第88話 お地蔵様もたまには怒る 7
文字数 2,408文字
タンタタッタン タタ タンタタ タンタッタ
軽快なステップ。自由自在に、軽妙洒脱でカッコ良く。ひょい、とステッキを投げ上げて、靴を鳴らしながらターン、パシッとキャッチ。
え? あれ俺? うん、双子の弟ではないから俺だ。いつの間に、トップハットに燕尾服。重心のブレない、地球ゴマみたいな安定したアンバランス。
スッタタン タッタタン タッタタッタタッタタタタ
あれは、フレッド・アステアのタップだ。音は無いのに動きだけで音楽が感じられる。でも踊っているのはどう見ても俺なんだ、足短いし。
どういうこと?
混乱していると、するりと現れたのはゴージャスなドレスのジンジャー・ロジャース──じゃなくて俺。
えええええ~~~~!
何で? 俺が俺と踊ってる。燕尾服の俺と、ドレスの俺。いつの間にかトップハットを捨てた燕尾服の俺が、ドレスの俺を巧みにリード。ドレスの俺もリードされてるだけじゃなくて、流れるようにターンしながら次々ステップを繰り出し、そのたびドレスの裾が優雅に翻って──って、何たる視覚の暴力。
だって、俺がただドレス着てるだけなんだぜ? スッピンで。女装の俺は美女らしいけど、それは女装バーの支配人、日向芙蓉がその美意識と技術を駆使した場合のみ。毎回已むを得ない理由で嫌々やらされているというのに、自分で鏡を見て驚くくらいだ。だけど、今目の前で素晴らしい女性パートを踊ってるのは、ただのオッサン。
──女の服をそのまま着ただけじゃ、綺麗にはならないんだよ……。女装の俺が美女だと聞いて面白がった元妻や元義弟の智晴にも一回やらされたことあるけど、ただの滑稽なオカマにしかならなかった。それを見た娘のののかにも、「パパ、イケてない」って言われたんだよ……。娘に女装を褒められても、それはそれで切ないけどさ……。
そんな、手抜き女装のくせにジンジャー・ロジャースの踊りをする俺と、フレッド・アステアのタップとリードをする俺。
なんじゃこりゃなんじゃこりゃなんじゃこりゃ!
池の鯉のように口をパクパクさせていると、さらなる混乱の要素が現れた。向こうから走ってくるのは何だあれ、軽トラ? 大型バン? 目の前で繰り広げられてる往年のハリウッド・ミュージカル映画には全くもって似合わない。いや、映画じゃないし踊ってるのは俺たち なんだけど、って、ややこしい!
アステア・俺とロジャース・俺は突然の闖入者にも一顧だにせず、相変わらず華麗なダンスを繰り広げてる。おお、今度は横に並んで同じステップを……あんなたっぷりしたドレスの裾をものともしないロジャース・俺のタップ、脛毛も見えなくてすげえ! じゃなくて!
何だよ、これ。シュールにもほどが──あ? 車から誰か降りてきた。なんだか見覚えが……あれはさっき、地蔵堂の近くで見た人じゃないか? ご近所っぽい砕けた服装の……なんだかみすぼらしい感じだけど、眼つきの鋭い中年男。
あれ? 何か持ち上げた? 重たそうな灰色の……お地蔵様? まさか、あの地蔵堂の、今日俺が真久部の伯父さんに頼まれて涎掛けを奉納したばかりの……。って言うか、目の前で踊ってる俺たち のこと見えてない? 何でだ、あんな近くにいるのに。
唖然として見ていると、男はお地蔵様をバンに乗せようと振り返って──こいつ、地蔵泥棒かよ!──俺たち の方を向いて硬直した。今、ようやく気づいた?
