第287話 疫喰い桜 1

文字数 2,050文字

桜も葉桜、散る八重桜。
名残りの花冷え風強く、薄着を後悔しながら俺は歩く。

朝の犬散歩を連続で三件終えたとこだけど、二件目三件目は小型犬。一件目のグレートデンの伝さんとの長距離早歩きで火照った身体も、すっかり落ち着いてしまった。ポメラニアンのりんごちゃんも、ミニチュアダックスのダークくんも、小っちゃいあんよで一所懸命歩いてたんだけどね。

びゅん、とまた風がうなる。

並木の銀杏は着々と新しい緑をまとい、とっくに春も過ぎかけだと教えてくれるけど、風に煽られる幼気(いたいけ)な葉っぱたちは今日の寒さに震えているようだ。

五月も目前、寒の戻りというにはいささか時期外れではあるけれど、本日の曇りの空はつれなくも、お日さまの顔を見せてくれるつもりはないらしい。そのせいで気温上がらず、風がよけいにヒャッハー! とばかりに吹き荒れる。我が物顔で。

「……」

つい、溜息が出る。気持ちが塞いでしまうのは、何も寒いからだけじゃない。今年に入って日本じゅう、いや、世界じゅうで猛威を振るっている新型コロナのせいなんだ。だって、せっかくの面会日にも、娘に会えない。

離婚後、元妻とも、彼女に引き取られた娘とも(ついでに、元義弟とも)関係は良好で、月に一度は必ず娘と会ってた。だけど、新型コロナ流行の兆しが見えてきたあたりから、俺が会うのが怖くなってしまった。この二月から面会を自粛してる。

だって俺は何でも屋。仕事柄、お得意さま始め、不特定多数の人と毎日接触してる。この町では幸いまだ感染者は出ていないけど、それは現時点であって、先のことはわからない。──もしかしたら既に感染してても無症状の人がいるかもしれないし、それは俺かもしれない。

そう思ったらさ、とても会えないよ。インフルエンザはもちろん、普通の風邪でであったとしても。あの子に、誰かにうつすかもしれないと思ったら怖いし、嫌だ。今回の新型コロナみたいなのだったら、なおさら。

一緒に暮らしてるなら接触のリスクもやむなし、となるんだろうけど、違うからさ……。避けられる危険ならば、避けるべきだと思うんだ。

あの子も──ののかもわかってくれてる。元妻からのメールでは、「ののかのパパなのに、なんで会えないの?」と不満そうだったらしいんだけど、「いま流行ってる病気はね、とても怖い病気なの。自分は平気でも実は罹ってて、家族やお友だちにうつしてしまったっていうのがあるのよ。もしかしたら、ののかがそうで、パパにこの悪い病気をうつすかもしれない。それは嫌でしょ? パパも同じなの、ののかに病気になってほしくないのよ」と言葉を変えて何度も説得したら、寂しそうにしながらも、何とかわかってくれたということだった。

代わりに、ののかは彼女の母と一緒に作ったマスクを送ってくれた。元々よく使うから、買い置きはそれなりにあるけど(寒い時期の風邪予防や、作業中の埃避け等)、先の見えない状況で、これは心強い。買い物依頼でよくドラッグストアやらに行くけどさ、まだまだマスクは品薄なんだよな。

手作りマスクは二重仕立てで、内側にはののかが赤ちゃんだった頃のガーゼの肌着や、おくるみなんかを再利用してるみたいなんだけど、表側の布地の柄がなかなか斬新だったりする。猫の口プリントみたいなのとか。このあいだなんか、攻めてる感じのヒョウ柄(紫)、ちょっと恥ずかしいかも……とか思いながら着用してたら、関西出身だという増田のお婆ちゃんに褒められた。

他にも藍染の和柄とか(元義父さんの浴衣かな)、サーモンピンクの絞り染めみたいなのとか(元妻の持ってた風呂敷にそんなふうなのあったような)、いろいろある。柴わんこ柄とか、ねこあつめ的な柄とか、丸っこい小鳥がいっぱいいるのだとか──うん、寂しいけど、パパうれしいよ。毎日ちゃんと使ってる。サージカルマスクのカバー的に使うのもいい感じ。

今日のは、小さな鯉のぼり柄。五月の子供の日にも会えないだろうからと、豆サイズの鎧兜模様なんかと一緒に、昨日追加で送ってくれたやつ。白地に明るい色の鯉のぼりたち、ほえーっとした顔で可愛い、というか、癒される。

うん。癒される──。路駐の車のサイドミラーに映った、マスクの柄に思う。どんよりしてる場合じゃないよな。せっかくののかが俺のこと思って作ってくれたのに(パパは男の子だから、よろいかぶとと鯉のぼり! って添えられてたカードに書いてあった)、俺だって頑張らないとな。

そう思って、よし! と前を向いたら、あれ? あっちの短い横断歩道の向こうに、見覚えがあるような人が──。

「おや、何でも屋さんじゃないか」

ゆっくりと道を渡ってきた人は、ちょっと長めの真っ白い髪に、白い眉。大判の、白地に薄い染め柄の入った生地で出来たマスクの下には、きっと綺麗に手入れされた白い髭があるはず。それはスタイリッシュ仙人みたいな──。

「ま、真久部さんの伯父さん?」

ニイッと悪戯っぽく微笑んでみせる顔は、甥っ子の真久部さんより数段胡散臭い。

「奇遇だねぇ。こんなところで会うなんて」
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