかって伯父は言ってたけど──」
「きんさんこ?」
「四辻のみたいに厄除けじゃなくて、富を招き寄せる系の……まあ、幸運のお呪いだよ」
そんな可愛いものではないが、真久部には、彼を怖がらせずにそれを説明をする自信が無い。彼も何かを感じたのか、へーそうなんですかー、と目を逸らし、あー、お茶が美味しい、とわざとらしく茶碗を干していた。
「──えーっとね、老人の計画では、嘘の贈り物を手にした者たちは、全員喰われるはずだったそうだよ」
彼がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「な、何に?」
その反応にたじろいで、老人の考えた呪いも金蚕蠱も、彼にとっては大して変わりがないだろうことに改めて真久部は気づいたが、言いかけたものはしょうがない。そのまま続けることにした。
「“贈り物”を作るため、贄にした山の動物の怨念に」
「……」
彼は無言だった。老人、邪悪すぎ、という心の呟きが聞こえたような気がする。真久部も同意だが、マッド・サイエンティストなんてものは、どんな立派な目標を掲げようと傍から見れば邪悪にしか見えないのだから、そう意外なことでもないんじゃないかと思う。
「動物たちの怨念はそれでも恨みが晴れず、凝り固まって石になるはずだったといいます。それが最初、老人の作ろうとしていた呪物だったとか」
「……幸運のお呪い、なんですか、本当に?」
思わず、といった様子で彼が訊ねてきた。声が少し震えている。
どうだろう。真久部は首を捻った。かの呪術は富と幸福を得るためのものだから、術者にとっては一応“幸運のお呪い”ではある。が、独創的なアレンジを加えられた術がどうなるのかは……。それを判じるほどの知識が己に無いことを知っている身としては、にっこり笑って誤魔化すしかなかった。
「……」
彼も真相を究明することは止めたらしい。真久部の微笑みに、ぎこちなくもわざとらしい笑みでもって応えてきた。
「──でも、そうはならなかった」
そのほうが真久部にもありがたいので、先の質問は無かったことにし、先を続けることにした。
「物事は、何でもそう一方にばかり都合よくいくものじゃないですよ」
「そうでしょうか……」
「老人はね、こんなふうに考えていたんだよ。──いくら正直者といっても、しょせん卑賤の輩。何度も品物を預かっているうちに欲が出て、必ず幾つかくすねて自分のものにしてしまうに違いない、とね」
「くすねるって……」
彼は嫌な顔をした。
「世の中には、まあ、そういうこともあるでしょうけど……」
「でも、何でも屋さんならどうです? この男の立場だったら。預かったものは、貧しくてもやっぱり全部真面目に届けてしまうんじゃないですか?」
「そりゃ……だって、頼まれたものであって、自分のものじゃないんだし」
手間賃までもらっておきながら、人様から預かったものに手を出すなんて、そんなこと考えもしませんよ、と疲れたように言う。予想通りの彼の返答に、そうでしょうね、と真久部は頷いた。
「老人は、村のせいぜい半分に渡る程度だと考えていたようですよ。残りは男が抱え込んでしまうはずと。あまり高価なものだと大それたことは出来ないけれど、ちょっとだけキラキラした小さな贅沢品。あればうれしいけど、無くても誰も困らない。しかも、どうやら荷主の老人以外そんなものがあることを知らないらしい」
「うーん……」
「だって、ほら。預かったものを指示された受取人に届けても、毎回不思議な顔をされるわけだから。届けられるまで、自分に贈り物があったなんてこと、誰も知る術がないっていうのが男にも分かるはずでしょう」
「“当選者には商品の発送をもって代えさせていただきます”ってやつですか。あれって、実際届くまで当選したの分からないですもんね……」
「そうそう、いい例えだねぇ。中で誰かが抜いても分からないんですよ。となると、どれだけ正直者だろうと、出来心だとか、魔が差すだとか、絶対あると老人は確信してたんだね。村には男以外知り合いはいないと、アピールもしていたようだし。ならそこからも足がつく心配もない」
老人としては、落ちてるのが大金だったら恐れをなして警察に届けるけど、一万円札や千円札の一枚、五百円玉程度なら、黙って拾って自分の財布に入れてしまう、そういう人の心理を利用しようとしたって感じなのかねぇ、と言うと、何ですかそれは、と彼は呆れたようだった。
「いやいや、殆どの人は警察に届けるはずですよ。もしくは拾わないか」
「そう。正直者を甘く見すぎなんだよね」
「正直というか……自分のものじゃないからです。それに尽きますよ」
真久部は笑った。
「まあ、そういうことにしておきましょうか。ともかく老人としては、いずれ品物をネコババするであろう男を筆頭に、贈り物を受け取ってしまった者たちを贄にして、今まで作ったことのない呪物を作るつもりだったんですよ。──もう分かっていると思うけど、老人が男に渡していた品物は呪物です。もっと力の強い呪物を作るためのね」
「……四辻にお金を落としておいて、拾った人に厄をなすりつける、あんな感じ、ですか?」
嫌なやり方ですよね、と彼は呟いた。
そういえば去年の年末に、なんだか怖い目に遭ったという話を彼から聞いたことがあったっけ、と真久部は思い出す。道に落ちていた花を、車に轢かれては可哀想だと拾ってやったら、とても不気味で不可解な体験をしたのだと。
それはたぶん四辻の呪いだと教えてやったら、知っていると彼が言ったので、ちょっと驚いた覚えがある。
「そうですね。でも、この場合は拾わせるんじゃなくて、“本当は自分のものじゃない”ということを知らせず、勘違いさせて受け取らせているから、四辻の
「きんさんこ?」
「四辻のみたいに厄除けじゃなくて、富を招き寄せる系の……まあ、幸運のお呪いだよ」
そんな可愛いものではないが、真久部には、彼を怖がらせずにそれを説明をする自信が無い。彼も何かを感じたのか、へーそうなんですかー、と目を逸らし、あー、お茶が美味しい、とわざとらしく茶碗を干していた。
「──えーっとね、老人の計画では、嘘の贈り物を手にした者たちは、全員喰われるはずだったそうだよ」
彼がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「な、何に?」
その反応にたじろいで、老人の考えた呪いも金蚕蠱も、彼にとっては大して変わりがないだろうことに改めて真久部は気づいたが、言いかけたものはしょうがない。そのまま続けることにした。
「“贈り物”を作るため、贄にした山の動物の怨念に」
「……」
彼は無言だった。老人、邪悪すぎ、という心の呟きが聞こえたような気がする。真久部も同意だが、マッド・サイエンティストなんてものは、どんな立派な目標を掲げようと傍から見れば邪悪にしか見えないのだから、そう意外なことでもないんじゃないかと思う。
「動物たちの怨念はそれでも恨みが晴れず、凝り固まって石になるはずだったといいます。それが最初、老人の作ろうとしていた呪物だったとか」
「……幸運のお呪い、なんですか、本当に?」
思わず、といった様子で彼が訊ねてきた。声が少し震えている。
どうだろう。真久部は首を捻った。かの呪術は富と幸福を得るためのものだから、術者にとっては一応“幸運のお呪い”ではある。が、独創的なアレンジを加えられた術がどうなるのかは……。それを判じるほどの知識が己に無いことを知っている身としては、にっこり笑って誤魔化すしかなかった。
「……」
彼も真相を究明することは止めたらしい。真久部の微笑みに、ぎこちなくもわざとらしい笑みでもって応えてきた。
「──でも、そうはならなかった」
そのほうが真久部にもありがたいので、先の質問は無かったことにし、先を続けることにした。