第178話 寄木細工のオルゴール 16

文字数 2,102文字

「な、何が入ってるんでしょうね……?」

わざわざ所有者を探して追いかけてまで欲しかったものって……。

「わかりません」

素っ気無く真久部さんは言う。

「言ったでしょう、これは開かずの箱だと。正しい開け方で、最後まで開けられた人はいない──いたかもしれませんが、その人が中に何も入っていなかったと言って、信じる人は素直に信じるでしょうが、疑う人は信じない。疑い続けるんですよ、自分の眼で確認しない限りはと、いつまでもね」

「……」

「開けて中を見せろと言われても、その時の所有者だって開けられなかったりする。あるいは、一度は開けられても、その一度きりかもしれない。古い道具とのつき合い方を知っている人は、そういうことがわかっているので、無理はしません。だから、目の前でもう一度開けてみせろと言われても、首を振る。扱いの難しい道具ですからね、そう簡単にいかないと理解していますから」

間違った手順で開けてしまったときのペナルティを知っていたら、なおさら危険を冒したくないと思いませんか? そう聞かれて、俺はこくこくと何度も首を縦に振った。

「本当に何も入っていなかった、と見たままのことを告げても、疑う者は信じない。──悪魔の証明って知ってますか? 何でも屋さん」

「……」

え? 証明って何を? ってか、悪魔が何かを証明したって、それを信用していいものかな? てなことを考えながら首を傾げていると、真久部さんは言う。

「簡単に言えば“無いことの証明”。“無いものを無いと証明するのは難しい”という意味なんだけど……そうだね……例えば、何でも屋さんは今日、朝食に何を食べました?」

「え? 朝飯?」

いきなりそんなことを聞かれてとまどったけど、思い出しながら答えた。

「えーっと、ご飯と卵二つのベーコンエッグ、昨夜の残りの具沢山豚汁、頂き物の糠漬け、それとプチトマトを五つくらい……?」

パンかご飯かくらいで、毎日あんまり変わりばえしないから、意識してないと昨日とか一昨日のとこんぐらかってしまう。昨日はたしかソーセージエッグだったような。

「北京ダックは食べませんでしたか?」

真久部さん……真面目な顔して、何で北京ダック? 唐突過ぎてがくっと脱力してしまった。

「食べませんよ、そんなもん、朝っぱらから……っていうか、お高くて食べられません」

俺、しがない何でも屋なのに。その前はしがないサラリーマンだったし、その前だってしがない貧乏学生だ。そんな高級料理、一度も食べたことないよ!

「証明できますか?」

へ?

「いや、俺、懐寒いし……」

娘のののかが成人式を迎えたとき、振袖は無理でもせめて帯でも買わせてもらいたいって思ってる。だからそれなり倹約してるんだ。ほかにもいろいろやってやりたいしさ。

「絶対に食べられないほどですか? そんなことはないでしょう?」

冷静に指摘される。いくらするのか知らないけど、そりゃ一万二万のお金を出せないわけじゃない。

「そりゃまあ……」

だけど、食べ物にそこまでお金掛けたくないっていうか……。

「いや、でもこの辺で北京ダック食べられるとこ、あるんですか?」

純粋に疑問だ。あれって高級中華のイメージがある。駅前にも、中華料理はカジュアルなチェーン店しかなかったような。

「ありますよ。駅前の十日ビルの六階に」

「へえ……それは知らなかった、って。今の今まで知らなかった店でどうやって食べるんですか? だいたい、そんな時間に開いてないでしょう?」

俺の朝飯、午前五時台だぜ?

「前の日から買っておいたのかも」

惚けた顔でそんなこと言うから、ちょっとイラッときた。

「だから今初めて知った店でどうやって……」

「知らなかったというのは嘘かも。誰かにお土産でもらったかもしれないし、あるいはお取り寄せグルメしたのかも。ほらね、食べなかったことを証明するのは難しい」

「あ、うう……」

まるで刑事ドラマの取調べみたい。

──俺はやってないんです! 
──じゃあ、それを証明してもらおうか。
──やってないって、どうやって証明するんですか?

「そ、そうだ、証拠……」

食べてないって証拠は……そうだ、うちのゴミ箱には北京ダックの入ってたはずのパックとか、そういうゴミは無いぞ。そう言ったら。

「証拠は、ここへ来るまでに隠滅したのかも?」

さらっとそう返された。

「真久部さん……」

じっとりと恨みがましく見つめると、胡散臭い笑みですみません、と謝られた。

「すみません。でもほら、よくわかったでしょ? やってないことを証明するのは難しいんですよ。北京ダックの例に戻ると、ゴミ箱にそのゴミが入ってないとか、中華料理店に行って顔写真を見せてこの人は来なかったと証言してもらうとか、土産を持った来客は無かった、宅配便は受け取らなかったなどなど、他にも客観的な証拠をいくつ集めて揃えて見せても、『本当は食べたはずだ』という疑いを晴らすのは至難の業。信じない人はどうやっても信じないしね」

「それが、悪魔の証明……」

恐ろしい……。たしかにその名がふさわしいかも。

「ええ。そんなわけで、この中には何も入っていない、といくら言っても信用しない人間は、その悪魔の証明を欲しているわけですよ」
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