第134話 鳴神月の護り刀 3
文字数 2,340文字
心の中で罵っていると、ウエストポーチを受け取ったお巡りさんがこちらをちらりと見てからファスナーを開き、ぞんざいに中身を確認し始めた。
ハンカチ、ポケットティッシュ、ソーイングセット、財布、携帯、小銭入れ、のど飴いくつか、ボールペンと鉛筆の入ったペン入れ、手帳、事務所兼住居の鍵、請求書兼領収書綴り、新しい靴下、それと──。
「これ、砥石ですか?」
新聞紙に包んだ、薄いレンガみたいな砥石。
「そうですけど……」
「どうしてこんなもの、持ち歩いてるんですか?」
「これから伺うお得意さんのご希望で、包丁を……」
神埼の爺さんが、来るついでに研いでほしいって言うからさあ。
「ふーん……」
人の説明を聞いているのかいないのか、荷台の上にポーチを置いて、本格的に中を探る。砥石、そんなに怪しいかなぁ。それ以外は<ご老人話し相手用セット>だから、ほら、小さい千代紙の束とか、話題づくりに落語のネタ本も入れてあるの。平和でしょ? あ、えらく乱暴に戻した。ページの端が折れたらどうしてくれる。
請求書兼領収書綴りをちゃんと見てくれたら、何でも屋事務所のゴム印押してあるのになぁ。あ、見てるな。でも、あの肥後守は見つかったらダメだろうな。刃渡りが銃刀法的に大丈夫でも、軽犯罪法に問われるかも。たとえチキリを押さえてないと出してられないような刃でも、見た目で既に危ないからなぁ……。
……あーあ。神埼の爺さんに、今日は伺えなさそうです、って連絡入れたほうがいいかなぁ。申しわけないなぁ……。恨むよ、変な肥後守。何で勝手に俺の荷物になってるんだ。そりゃ、猫を助けるのには役に立ったけど、その代わりややこしいことに──。
「身分を証明するものはお持ちですか?」
「その財布の中に──」
出して見せてください、と言われて、財布のカード入れのところから運転免許証を取り出す。安心と信頼のゴールド免許だ。完全ペーパードライバーだけど。持ってて良かった運転免許。かつて取っておけとアドバイスしてくれた弟よ、ありがとう。俺、今は零細個人事業主だし、客観的な身分証明って難しいもんな。
「ゴールドですね」
「運転する機会ないんで、ほぼペーパーですから!」
ははっと無意味に笑う。お巡りさんは無言。なんか番号とか確認してるみたい。犯罪歴なんか無いですよ? てか、身分証明とか名前とか、最初に聞かない? と思ってたら口頭でも氏名年齢住所を言わされて──。
「ご協力ありがとうございました」
へ? 肥後守は?
