第75話 秋の夜長のお月さま 13
文字数 2,211文字
「でも……そんなに魚の鯉が好きなら、あの置物が本物っぽくなったらうれしいんじゃ……?」
俺は絶対嫌だけど、好きならば。うん。ちょっとくらいほっぺたに生臭いひんやり感がしても、耐えられる、かも?
そう言うと、馬鹿言わないでください、と呆れられてしまった。
「ただの鯉と、言わば物の怪の鯉は違いますよ。萱野さんだって普通に泳いでいる鯉が好きなんでしょうし。飼ってるメダカなんか食べられてしまいますよ、本質は鯉と同じ雑食性だから。どうします? 何でも屋さん。メダカのいなくなった空っぽの水槽に、いつの間にか鯉の置物が入っていたら」
「それは……ホラーですね」
俺はぶるぶると首を振った。嫌だ、そんな怖い置物。スナック菓子とか置いといたら、中身だけ空っぽになってそう。何となくカー○が好きそうなイメージ。いや、あれって麩に似てると思うんだ。
「そんなふうになると危険です。一度は眠らされるだけで済みましたが、今はもうそんなほどほど中庸の絶妙な状態に留め置く技を行う力のある人はいない。最終的に御祓いしてお焚き上げという形になるでしょう。普通の人間が持つには、それは僕も含めてのことですけど、手に余るモノと成り果てる……」
それはあの置物にとっても不幸ですよ、と言う言葉は頷けるものだった。性 を持つのはいい、だけど、性が成長するのはよくない、ということなんだろう。多分、成長することを「目覚める」と表現してるのかな、と思った。
「それを起こしてしまうなんて……、眠っていても難しいのに。全く、あの伯父は……」
自分の持ち物だけならともかく、通りすがりの他人様のものにまで悪ふざけの手を出すなんて、と店主は憤っている。眠らせるのは難しいけど、起こすのはそれほどでもないのだという。
「手妻地蔵様のお力があるから、何でも屋さんの無事は変わらなかったはずですが、話が通じるか通じないか分からないようなモノをわざわざ起こしてまで、危ない相手に嗾けるとは……!」
本当にすみません、恐ろしかったでしょう、と店主に謝られた。うーん、だけど……。
「必ず護れって、伯父さん言ってました。鞄の中身に。お主を──えーっと、そこ聞き取れなかったんですけど、たぶん例の<悪いモノ>のことだと思います。その<悪いモノ>のところに連れて行ってくれる御仁、って俺のことですね。連れて行ってくれる人なんだから、不満を言わずに護れ、って」
もし危ない目にあったらどうしてくれるつもりだよ、と俺だって思わなくもないけどさ。
「あの、鞄の中身が慈恩堂のものだとか、伯父さんはそこまで分かるんですか?」
店主は首を振る。
「何かアレなものがあるな、とは分かるようですが、さすがにどこから持って来たかまでは無理でしょう」
「なら……俺に煙草のにおいがしなかったから、ということが考えられませんか?」
ほら、昨夜は満月だったでしょう、と俺は続ける。
「喫煙者なら、道に迷えば一服しようと思うでしょう? 煙草飲みってそういうもんですし。でも俺からは煙草のにおいがしない。だから危ないと思ったんじゃないかな……」
満月の夜はあの<悪いモノ>の力が強くなるから、引っ張られた人を助けるには、お地蔵様にも煙草の煙幕が必要だって話、さっきもしてたし。
「──護衛を付けたと?」
「そうなんじゃないかな、って。報酬は例の<悪いモノ>で。古くからいるぶん力が強いから、喰らえば竜になれるって言い聞かせてました。絶対逃すな、手妻地蔵様も手伝ってくださるって」
「……」
「もし、俺の持っているものが甥の真久部さんが託した荷物で、俺がその運び人だと知っていたなら、伯父さんもお節介はしなかったと思うんです。甥のすることなら、抜かりはないだろうと」
実際、ちゃんとお守りを持たせてくれましたしね、と俺は言った。煙草、日本酒、塩の三点セット。
店主はしばらく俺の顔をじっと見つめていた。
「それだと、伯父はただのいい人じゃないですか……」
呻くように言うのへ、でもね、と俺は訊ねてみた。
「伯父さんなら、引き寄せる流れから引っ張り出してくれることも出来たんじゃないかな、って今ふと思いついたんですけど……そこのところはどうなんでしょう?」
店主は、ぱちぱち、と目を瞬いた。
「本当にいい人なら、そうしてくれたんじゃないかな、なんて……」
「──やっぱり、伯父は伯父のようですね」
ふうっ、と溜息をつき、納得したように頷いている。──つまり、本当に いい人ではないってことね。
「すみません……でも、煙草も護衛になりそうなモノも無い、丸腰だったらさすがに止めてくれたとは思いますが──、ああいうのは、引き寄せられてる本人に自覚がないので、流れから引っ張り出すのは難しいんですよ。止めても、成す術もなくそれこそ離岸流に乗ったみたいに流されていく……」
今回のように対抗する手段があればいいですが、そうでない場合もあるんです、と店主は怖いことを言う。
「普通に暮らしていれば関わることもないので、そんなに怖がらなくてもいいんですよ。僕だってそういうのには触れないようにしています。それこそ、細心の注意を払って。──面白がって関わろうとするのは、伯父くらいです」
困った人ですよ、と店主はまた溜息をついた。
俺は絶対嫌だけど、好きならば。うん。ちょっとくらいほっぺたに生臭いひんやり感がしても、耐えられる、かも?