タン! タタッタ タタタタタタタタタンタンタタン
アステア・俺とロジャース・俺の圧巻のタップ。それを傍観するようにお地蔵様を抱えたまま突っ立ってる泥棒。まるでブロードウェイ・ミュージカルと松竹新喜劇を一緒くたにやってるみたいだ。んじゃ、あの泥棒は藤山○美か? んなわけねーよと思いながらも、その得も言われぬ違和感に、俺は言葉も無い。
タンタッタ タンタッタ タンタタタ タンタッタ
あ、ステップが変わった。また二人が組んで優雅なワルツを──あれ? 棒立ちの男の腕を両側から片方ずつ掴んでダンスに引き入れた? 男はお地蔵様を抱えたまま……え? まさか三人で踊る? そいつ、ジーン・ケリーじゃないんだよ、松竹新喜劇でも出番が無さそうな、ただの地蔵泥棒だよ、そんなこと出来るのか……?
あれよあれよと思う間に、男はアステア・俺とロジャース・俺に腕を組まれ、ぐるんぐるんと回らされていた。燕尾服、ドレス、草臥れた普段着、燕尾服、ドレス、草臥れた普段着。次々入れ替わる小さなメリーゴーラウンド。どういう演出なんだろう、これ。ショウ・ダンスと盆踊りのフュージョン? にしては、洗練されなさすぎだと思う。
それにしても、あの男はよくあんな重い石のお地蔵様を抱えたまま回れるなぁ、とどこかぼんやりした頭で眺めていたけど、ふと違和感を感じて眼を瞬いた。あれ? 三人の姿がだんだん遠くなって行ってる……? 同じ場所でぐるぐるしてるように見えたのに、いつからステップを変えてたんだろう。
ぐるんぐるんぐるん、代わる代わるに見える顔。アステア・俺もロジャース・俺もとってもよそ行きの良い微笑みを浮かべているけど、男の顔は引き攣ってる。何か喚いてるみたいだけど、こちらには何も聞こえない。
ぐるんぐるんぐるん ぐるんぐるんぐるん
逃れようとしているのか、焦った顔の男の肩や足がめちゃめちゃに動いてる。それでも両側から掴まれた腕がよほど強いのか、俺たち はびくともしない。お地蔵様も、抱えられてるんじゃなくて男の腕に張り付いてるみたいだ。
ぐるんぐるんぐるん ぐるんぐるんぐるん
男の口が大きく歪んで助けを呼んでいる。アステア・俺とロジャース・俺は微笑んでる。お地蔵様も笑ってる。
ぐるん
最後の一周は闇に溶けて、三人の姿は見えなくなった。
軽快なステップ。自由自在に、軽妙洒脱でカッコ良く。ひょい、とステッキを投げ上げて、靴を鳴らしながらターン、パシッとキャッチ。
え? あれ俺? うん、双子の弟ではないから俺だ。いつの間に、トップハットに燕尾服。重心のブレない、地球ゴマみたいな安定したアンバランス。
スッタタン タッタタン タッタタッタタッタタタタ
あれは、フレッド・アステアのタップだ。音は無いのに動きだけで音楽が感じられる。でも踊っているのはどう見ても俺なんだ、足短いし。
どういうこと?
混乱していると、するりと現れたのはゴージャスなドレスのジンジャー・ロジャース──じゃなくて俺。
えええええ~~~~!
何で? 俺が俺と踊ってる。燕尾服の俺と、ドレスの俺。いつの間にかトップハットを捨てた燕尾服の俺が、ドレスの俺を巧みにリード。ドレスの俺もリードされてるだけじゃなくて、流れるようにターンしながら次々ステップを繰り出し、そのたびドレスの裾が優雅に翻って──って、何たる視覚の暴力。
だって、俺がただドレス着てるだけなんだぜ? スッピンで。女装の俺は美女らしいけど、それは女装バーの支配人、日向芙蓉がその美意識と技術を駆使した場合のみ。毎回已むを得ない理由で嫌々やらされているというのに、自分で鏡を見て驚くくらいだ。だけど、今目の前で素晴らしい女性パートを踊ってるのは、ただのオッサン。
──女の服をそのまま着ただけじゃ、綺麗にはならないんだよ……。女装の俺が美女だと聞いて面白がった元妻や元義弟の智晴にも一回やらされたことあるけど、ただの滑稽なオカマにしかならなかった。それを見た娘のののかにも、「パパ、イケてない」って言われたんだよ……。娘に女装を褒められても、それはそれで切ないけどさ……。
そんな、手抜き女装のくせにジンジャー・ロジャースの踊りをする俺と、フレッド・アステアのタップとリードをする俺。
なんじゃこりゃなんじゃこりゃなんじゃこりゃ!