「その登山ロープ、猫の毛が付着してるので、猫が絡まってたというのは嘘じゃないようですね。きれいに切れているのは、クライマーが絡まったザイルを切ったのを持って帰ったとか、山登りの副産物というかゴミだったんじゃないですかね」
「はあ……」
俺が切ったんだけど……。
「まあ、自分も実家に猫がいるので分かります。あいつら紐のたぐいが大好きで、勝手に毛糸でぐるぐる巻きになってたりしますし。そのロープも、どこかから引っ張り出してきたのか、誰かが捨てたのにじゃれてたのか──」
で、あなた、野良猫を虐待、してないですよね? ともう一度確認されて、ぶんぶんと首を振る。それじゃあ、とお巡りさんは自転車に戻る。
「行き先はそこの神埼さんでしたっけ?」
「はい……」
「すぐそこですから、ご一緒しましょうか」
え? まだ疑わしいの? ──ま、いいか。爺さんが証明してくれるだろう、俺がこれから来訪予定の何でも屋だって。砥石についても証言してくれるはず。
そんなふうに思いながら、爺さん家 までの五十メートルほどを、牽かれて行く仔牛の気分で歩く。俺、何も悪いことしてないのに。
っていうか。
悪いことしてないけど、この場合ポーチに刃物はアウトだと思う。本人が携帯とか所持とかした覚えのない品物だとはいえ。なのに何でお巡りさん、肥後守について何も言わないの? まさか見えなかったの……? 今すぐポーチの中を確かめたいけど、お巡りさんが怖くて出来ない。
ようやく神埼の表札の出ている家に着いて、お巡りさんが呼び鈴を押す。「遅かったな、何でも屋さん」と言いながら迎えてくれた爺さんの、その白髪頭の上に、天使の輪っかが見えたような気がした。
あの後、何で職質なんかされたのか事情を話したら、爺さんに笑われた。お巡りさんには、「この人は確かに何でも屋さんで、子供の送り迎えを任されるくらい、この界隈の親御さんたちにも信頼されてるよ。もし鎌持って歩いてても、それは草刈りのためだから。いい人なんで、まあ、苛めないであげてくださいよ」なんて請け合ってくれたから、ありがたいんだけどさ。
家の中に入れてもらってすぐ、爺さんにことわってポーチの中を探したんだけど、何故かあの麒麟の肥後守は見つからなかった。爺さんは、猫がくわえて行ったんじゃないか、とコーヒーを出してくれながら言った。
「あのお巡りさん、新顔だったんだろ? 新しい職場に来て張り切ってるとこに、不審者見つけて」
不審者、のところで、俺を見てぷっ、と笑った。爺さん……。
「そいつの所持品の中に小型のナイフでも発見したら、そりゃもう大金星よ。ノルマ達成、検挙率アップ! ってなもんだ。でもよ、もしそうなったら半日は無駄にしたんじゃないか? 交番に顔見知りのお巡りさんがいても、新人が頑張って職質して引っ張ってきた相手が実際にそれなりの刃物持ってたら、なかなか庇いにくいんじゃないかと思うが」
秋葉原の通り魔大量殺人事件のあと、銃刀法はよけい厳しくなったっていうし、と爺さんは真面目な顔になる。
ハンカチ、ポケットティッシュ、ソーイングセット、財布、携帯、小銭入れ、のど飴いくつか、ボールペンと鉛筆の入ったペン入れ、手帳、事務所兼住居の鍵、請求書兼領収書綴り、新しい靴下、それと──。
「これ、砥石ですか?」
新聞紙に包んだ、薄いレンガみたいな砥石。
「そうですけど……」
「どうしてこんなもの、持ち歩いてるんですか?」
「これから伺うお得意さんのご希望で、包丁を……」
神埼の爺さんが、来るついでに研いでほしいって言うからさあ。
「ふーん……」
人の説明を聞いているのかいないのか、荷台の上にポーチを置いて、本格的に中を探る。砥石、そんなに怪しいかなぁ。それ以外は<ご老人話し相手用セット>だから、ほら、小さい千代紙の束とか、話題づくりに落語のネタ本も入れてあるの。平和でしょ? あ、えらく乱暴に戻した。ページの端が折れたらどうしてくれる。
請求書兼領収書綴りをちゃんと見てくれたら、何でも屋事務所のゴム印押してあるのになぁ。あ、見てるな。でも、あの肥後守は見つかったらダメだろうな。刃渡りが銃刀法的に大丈夫でも、軽犯罪法に問われるかも。たとえチキリを押さえてないと出してられないような刃でも、見た目で既に危ないからなぁ……。
……あーあ。神埼の爺さんに、今日は伺えなさそうです、って連絡入れたほうがいいかなぁ。申しわけないなぁ……。恨むよ、変な肥後守。何で勝手に俺の荷物になってるんだ。そりゃ、猫を助けるのには役に立ったけど、その代わりややこしいことに──。
「身分を証明するものはお持ちですか?」
「その財布の中に──」
出して見せてください、と言われて、財布のカード入れのところから運転免許証を取り出す。安心と信頼のゴールド免許だ。完全ペーパードライバーだけど。持ってて良かった運転免許。かつて取っておけとアドバイスしてくれた弟よ、ありがとう。俺、今は零細個人事業主だし、客観的な身分証明って難しいもんな。
「ゴールドですね」
「運転する機会ないんで、ほぼペーパーですから!」
ははっと無意味に笑う。お巡りさんは無言。なんか番号とか確認してるみたい。犯罪歴なんか無いですよ? てか、身分証明とか名前とか、最初に聞かない? と思ってたら口頭でも氏名年齢住所を言わされて──。
「ご協力ありがとうございました」
へ? 肥後守は?
