第74話 秋の夜長のお月さま 12
文字数 2,301文字
「何でも屋さん」
店主は真顔で訊ねてきた。
「きみ、生きている鯉の置物と暮らしたいですか?」
「え?」
「生きているように見えるほど良く出来ている鯉の置物、じゃないんですよ? 生きている鯉の置物、です。池で飼う本物の鯉なら何とも思わないでしょうが、置物の鯉ですよ? 怖くないですか?」
「う……」
想像してみる。リビング・デッドならぬリビング・カープ、生きてる生身の鯉じゃなくて、鯉の作り物。それが事務所兼住居にいるところを。
──部屋の隅に放り出しておいたら、いつの間にか水張った風呂桶に浸かってそう。で、風呂を焚こうとすると睨まれる。夏場の暑い時なんか、その辺水浸しにされそうだし、お土産にもらった鯉の甘露煮食べようとしたら、テーブルの上に居ていて睨んでくるんだ。無機物で出来てるのにヌラヌラした感触してそうで……。
「どうです、嫌でしょう? あれは目を覚ますとそんなふうになりますよ」
俺の顔色を観察していたらしい店主がダメ押ししてきた。俺はこくこくと頷く。
「こちらの常識は通じません。勝手な理屈で好きなことをします。そのうち、こちらの精神が耐えられなくなってきて、病みますよ」
うちの品物の中には、何度も出戻ってくるものがあるのをご存知でしょう、と続ける。
「そういうのはほぼ例外なく性 を持っているんです。眠ってはいますが。中には、眠っていても影響を及ぼすものがあって……そういうのが起きていると、もっと厄介なことになります。彼らには気持ちよく眠っていてもらうのが、一番いいんですよ。夢の中ですら悪さするのに──」
扱いさえ間違えなければ、いい感じの道具にはなるんですけどね、と店主は言う。
「何とも知れない魅力があるといいますか、ただ事でなさそうな佇まいといいますか。そういうのは高く売れるし、買った人との相性が良ければ、微力ながら護ってくれたりもします。最低でも害がない。だから売っても大丈夫なんですよ。ダメならまた戻ってきますし。あの鯉の自在置物は萱野さんとの相性がいいと思ったから売ったんですが……」
店主の話によると萱野さん、淡水魚観賞が好きらしい。それを聞いて、俺は玄関に水槽が置いてあったことを思い出した。
「そういえば、メダカを飼ってらっしゃいましたね」
「小魚専門だということですよ。大きな魚を飼うには、水槽では可哀想だと。でも憧れがあるので、せめて鯉の置物でも愛でたい、ということだったんです。あれは本物の鯉そのもののように動かせますから、萱野さんにしたら理想の置物です。だから、水を見せないこと、月光は浴びせないこと、その二つを守ってくれるならば売りましょう、ということになりました」
この条件は絶対に守ってもらなければならないんです、と店主は難しい顔をする。
「水と、月光?」
「ええ。水は鯉の本性を呼び覚ますきっかけになりますし、月光は……あの置物は竜になりたい気持ちが高じたのか、いい月夜の晩には本体から抜け出して竜の姿となり、空を泳いだ、という話があるんですよ。それを見た者がびっくりして、転んで頭を打って死んだとか」
一緒に入っていた取扱説明書のような書付に、そう書いてありました、とえらく簡単に店主は言った。
「本物の竜ではないので、泳ぎ方が鯉だったそうですがね。月光に満ちた空を滝壺にでも見立てたんでしょうか、普通の水を泳ぐようにすいすいと……。でもそれって、本物になれないからコスプレしてみた、って感じじゃないのかなと思うんです。格好だけ芸能人みたいに派手にして、イケてるつもりの不良みたいに。自分のせいで死人が出たことで、得意になったのかもしれませんが」
置物自身の実力じゃないのにね、なんて店主は言うけど、そんなパラノーマルな出来事を、奇抜な格好して夜の街を練り歩く悪ガキのした事、みたいに片付けるなんて……。店主……。
「まあ、何度か月の夜に空を泳いでみせて、人々を驚かせたそうですよ。それで近隣の評判になり、お城の殿様にまで噂が届いたのが運の尽き。人心を惑わせるなどたかが置物の分際でけしからぬということになり、殿様が都から招いた徳の高い僧が、あの置物の性をねじ伏せて深く眠らせたのだそうです」
それ以来、ずっとどこかの家を転々としていたようですよ、と店主は言う。
「お寺に預けられていたこともあったそうですが、明治の廃仏毀釈で無くなってしまい、最後の持ち主さんが家の蔵に仕舞い込んでいたようです」
「よく壊されなかったですね」
「まあ……造りが見事ですからねぇ。ただ、たまに魚の生臭い臭いがしたり、寝てる顔を濡れた鱗が撫でていく感触がしたりして、やっぱり箱に入れて封印されてしまったようです。そういう悪さをする時は、眠りが浅くなって不機嫌だったのかもしれませんね。気持ちよく寝てるのに周りが騒がしかったりしたら、人間でも機嫌が悪くなるでしょう」
「そうかも……」
だからって、寝てる時に頬を鮫肌ならぬ鯉肌で撫でられるのは嫌だなぁ。あ、だから封印されたのか……。
「そういう時はたいてい、金魚鉢がそばにあったり、遮光が完全ではなかったりしたようですよ。あの置物にとっての刺激ですね。だから萱野さんには同じ部屋に水槽の無い、窓の無い部屋に置くことを条件に売ることにしたんです。大事にして、心地よい眠りを守ってくれる持ち主ならば好かれますからね」
