第160話 煙管の鬼女 8
文字数 2,006文字
笑ってるのか笑ってないのかわからないあの眼がコワイ。ぶるぶるぶる。つるかめつるかめ……。茶碗の煎茶の表に映る、ちょっと怯えた自分の顔を飲み干して、なんとか話題を元に戻してみる。
「えーっと、そう! たとえばコンサートとか行って、アイドルがこっち見たとか、俺に手を振ってくれたとか一喜一憂はあるあるだから、金さえ出せば気安くそういうことできる相手に、にっこり笑って思わせぶりなこと囁かれたりしたら、勘違いも何もしょうがない、かなぁ……?」
あなただけよ、なんて枕を交わした相手に言われたら、嘘だとわかってても信じたくなる気持ちはわかります、そう言っておく。男には、相手が妖艶美女に見えてるんだろうし──。
「恋は盲目ってね」
怪しい笑みで相槌を打ち、手入れを終えた“六条”を真久部さんはまた丁寧に煙草盆の縁に掛けた。
「恋というより、執着でしょうけど。さて、男たちは女をめぐって互いに殺し合い寸前まで殺気立っている。全員が彼女に惚れていて金までも貢いでいるのだから、そうなるのも道理。眼を血走らせた男たちは、争う自分たちを他人ごとみたいに眺めている女に聞く」
──お前が本当に好いているのは誰だ? 俺に決まってるよな?
「でも、彼女には答えられない。だって彼女は男よりお金が好き、商売柄それは仕方のないこと。綺麗だ別嬪だと褒めそやされたいだけ、それは彼女がそんな仕事をしながらずっと容姿を貶められていたから」
「……」
「男たちそれぞれ一人ずつなら、彼女にも何とか丸め込めたかもしれません。あるいは、本物の太夫の器量ならば。しかし彼女はにわか太夫、とっさの機転が利くわけでもない。焦った彼女はつい本当のことを言ってしまう」
──岡場所の女に本気になるなんて、あんたたち馬鹿じゃないの?
「虚勢を張って笑い飛ばそうとする。その場が一瞬凍りつく」
「……」
「ほら、女の嫉妬は同じ女に向かうけど、男の嫉妬は女に向かう、っていうでしょう?」
そう言って、猫のように笑う真久部さん。この先、聞きたくないんだけど……。
「え、ええ……」
「凍りついたのは一瞬、その下から吹き上げてきた男たちの怒りは、マグマのように沸騰して一気に爆発。“六条”の力でにわか太夫になった遊女は、我を失うほどの激昂に身を任せた男たちに、哀れ惨殺されてしまったんです。殴られ蹴られ、めった刺しにされた亡骸は、それはそれは惨いものだったとか」
「……」
「彼女がこと切れた瞬間、男たちは我に返って自分たちのしたことを見たけれど、そこに転がっているのは傾城の美貌を持つ女ではなく、死によって“六条”の効果も切れたただの見窄らしい下っ端遊女。男たちは大した罪悪感も無く、性質の悪い女に引っ掛かった、俺たちはどうかしてたと彼女の死体を投げ込み寺に投げ込んで、この話はお仕舞い」
「……」
凄惨な結末に俺が何も言えずにいるあいだ、真久部さんは自分にも新しいお茶を淹れ直していた。白い湯気がゆらゆら揺れる。
「……その後、どうめぐりめぐったやら、手に入れた女は似たような経緯で身を滅ぼし、一服使っただけの女も不幸になる。男だけは何ともないから、いつしかこれは六条の御息所のように女を取り殺す煙管、“六条”という二つ名で呼ばれるようになったと、そういうわけです」
本当は、“虞美人”というちゃんとした名があるんですけどね、と仕方なさそうに笑う。
「虞美人も薄幸の佳人と言われていますから、いずれにせよ、あまり幸せでない女性に似合うのか、それとも幸せでない女性だからこれを手にしてしまうのか……それはわかりません」
「──たまに使ってやらないといけないのは、どうしてですか……?」
そうたずねてみる。でも真久部さんは言う、もうわかっているでしょう?