「その登山ロープ、猫の毛が付着してるので、猫が絡まってたというのは嘘じゃないようですね。きれいに切れているのは、クライマーが絡まったザイルを切ったのを持って帰ったとか、山登りの副産物というかゴミだったんじゃないですかね」
「はあ……」
俺が切ったんだけど……。
「まあ、自分も実家に猫がいるので分かります。あいつら紐のたぐいが大好きで、勝手に毛糸でぐるぐる巻きになってたりしますし。そのロープも、どこかから引っ張り出してきたのか、誰かが捨てたのにじゃれてたのか──」
で、あなた、野良猫を虐待、してないですよね? ともう一度確認されて、ぶんぶんと首を振る。それじゃあ、とお巡りさんは自転車に戻る。
「行き先はそこの神埼さんでしたっけ?」
「はい……」
「すぐそこですから、ご一緒しましょうか」
え? まだ疑わしいの? ──ま、いいか。爺さんが証明してくれるだろう、俺がこれから来訪予定の何でも屋だって。砥石についても証言してくれるはず。
そんなふうに思いながら、爺さん
っていうか。
悪いことしてないけど、この場合ポーチに刃物はアウトだと思う。本人が携帯とか所持とかした覚えのない品物だとはいえ。なのに何でお巡りさん、肥後守について何も言わないの? まさか見えなかったの……? 今すぐポーチの中を確かめたいけど、お巡りさんが怖くて出来ない。
ようやく神埼の表札の出ている家に着いて、お巡りさんが呼び鈴を押す。「遅かったな、何でも屋さん」と言いながら迎えてくれた爺さんの、その白髪頭の上に、天使の輪っかが見えたような気がした。
あの後、何で職質なんかされたのか事情を話したら、爺さんに笑われた。お巡りさんには、「この人は確かに何でも屋さんで、子供の送り迎えを任されるくらい、この界隈の親御さんたちにも信頼されてるよ。もし鎌持って歩いてても、それは草刈りのためだから。いい人なんで、まあ、苛めないであげてくださいよ」なんて請け合ってくれたから、ありがたいんだけどさ。
家の中に入れてもらってすぐ、爺さんにことわってポーチの中を探したんだけど、何故かあの麒麟の肥後守は見つからなかった。爺さんは、猫がくわえて行ったんじゃないか、とコーヒーを出してくれながら言った。
「あのお巡りさん、新顔だったんだろ? 新しい職場に来て張り切ってるとこに、不審者見つけて」
不審者、のところで、俺を見てぷっ、と笑った。爺さん……。
「そいつの所持品の中に小型のナイフでも発見したら、そりゃもう大金星よ。ノルマ達成、検挙率アップ! ってなもんだ。でもよ、もしそうなったら半日は無駄にしたんじゃないか? 交番に顔見知りのお巡りさんがいても、新人が頑張って職質して引っ張ってきた相手が実際にそれなりの刃物持ってたら、なかなか庇いにくいんじゃないかと思うが」
秋葉原の通り魔大量殺人事件のあと、銃刀法はよけい厳しくなったっていうし、と爺さんは真面目な顔になる。