池の鯉のように口をパクパクさせていると、さらなる混乱の要素が現れた。向こうから走ってくるのは何だあれ、軽トラ? 大型バン? 目の前で繰り広げられてる往年のハリウッド・ミュージカル映画には全くもって似合わない。いや、映画じゃないし踊ってるのは
アステア・俺とロジャース・俺は突然の闖入者にも一顧だにせず、相変わらず華麗なダンスを繰り広げてる。おお、今度は横に並んで同じステップを……あんなたっぷりしたドレスの裾をものともしないロジャース・俺のタップ、脛毛も見えなくてすげえ! じゃなくて!
何だよ、これ。シュールにもほどが──あ? 車から誰か降りてきた。なんだか見覚えが……あれはさっき、地蔵堂の近くで見た人じゃないか? ご近所っぽい砕けた服装の……なんだかみすぼらしい感じだけど、眼つきの鋭い中年男。
あれ? 何か持ち上げた? 重たそうな灰色の……お地蔵様? まさか、あの地蔵堂の、今日俺が真久部の伯父さんに頼まれて涎掛けを奉納したばかりの……。って言うか、目の前で踊ってる
唖然として見ていると、男はお地蔵様をバンに乗せようと振り返って──こいつ、地蔵泥棒かよ!──
タン! タタッタ タタタタタタタタタンタンタタン
アステア・俺とロジャース・俺の圧巻のタップ。それを傍観するようにお地蔵様を抱えたまま突っ立ってる泥棒。まるでブロードウェイ・ミュージカルと松竹新喜劇を一緒くたにやってるみたいだ。んじゃ、あの泥棒は藤山○美か? んなわけねーよと思いながらも、その得も言われぬ違和感に、俺は言葉も無い。
タンタッタ タンタッタ タンタタタ タンタッタ
あ、ステップが変わった。また二人が組んで優雅なワルツを──あれ? 棒立ちの男の腕を両側から片方ずつ掴んでダンスに引き入れた? 男はお地蔵様を抱えたまま……え? まさか三人で踊る? そいつ、ジーン・ケリーじゃないんだよ、松竹新喜劇でも出番が無さそうな、ただの地蔵泥棒だよ、そんなこと出来るのか……?
あれよあれよと思う間に、男はアステア・俺とロジャース・俺に腕を組まれ、ぐるんぐるんと回らされていた。燕尾服、ドレス、草臥れた普段着、燕尾服、ドレス、草臥れた普段着。次々入れ替わる小さなメリーゴーラウンド。どういう演出なんだろう、これ。ショウ・ダンスと盆踊りのフュージョン? にしては、洗練されなさすぎだと思う。
それにしても、あの男はよくあんな重い石のお地蔵様を抱えたまま回れるなぁ、とどこかぼんやりした頭で眺めていたけど、ふと違和感を感じて眼を瞬いた。あれ? 三人の姿がだんだん遠くなって行ってる……? 同じ場所でぐるぐるしてるように見えたのに、いつからステップを変えてたんだろう。
ぐるんぐるんぐるん、代わる代わるに見える顔。アステア・俺もロジャース・俺もとってもよそ行きの良い微笑みを浮かべているけど、男の顔は引き攣ってる。何か喚いてるみたいだけど、こちらには何も聞こえない。
ぐるんぐるんぐるん ぐるんぐるんぐるん
逃れようとしているのか、焦った顔の男の肩や足がめちゃめちゃに動いてる。それでも両側から掴まれた腕がよほど強いのか、
ぐるんぐるんぐるん ぐるんぐるんぐるん
男の口が大きく歪んで助けを呼んでいる。アステア・俺とロジャース・俺は微笑んでる。お地蔵様も笑ってる。
ぐるん
最後の一周は闇に溶けて、三人の姿は見えなくなった。