第83話 お地蔵様もたまには怒る 2

文字数 2,591文字








布留のお婆ちゃんに、孫の手は百均で売ってるみたいです、と電話して教えてあげたら、ああいう店はどこに何があるか分からなくて疲れるから、悪いけど買ってきてほしい、と頼まれた。

自分で調べておいてナンだけど、本当に百均で孫の手が売ってて、きっちりゴルフボールまで付いてたんでびっくりした。実物を見たお婆ちゃんも驚いてたけど、さっそくそれで肩をぽんぽん叩いてみて、「これはいいわね」と喜んでた。

そうやって突発的な買い物代行を終え、俺は今ガード下をぽてぽて歩いてる。事務所兼住居まで帰るのに近道なんだよな、ここ。少し早いけど、昼飯でも作って食べるかなぁ。あ、電車来た。轟音が腹に響く。

寒いから、気分はこってり系のラーメンに向いてるんだけど、このあいだふた玉五十円で買ったうどんがまだ冷蔵庫に残ってるんだよな。やっぱりそっちを先に使うべきか。うーん……。

玉葱と豚バラ肉があるから、カレーうどんにする? シ○ヤ出汁の元にカレー粉混ぜると簡単に出来るんだよな。コンソメ足すから牛肉じゃなくてもコクが出るし、片栗粉で餡かけにすると、汁がうどんに絡んでいい感じになる。んー、でもそれなら餡かけ肉うどんも捨てがたいな、生姜入れて。それとも、まだ冷凍庫に残ってる餅を入れて力うどんに……

てなこと考えてたら、後ろから声を掛けられた。

「何でも屋さん?」

ん? 誰だっけ、この人。ちょっと長めの真っ白な髪、よく手入れされた真っ白な髭。着ている服はスタイリッシュで、胸元には鯛だか鯉だかのループタイ。

お洒落な仙人みたいな──。あ!

「真久部、さん?」

にこにこ頷く老人は、古美術雑貨古道具店慈恩堂店主・真久部さんの伯父さんだった。

「お、お久しぶりです」

挨拶する顔が引き攣りそうになるのを、何でも屋の仕事柄、“いつでもどこでも営業”で鍛えた笑顔で必死に隠す。何だか怖いんだよな、この人……。得体が知れないというか、底が知れないというか。読めない笑顔はこの人の甥の慈恩堂店主と同じなんだけど、年の劫というか、こっちのほうがよりいっそう──

「本当に。何でも屋さんはお元気そうで何よりです」

不気味。とか思ってない。思って無いぞ! だからその無駄に人の良さそうな笑みを、さらに深めるのはやめて。

この人は、ただの愛想の良いお茶目な老人。そうだ、今はただの立ち話。早々に切り上げてさよならするんだ。

「真久部さんもお変わりなく。──今日も慈恩堂においでですか?」

店主曰く、この伯父さんがいると、書画骨董古道具でいっぱいの店内が非常に華やぐ(・・・)そうな……。お、恐ろしい。今日はあの界隈に近づかないようにしよう。そうしよう。店の外までは関係ないだろうけど、君子危うきに近寄らずって言葉もあるし。別に俺立派な人じゃないけど。

「いいえ。ちょっとこの辺りに用があって」

あの子の店に行くんなら、これを連れ行ったら怒られますよ、と伯父さんは鯉のループタイを指で弾いてみせる。……なんか、前に見た時よりイキイキしてるように見える……また何か(・・)食べたんだろうな……。

「そ、そうなんですか。じゃ、じゃあ俺はこれで」

丑の刻参りにヘビーローテーションされたため、仕方なく伐採された桜の樹から作られたという一刀彫の鯉から目を逸らせ、軽く頭を下げただけでそそくさとその場を去ろうとしたら。

「何でも屋さん」

呼び止められてしまった。

「……何でしょう?」

「チンとんシャン、っていうラーメン屋をご存知ないですか? 駅前にあると聞いたんですがね」

チンとんシャン?

「なんでも、あっさりしてるのにパンチのきいた豚骨スープと、こってりしてるのにいくらでも食べたくなってしまうというチャーシューが売りらしいんですが」

「ラーメン屋、チンとんシャン? あの、幻の店と言われてる……」

不定期開店の上、先着十名までしか受け入れないという……でも、元チンピラ、今たこ焼き屋のおにーさん、シンジは食べたことあるって言ってた。すっごく美味かったって。

──とにかくスープが凄いんですよ。口の中でとろけるっていうか……。スープなのにとろけるって変だと思うでしょ? でも、本当にそんな感じなんですよ。でもしつこくないの。麺はつるっとしてるのによくスープと絡んで……。で、チャーシューがね、これまた絶品。噛むと肉汁がじゅわー、チャーシューの香がふわー。でもあっさりしてるの。俺、あんなに美味いラーメン食ったことないっす。

「そんなふうに呼ばれてるのかい?」

まぼろし、ねえ。真久部の伯父さんは面白そうだ。

「いや、店の前を通ったことならありますけど、開いてるの一度も見たこと無いんです。でも俺の知り合いが以前、何にも知らずに入ったことがあるらしくって。小腹すいて、たまたま開いてた店に入って御品書きにある一種類だけのラーメンを注文してみたら、悩みも何もぶっ飛ぶほど美味かったって。それが、チンとんしゃん……」

──俺、もう一度あれ食べてみたくって。何度もあのラーメン屋に行ってみたんすけど。あれから一度も開いてるの見たことないです……。もっかい食べたいなぁ、あのチャーシュー、麺とスープ……。

恋人のるりちゃんにも食べさせたかったと、夢見るように呟いたあの時のシンジの幸せそうな顔。そういえば、たこ焼き屋やるって言い出したの、それからすぐ後だったような。ラーメンもいいけど、自分はたこ焼きが好きだから、たこ焼き屋になって美味いたこ焼き作るって、晴れ晴れした顔で。

実はシンジ、自分はいつまでも下っ端のチンピラ暮らしのままでいいのかと、密かに悩んでいたらしい。……あいつ、あっぱらぱーに見えて実は真面目だもんな。

人生を変える味。シンジはそれに出会ったんだろうと思った。そんなラーメン、俺も食べてみたくって、駅前に来ると店を覗いてみるんだけど、いつ見ても閉まってた。でも、シンジのほかにも食べたことあるって人、いるんだよなぁ。大仏のご隠居とか。

「一期一会の味って、そんなふうに評した人も……」

「へえ……」

伯父さんはニヤリ、と笑って言った。

「その一期一会の味、味わってみたくないかね、何でも屋さん」

俺の喉が、ゴクリと鳴った。
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