第73話 秋の夜長のお月さま 11
文字数 2,139文字
「あの自在置物は、江戸時代中期に作られました」
店主は語り始めた。
「江戸時代も半ばとなれば、戦国の世も遠くなり、大阪冬の陣も夏の陣も人々の記憶から薄れる頃合いです。そうなると、軍需品の需要も減るわけです。大規模な戦が発生しないわけですから」
新しいものはいらないし、元からあるものも消耗しないから修理の機会も少ない、と言う。
「刀剣などの需要も減ったでしょうが、さらに減ったのは防具の需要です。鎧兜を扱う甲冑師の仕事が上がったりになりました。そのままではいずれ人も技術も消えてしまうし、何より食べていくことが出来ない。ではどうすればいいか。ということで、鎧兜を作る技術を生かすことの出来る形を求め、動かせる置物、自在置物を作る人たちが現れたんです」
現代風にいえば、軍事技術の民間転用ってやつですね、という言葉に俺が思いつくことが出来たのは、ナポレオンの缶詰くらいだ。ただ、ほへー、と思いながら聞いている。
「自在置物はリアルな動きを追求した仕掛けものですから、内部の仕組みが複雑です。鯉なら尾ひれはもちろん動くし、実際に泳ぐような全体の動きが再現出来るようになっています。当時の先端技術をもって作成した……そうですね、戦闘機の技術を転用して新幹線を作ったみたいなものですよ」
花瓶や火箸を作成した甲冑師もいました、と聞いて、技術の無駄遣い、という言葉を思い出した。
「す、すごいですね……」
「ええ。凝ったらとことん凝る、という国民性が表れた例のひとつだと思います。ですが、この自在置物、国内より海外での評価が高く、国内にはあまり残っていません。萱野さんに売ったのはそのうちのひとつで、とあるお屋敷の蔵に長年埋もれていたものでした」
そう聞いて、某御宝を鑑定する番組を思い出した。
「そういうのって、凄い値打ちがあるんじゃないですか?」
値打ちありすぎて、博物館とかに展示されてそう。そう言うと、店主は疲れたように同意した。
「それはそうなんですが……少々事情がありましてね。あまり大っぴらに出来ないんです。それに、蔵の中のガラクタごと全部で幾らで引き取ってほしいということだったので……。早く蔵を毀 して更地にしたかったらしいんです。うちに用意出来る金額にも限度があるからと、一度はお断りしたんですが……」
「そのお客さん、ほかの骨董屋には声を掛けなかったんですか?」
「元の持ち主さんの遺言だということでした。蔵の中身を処分するなら慈恩堂に一任するようにと。その方とは、和時計を介して一、二度会ったことがあるだけなんですが……。ともかく、相続したご遺族さん、相続税にお悩みのようでした。更地にした跡はしばらく有料駐車場として活用すると聞きましたが……」
「はぁ……」
俺には分からない世界だな。物持ちには物持ちなりの大変さがあるんだろうなぁ。税金が大きいというし。
「まあ、そんなわけで、出来るだけの金額で蔵の中の一切合財を引き取りました。ガラクタの処分費用を考えたら、大した儲けにはなりませんでしたが……鯉の自在置物以外にも相当な値打ちものがあったんですが、それもそう簡単に売るわけにはいかない代物で」
そこらへんは、古美術骨董古道具を扱う店によくある悩みです。そう言って、店主は遠い目をした。
「竜になりたい、っていう道具はね、わりと多いんです」
またひとつ溜息をつき、店主は店の中に置いてある品物たちに目をやった。
「全部がそうではありませんよ? そもそもそういう意識を持たないもののほうが多いですし。ただ、意識──性 を持ったものの中に、『僕、大きくなったら巨人軍に入るんだ!』並みの、子供みたいな憧れを竜に持つものがいるんです」
「どうして竜だけなんですか?」
俺はふと疑問に思った。
「えっと、青竜、朱雀、白虎、玄武、でしたっけ。朱雀とか白虎とか玄武になりたいっていうのはないんでしょうか。麒麟とか、鳳凰とか」
「その形を持つものがソレになりたがる、というのはあります。麒麟の彫刻、朱雀の絵。そういうのはね。でも、その形ではないのにソレに成りたがるというのは、圧倒的に竜が多いです。不思議ですね。でも多分それは登竜門の諺というか伝説のせいだと僕は思っています」
「ああ──昨日会った真久部さんの伯父さん、そんなようなことおっしゃってました。鯉の滝登りの話。垂直の滝を登り切るほどの力のある鯉は、竜になることが出来るって」
そんなことを言ってましたか、と店主は力なく笑った。
「鯉が竜になれるならば、と思うんでしょうね。地方の伝説では、鯰が竜になったりもしてますし。ましてや萱野さんちにやったのは鯉なので、竜になりたいと夢見る気持ちは一入だったようです。元々、甲冑師の技術の粋を尽くし、滝を登れるくらい立派な鯉として作られたわけですし。でもね、夢を見るくらいだから、ずっと眠っていたんです。置物として普通に扱っているぶんには、覚めるようなことはありません。うつらうつらと眠ったままです」