そう言うと、馬鹿言わないでください、と呆れられてしまった。
「ただの鯉と、言わば物の怪の鯉は違いますよ。萱野さんだって普通に泳いでいる鯉が好きなんでしょうし。飼ってるメダカなんか食べられてしまいますよ、本質は鯉と同じ雑食性だから。どうします? 何でも屋さん。メダカのいなくなった空っぽの水槽に、いつの間にか鯉の置物が入っていたら」
「それは……ホラーですね」
俺はぶるぶると首を振った。嫌だ、そんな怖い置物。スナック菓子とか置いといたら、中身だけ空っぽになってそう。何となくカー○が好きそうなイメージ。いや、あれって麩に似てると思うんだ。
「そんなふうになると危険です。一度は眠らされるだけで済みましたが、今はもうそんなほどほど中庸の絶妙な状態に留め置く技を行う力のある人はいない。最終的に御祓いしてお焚き上げという形になるでしょう。普通の人間が持つには、それは僕も含めてのことですけど、手に余るモノと成り果てる……」
それはあの置物にとっても不幸ですよ、と言う言葉は頷けるものだった。
「それを起こしてしまうなんて……、眠っていても難しいのに。全く、あの伯父は……」
自分の持ち物だけならともかく、通りすがりの他人様のものにまで悪ふざけの手を出すなんて、と店主は憤っている。眠らせるのは難しいけど、起こすのはそれほどでもないのだという。
「手妻地蔵様のお力があるから、何でも屋さんの無事は変わらなかったはずですが、話が通じるか通じないか分からないようなモノをわざわざ起こしてまで、危ない相手に嗾けるとは……!」
本当にすみません、恐ろしかったでしょう、と店主に謝られた。うーん、だけど……。
「必ず護れって、伯父さん言ってました。鞄の中身に。お主を──えーっと、そこ聞き取れなかったんですけど、たぶん例の<悪いモノ>のことだと思います。その<悪いモノ>のところに連れて行ってくれる御仁、って俺のことですね。連れて行ってくれる人なんだから、不満を言わずに護れ、って」
もし危ない目にあったらどうしてくれるつもりだよ、と俺だって思わなくもないけどさ。
「あの、鞄の中身が慈恩堂のものだとか、伯父さんはそこまで分かるんですか?」
店主は首を振る。
「何かアレなものがあるな、とは分かるようですが、さすがにどこから持って来たかまでは無理でしょう」
「なら……俺に煙草のにおいがしなかったから、ということが考えられませんか?」
ほら、昨夜は満月だったでしょう、と俺は続ける。
「喫煙者なら、道に迷えば一服しようと思うでしょう? 煙草飲みってそういうもんですし。でも俺からは煙草のにおいがしない。だから危ないと思ったんじゃないかな……」
満月の夜はあの<悪いモノ>の力が強くなるから、引っ張られた人を助けるには、お地蔵様にも煙草の煙幕が必要だって話、さっきもしてたし。
「──護衛を付けたと?」
「そうなんじゃないかな、って。報酬は例の<悪いモノ>で。古くからいるぶん力が強いから、喰らえば竜になれるって言い聞かせてました。絶対逃すな、手妻地蔵様も手伝ってくださるって」
「……」
「もし、俺の持っているものが甥の真久部さんが託した荷物で、俺がその運び人だと知っていたなら、伯父さんもお節介はしなかったと思うんです。甥のすることなら、抜かりはないだろうと」
実際、ちゃんとお守りを持たせてくれましたしね、と俺は言った。煙草、日本酒、塩の三点セット。
店主はしばらく俺の顔をじっと見つめていた。
「それだと、伯父はただのいい人じゃないですか……」
呻くように言うのへ、でもね、と俺は訊ねてみた。
「伯父さんなら、引き寄せる流れから引っ張り出してくれることも出来たんじゃないかな、って今ふと思いついたんですけど……そこのところはどうなんでしょう?」
店主は、ぱちぱち、と目を瞬いた。
「本当にいい人なら、そうしてくれたんじゃないかな、なんて……」
「──やっぱり、伯父は伯父のようですね」
ふうっ、と溜息をつき、納得したように頷いている。──つまり、
「すみません……でも、煙草も護衛になりそうなモノも無い、丸腰だったらさすがに止めてくれたとは思いますが──、ああいうのは、引き寄せられてる本人に自覚がないので、流れから引っ張り出すのは難しいんですよ。止めても、成す術もなくそれこそ離岸流に乗ったみたいに流されていく……」
今回のように対抗する手段があればいいですが、そうでない場合もあるんです、と店主は怖いことを言う。
「普通に暮らしていれば関わることもないので、そんなに怖がらなくてもいいんですよ。僕だってそういうのには触れないようにしています。それこそ、細心の注意を払って。──面白がって関わろうとするのは、伯父くらいです」
困った人ですよ、と店主はまた溜息をついた。