竜になる夢を見ながら眠っているなら、わざわざ目覚めなくても幸せなはずです、と店主は言う。まだ、ただの置物の範疇にいられると。
店主は真顔で訊ねてきた。
「きみ、生きている鯉の置物と暮らしたいですか?」
「え?」
「生きているように見えるほど良く出来ている鯉の置物、じゃないんですよ? 生きている鯉の置物、です。池で飼う本物の鯉なら何とも思わないでしょうが、置物の鯉ですよ? 怖くないですか?」
「う……」
想像してみる。リビング・デッドならぬリビング・カープ、生きてる生身の鯉じゃなくて、鯉の作り物。それが事務所兼住居にいるところを。
──部屋の隅に放り出しておいたら、いつの間にか水張った風呂桶に浸かってそう。で、風呂を焚こうとすると睨まれる。夏場の暑い時なんか、その辺水浸しにされそうだし、お土産にもらった鯉の甘露煮食べようとしたら、テーブルの上に居ていて睨んでくるんだ。無機物で出来てるのにヌラヌラした感触してそうで……。
「どうです、嫌でしょう? あれは目を覚ますとそんなふうになりますよ」
俺の顔色を観察していたらしい店主がダメ押ししてきた。俺はこくこくと頷く。
「こちらの常識は通じません。勝手な理屈で好きなことをします。そのうち、こちらの精神が耐えられなくなってきて、病みますよ」
うちの品物の中には、何度も出戻ってくるものがあるのをご存知でしょう、と続ける。
「そういうのはほぼ例外なく
扱いさえ間違えなければ、いい感じの道具にはなるんですけどね、と店主は言う。
「何とも知れない魅力があるといいますか、ただ事でなさそうな佇まいといいますか。そういうのは高く売れるし、買った人との相性が良ければ、微力ながら護ってくれたりもします。最低でも害がない。だから売っても大丈夫なんですよ。ダメならまた戻ってきますし。あの鯉の自在置物は萱野さんとの相性がいいと思ったから売ったんですが……」
店主の話によると萱野さん、淡水魚観賞が好きらしい。それを聞いて、俺は玄関に水槽が置いてあったことを思い出した。
「そういえば、メダカを飼ってらっしゃいましたね」
「小魚専門だということですよ。大きな魚を飼うには、水槽では可哀想だと。でも憧れがあるので、せめて鯉の置物でも愛でたい、ということだったんです。あれは本物の鯉そのもののように動かせますから、萱野さんにしたら理想の置物です。だから、水を見せないこと、月光は浴びせないこと、その二つを守ってくれるならば売りましょう、ということになりました」
この条件は絶対に守ってもらなければならないんです、と店主は難しい顔をする。
「水と、月光?」
「ええ。水は鯉の本性を呼び覚ますきっかけになりますし、月光は……あの置物は竜になりたい気持ちが高じたのか、いい月夜の晩には本体から抜け出して竜の姿となり、空を泳いだ、という話があるんですよ。それを見た者がびっくりして、転んで頭を打って死んだとか」
一緒に入っていた取扱説明書のような書付に、そう書いてありました、とえらく簡単に店主は言った。
「本物の竜ではないので、泳ぎ方が鯉だったそうですがね。月光に満ちた空を滝壺にでも見立てたんでしょうか、普通の水を泳ぐようにすいすいと……。でもそれって、本物になれないからコスプレしてみた、って感じじゃないのかなと思うんです。格好だけ芸能人みたいに派手にして、イケてるつもりの不良みたいに。自分のせいで死人が出たことで、得意になったのかもしれませんが」
置物自身の実力じゃないのにね、なんて店主は言うけど、そんなパラノーマルな出来事を、奇抜な格好して夜の街を練り歩く悪ガキのした事、みたいに片付けるなんて……。店主……。
「まあ、何度か月の夜に空を泳いでみせて、人々を驚かせたそうですよ。それで近隣の評判になり、お城の殿様にまで噂が届いたのが運の尽き。人心を惑わせるなどたかが置物の分際でけしからぬということになり、殿様が都から招いた徳の高い僧が、あの置物の性をねじ伏せて深く眠らせたのだそうです」
それ以来、ずっとどこかの家を転々としていたようですよ、と店主は言う。
「お寺に預けられていたこともあったそうですが、明治の廃仏毀釈で無くなってしまい、最後の持ち主さんが家の蔵に仕舞い込んでいたようです」
「よく壊されなかったですね」
「まあ……造りが見事ですからねぇ。ただ、たまに魚の生臭い臭いがしたり、寝てる顔を濡れた鱗が撫でていく感触がしたりして、やっぱり箱に入れて封印されてしまったようです。そういう悪さをする時は、眠りが浅くなって不機嫌だったのかもしれませんね。気持ちよく寝てるのに周りが騒がしかったりしたら、人間でも機嫌が悪くなるでしょう」
「そうかも……」
だからって、寝てる時に頬を鮫肌ならぬ鯉肌で撫でられるのは嫌だなぁ。あ、だから封印されたのか……。
「そういう時はたいてい、金魚鉢がそばにあったり、遮光が完全ではなかったりしたようですよ。あの置物にとっての刺激ですね。だから萱野さんには同じ部屋に水槽の無い、窓の無い部屋に置くことを条件に売ることにしたんです。大事にして、心地よい眠りを守ってくれる持ち主ならば好かれますからね」
竜になる夢を見ながら眠っているなら、わざわざ目覚めなくても幸せなはずです、と店主は言う。まだ、ただの置物の範疇にいられると。