第285話 前編
文字数 1,305文字
本日は遠方出張。
古美術雑貨取扱店(要するに、古道具屋だな)慈恩堂店主に頼まれて、山奥の旧家へ。とある物を、A地点(旧家)からB地点(慈恩堂)まで運ぶ、簡単なお仕事。
の、はずだった。
「はあ……月がきれいだなぁ」
空を見上げ、つい溜息をついてしまう。帰りのバスを逃してしまい、次のバスは二時間後。歩いた方が早いと思って歩き出したけど、午後六時をちょいと過ぎたらもう真っ暗。秋の日は本当に釣瓶落としだ。田舎道で街灯もないし、月が明るいのだけが救いだ。
駅までは、あと十五分かそれくらいかな。遠くに駅舎の明かりが見える。良かった、道は間違ってなかった。一本道のはずだから、間違いようも無いとは思うけど、馴染みのない山の夜道をたった独りで歩くというのは、あまり気持ちの良いものではない。車も通らないし。
「時計の電池が切れるなんてなぁ……」
そう。バスを逃したのは腕時計が遅れていたせい。そろそろ電池が切れる頃だってこと、すっかり忘れてたよ。携帯の時間を見直してびっくりした。帰りが遅れるってこと、慈恩堂店主に連絡しようとしたけど、この辺りは電波状況が悪いらしく、未だ圏外になっている。
でもまあ、あのカーブを越えたらすぐ駅だろうから、と俺は足を速めた。前方に小さな丘のようなものがあって、道路がそこを迂回するようになっているのだ。さほど大きな丘ではないが、さっきまで遠くに見えていた駅舎が遮られ、しばらく見えなくなるのがちょっと心細い。
てなことを考えてたら、急に月が翳ってびっくりした。まあ、薄い雲がかかっただけなんだけど。
びびりな自分を内心で叱り付けながら、ひたすら道を急ぐ。と、その時。俺の耳に何かの足音が聞こえてきた。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ……
それは、革靴でも、スニーカーでも、さらに言えばハイヒールでもない。グレートデンの伝さんと、散歩してる時に聞こえる足音と同じ。舗装された道路の上を、硬い爪を持つ四足の動物が歩く音。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ……
振り返っても、姿は見えない。月が雲に隠れているせいか? それでも影くらいは見えるだろうに。
野犬? それとも、まだ人恋しい捨て犬?
どっちにしても、足音からするとかなり大きな犬だ。いつから俺の後ろを歩いてたんだろう。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ……
足音は、一定の距離を保ったままそれ以上近づいてこない。いや、少しずつ近づいているのか? さっきまで聞こえなかった荒い息遣いの音が──
俺はもう、振り返ることも、立ち止まることも出来なかった。ただひたすら前を見て歩く、歩調を乱さないように。
小型犬から大型犬まで、どんな犬種を預かっても、仲良く機嫌よく散歩に連れて行くことが出来るのが何でも屋としての俺の特技の一つだが、今、それは役に立たない。何故なら、俺は恐怖しているからだ。
怖い。後ろからついて来るモノが、とてつもなく怖い。
背中にじっとりと嫌な汗が流れる。呼吸が乱れそうになる。走りたい。走って逃げたい。駅は、駅はまだか? 真っ暗な丘に遮られて、未だ駅舎の光が見えない。
背後からの足音と息遣いの音が大きくなる。距離を詰められた? ああ、ダメだ。走ったりしたら……。
古美術雑貨取扱店(要するに、古道具屋だな)慈恩堂店主に頼まれて、山奥の旧家へ。とある物を、A地点(旧家)からB地点(慈恩堂)まで運ぶ、簡単なお仕事。
の、はずだった。
「はあ……月がきれいだなぁ」
空を見上げ、つい溜息をついてしまう。帰りのバスを逃してしまい、次のバスは二時間後。歩いた方が早いと思って歩き出したけど、午後六時をちょいと過ぎたらもう真っ暗。秋の日は本当に釣瓶落としだ。田舎道で街灯もないし、月が明るいのだけが救いだ。
駅までは、あと十五分かそれくらいかな。遠くに駅舎の明かりが見える。良かった、道は間違ってなかった。一本道のはずだから、間違いようも無いとは思うけど、馴染みのない山の夜道をたった独りで歩くというのは、あまり気持ちの良いものではない。車も通らないし。
「時計の電池が切れるなんてなぁ……」
そう。バスを逃したのは腕時計が遅れていたせい。そろそろ電池が切れる頃だってこと、すっかり忘れてたよ。携帯の時間を見直してびっくりした。帰りが遅れるってこと、慈恩堂店主に連絡しようとしたけど、この辺りは電波状況が悪いらしく、未だ圏外になっている。
でもまあ、あのカーブを越えたらすぐ駅だろうから、と俺は足を速めた。前方に小さな丘のようなものがあって、道路がそこを迂回するようになっているのだ。さほど大きな丘ではないが、さっきまで遠くに見えていた駅舎が遮られ、しばらく見えなくなるのがちょっと心細い。
てなことを考えてたら、急に月が翳ってびっくりした。まあ、薄い雲がかかっただけなんだけど。
びびりな自分を内心で叱り付けながら、ひたすら道を急ぐ。と、その時。俺の耳に何かの足音が聞こえてきた。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ……
それは、革靴でも、スニーカーでも、さらに言えばハイヒールでもない。グレートデンの伝さんと、散歩してる時に聞こえる足音と同じ。舗装された道路の上を、硬い爪を持つ四足の動物が歩く音。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ……
振り返っても、姿は見えない。月が雲に隠れているせいか? それでも影くらいは見えるだろうに。
野犬? それとも、まだ人恋しい捨て犬?
どっちにしても、足音からするとかなり大きな犬だ。いつから俺の後ろを歩いてたんだろう。
ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ……
足音は、一定の距離を保ったままそれ以上近づいてこない。いや、少しずつ近づいているのか? さっきまで聞こえなかった荒い息遣いの音が──
俺はもう、振り返ることも、立ち止まることも出来なかった。ただひたすら前を見て歩く、歩調を乱さないように。
小型犬から大型犬まで、どんな犬種を預かっても、仲良く機嫌よく散歩に連れて行くことが出来るのが何でも屋としての俺の特技の一つだが、今、それは役に立たない。何故なら、俺は恐怖しているからだ。
怖い。後ろからついて来るモノが、とてつもなく怖い。
背中にじっとりと嫌な汗が流れる。呼吸が乱れそうになる。走りたい。走って逃げたい。駅は、駅はまだか? 真っ暗な丘に遮られて、未だ駅舎の光が見えない。
背後からの足音と息遣いの音が大きくなる。距離を詰められた? ああ、ダメだ。走ったりしたら……。