「男が使ってなんともないのは、元の太夫を慰めることができるのは男だけだから。つまり、供養のためですよ」
「……」
「彼女との約束を違えて彼女を鬼にしてしまった男の代わりに、何年でも、何十年でも何百年でも長い時間を掛けて、彼女に約束し続けるんです、けして他の女には使わせないと」
「……でも、中には身近な女性に気軽に使わせたり──、評判を聞いて、それでも貸してほしいとか頼まれて、貸しちゃった人もいるんじゃないですか? ──ほんの一日でも一時間でも、一瞬だけでも綺麗になってみたいと泣かれたら……」
その代償に不幸を引き受けてもいい、今この瞬間綺麗になりたい、そう願う女性もいるだろう。
「その場合は、次の男がまたやり直し。太夫の彼女が鬼女から普通の女人に戻るまで、その魂を慰め続けるんですよ。年に一度か二度、たまに彼女と逢瀬をして約束をし、次までそれを守る。なに、ほんのささやかな願いです。守るのは造作もないこと」
最初の男はどうしてそんなこともできなかったのか、と真久部さんは溜息を吐く。
「守れない約束は、ときに人の命までも奪うことがあるのにね。どう思います? 何でも屋さん」
「えーっと、そう! たとえばコンサートとか行って、アイドルがこっち見たとか、俺に手を振ってくれたとか一喜一憂はあるあるだから、金さえ出せば気安くそういうことできる相手に、にっこり笑って思わせぶりなこと囁かれたりしたら、勘違いも何もしょうがない、かなぁ……?」
あなただけよ、なんて枕を交わした相手に言われたら、嘘だとわかってても信じたくなる気持ちはわかります、そう言っておく。男には、相手が妖艶美女に見えてるんだろうし──。
「恋は盲目ってね」
怪しい笑みで相槌を打ち、手入れを終えた“六条”を真久部さんはまた丁寧に煙草盆の縁に掛けた。
「恋というより、執着でしょうけど。さて、男たちは女をめぐって互いに殺し合い寸前まで殺気立っている。全員が彼女に惚れていて金までも貢いでいるのだから、そうなるのも道理。眼を血走らせた男たちは、争う自分たちを他人ごとみたいに眺めている女に聞く」
──お前が本当に好いているのは誰だ? 俺に決まってるよな?
「でも、彼女には答えられない。だって彼女は男よりお金が好き、商売柄それは仕方のないこと。綺麗だ別嬪だと褒めそやされたいだけ、それは彼女がそんな仕事をしながらずっと容姿を貶められていたから」
「……」
「男たちそれぞれ一人ずつなら、彼女にも何とか丸め込めたかもしれません。あるいは、本物の太夫の器量ならば。しかし彼女はにわか太夫、とっさの機転が利くわけでもない。焦った彼女はつい本当のことを言ってしまう」
──岡場所の女に本気になるなんて、あんたたち馬鹿じゃないの?
「虚勢を張って笑い飛ばそうとする。その場が一瞬凍りつく」
「……」
「ほら、女の嫉妬は同じ女に向かうけど、男の嫉妬は女に向かう、っていうでしょう?」
そう言って、猫のように笑う真久部さん。この先、聞きたくないんだけど……。
「え、ええ……」
「凍りついたのは一瞬、その下から吹き上げてきた男たちの怒りは、マグマのように沸騰して一気に爆発。“六条”の力でにわか太夫になった遊女は、我を失うほどの激昂に身を任せた男たちに、哀れ惨殺されてしまったんです。殴られ蹴られ、めった刺しにされた亡骸は、それはそれは惨いものだったとか」
「……」
「彼女がこと切れた瞬間、男たちは我に返って自分たちのしたことを見たけれど、そこに転がっているのは傾城の美貌を持つ女ではなく、死によって“六条”の効果も切れたただの見窄らしい下っ端遊女。男たちは大した罪悪感も無く、性質の悪い女に引っ掛かった、俺たちはどうかしてたと彼女の死体を投げ込み寺に投げ込んで、この話はお仕舞い」
「……」
凄惨な結末に俺が何も言えずにいるあいだ、真久部さんは自分にも新しいお茶を淹れ直していた。白い湯気がゆらゆら揺れる。
「……その後、どうめぐりめぐったやら、手に入れた女は似たような経緯で身を滅ぼし、一服使っただけの女も不幸になる。男だけは何ともないから、いつしかこれは六条の御息所のように女を取り殺す煙管、“六条”という二つ名で呼ばれるようになったと、そういうわけです」
本当は、“虞美人”というちゃんとした名があるんですけどね、と仕方なさそうに笑う。
「虞美人も薄幸の佳人と言われていますから、いずれにせよ、あまり幸せでない女性に似合うのか、それとも幸せでない女性だからこれを手にしてしまうのか……それはわかりません」
「──たまに使ってやらないといけないのは、どうしてですか……?」
そうたずねてみる。でも真久部さんは言う、もうわかっているでしょう?
「男が使ってなんともないのは、元の太夫を慰めることができるのは男だけだから。つまり、供養のためですよ」
「……」
「彼女との約束を違えて彼女を鬼にしてしまった男の代わりに、何年でも、何十年でも何百年でも長い時間を掛けて、彼女に約束し続けるんです、けして他の女には使わせないと」
「……でも、中には身近な女性に気軽に使わせたり──、評判を聞いて、それでも貸してほしいとか頼まれて、貸しちゃった人もいるんじゃないですか? ──ほんの一日でも一時間でも、一瞬だけでも綺麗になってみたいと泣かれたら……」
その代償に不幸を引き受けてもいい、今この瞬間綺麗になりたい、そう願う女性もいるだろう。
「その場合は、次の男がまたやり直し。太夫の彼女が鬼女から普通の女人に戻るまで、その魂を慰め続けるんですよ。年に一度か二度、たまに彼女と逢瀬をして約束をし、次までそれを守る。なに、ほんのささやかな願いです。守るのは造作もないこと」
最初の男はどうしてそんなこともできなかったのか、と真久部さんは溜息を吐く。
「守れない約束は、ときに人の命までも奪うことがあるのにね。どう思います? 何でも屋さん」