「えっと。よく分からないんですけど、目が覚める、っていうのはそんなに良くないことなんですか?」
店主は語り始めた。
「江戸時代も半ばとなれば、戦国の世も遠くなり、大阪冬の陣も夏の陣も人々の記憶から薄れる頃合いです。そうなると、軍需品の需要も減るわけです。大規模な戦が発生しないわけですから」
新しいものはいらないし、元からあるものも消耗しないから修理の機会も少ない、と言う。
「刀剣などの需要も減ったでしょうが、さらに減ったのは防具の需要です。鎧兜を扱う甲冑師の仕事が上がったりになりました。そのままではいずれ人も技術も消えてしまうし、何より食べていくことが出来ない。ではどうすればいいか。ということで、鎧兜を作る技術を生かすことの出来る形を求め、動かせる置物、自在置物を作る人たちが現れたんです」
現代風にいえば、軍事技術の民間転用ってやつですね、という言葉に俺が思いつくことが出来たのは、ナポレオンの缶詰くらいだ。ただ、ほへー、と思いながら聞いている。
「自在置物はリアルな動きを追求した仕掛けものですから、内部の仕組みが複雑です。鯉なら尾ひれはもちろん動くし、実際に泳ぐような全体の動きが再現出来るようになっています。当時の先端技術をもって作成した……そうですね、戦闘機の技術を転用して新幹線を作ったみたいなものですよ」
花瓶や火箸を作成した甲冑師もいました、と聞いて、技術の無駄遣い、という言葉を思い出した。
「す、すごいですね……」
「ええ。凝ったらとことん凝る、という国民性が表れた例のひとつだと思います。ですが、この自在置物、国内より海外での評価が高く、国内にはあまり残っていません。萱野さんに売ったのはそのうちのひとつで、とあるお屋敷の蔵に長年埋もれていたものでした」
そう聞いて、某御宝を鑑定する番組を思い出した。
「そういうのって、凄い値打ちがあるんじゃないですか?」
値打ちありすぎて、博物館とかに展示されてそう。そう言うと、店主は疲れたように同意した。
「それはそうなんですが……少々事情がありましてね。あまり大っぴらに出来ないんです。それに、蔵の中のガラクタごと全部で幾らで引き取ってほしいということだったので……。早く蔵を
「そのお客さん、ほかの骨董屋には声を掛けなかったんですか?」
「元の持ち主さんの遺言だということでした。蔵の中身を処分するなら慈恩堂に一任するようにと。その方とは、和時計を介して一、二度会ったことがあるだけなんですが……。ともかく、相続したご遺族さん、相続税にお悩みのようでした。更地にした跡はしばらく有料駐車場として活用すると聞きましたが……」
「はぁ……」
俺には分からない世界だな。物持ちには物持ちなりの大変さがあるんだろうなぁ。税金が大きいというし。
「まあ、そんなわけで、出来るだけの金額で蔵の中の一切合財を引き取りました。ガラクタの処分費用を考えたら、大した儲けにはなりませんでしたが……鯉の自在置物以外にも相当な値打ちものがあったんですが、それもそう簡単に売るわけにはいかない代物で」
そこらへんは、古美術骨董古道具を扱う店によくある悩みです。そう言って、店主は遠い目をした。
「竜になりたい、っていう道具はね、わりと多いんです」
またひとつ溜息をつき、店主は店の中に置いてある品物たちに目をやった。
「全部がそうではありませんよ? そもそもそういう意識を持たないもののほうが多いですし。ただ、意識──
「どうして竜だけなんですか?」
俺はふと疑問に思った。
「えっと、青竜、朱雀、白虎、玄武、でしたっけ。朱雀とか白虎とか玄武になりたいっていうのはないんでしょうか。麒麟とか、鳳凰とか」
「その形を持つものがソレになりたがる、というのはあります。麒麟の彫刻、朱雀の絵。そういうのはね。でも、その形ではないのにソレに成りたがるというのは、圧倒的に竜が多いです。不思議ですね。でも多分それは登竜門の諺というか伝説のせいだと僕は思っています」
「ああ──昨日会った真久部さんの伯父さん、そんなようなことおっしゃってました。鯉の滝登りの話。垂直の滝を登り切るほどの力のある鯉は、竜になることが出来るって」
そんなことを言ってましたか、と店主は力なく笑った。
「鯉が竜になれるならば、と思うんでしょうね。地方の伝説では、鯰が竜になったりもしてますし。ましてや萱野さんちにやったのは鯉なので、竜になりたいと夢見る気持ちは一入だったようです。元々、甲冑師の技術の粋を尽くし、滝を登れるくらい立派な鯉として作られたわけですし。でもね、夢を見るくらいだから、ずっと眠っていたんです。置物として普通に扱っているぶんには、覚めるようなことはありません。うつらうつらと眠ったままです」
「えっと。よく分からないんですけど、目が覚める、っていうのはそんなに良くないことなんですか?」