第153話 煙管の鬼女 1

文字数 2,125文字

今日の空は晴れてるけど、大きめに千切った綿飴みたいな雲が後から後から流れてくる。上空で風が強いんだな。地上も木枯らし吹いて寒い。

くしゃみが出そうになって、このあいだ娘のののかにもらったあったかいネックウォーマーを口元まで引き上げた。洩れる息が白い。

朝の犬散歩を終えて、急な出張の入った保護者の代わりに小学生の通学路警戒に立ち、大井さんちで庭掃除してたら、お遣いを頼まれた。駅裏通りの古美術雑貨取扱店慈恩堂まで、古い皿を持って行ってほしいんだって。割ってしまったんで、修繕できる職人さんへの中継ぎを頼んであるんだそうだ。骨董品を扱ってたら、そういう伝手もあるよな。

なんか、藍柿右衛門の──なんちゃらとかいうぐるぐるした模様の皿。預かる前に見せてもらったけど、五つくらいに割れちゃってる。こんなん、直るのかなぁと思うけど、前にも骨董品の茶碗を修繕してもらったことがあるって言ってた。

餅は餅屋、骨董品は骨董品屋、持ち運ぶのは何でも屋、ということで、俺が預かることに。大井さんは足が悪いから持って行く途中落としたら怖いし、同居の娘さん夫婦は骨董に理解がない上に扱いが雑だから、信用できないんだって。

そんなわけで、欠片ひとつずつ丁寧に袱紗に包んだのを入れた箱を持って、いざ慈恩堂へ。──このあいだ店番でちょっと怖い思いしたから当分行きたくないと思ってたけど、仕事だしな。まだ午前中だし、晴れてるし、大丈夫、なはず。何が大丈夫なのか自分でも謎だけど。

怪しい古道具屋は、今日もひっそり営業中。半地下階段降りてドアを開けると、ちりんとドアベルの音。

「おはようございます!」

ぱっと目に入る地獄の獄卒像のいかつい顔を見ないようにして、いつものように声を掛け……あれ、煙草の匂い?

「ああ、いらっしゃい、何でも屋さん」

帳場に座った店主の真久部さんが、珍しくも煙管で煙草を吸っていた。煙管は真ん中が木で、両端が鈍く光る銀色をしている。薄い煙がゆらゆらと棚引いて、なんだか気怠い感じ。

びっくりしたけど、まずは用件を。

「大井さんからお預かりものです。修繕に出す古伊万里の皿──」

「ああ……、先ほど大井さんから電話をもらいました。何でも屋さんなら大切に運んでくれるから、安心して任せられるっておっしゃってましたよ……」

「あはは、そう言ってもらえると」

顧客様に信頼されてるって、くすぐったいけどうれしい。帳場の畳エリアに、運んできた風呂敷包みを広げながら、思わずにんまりしてしまう。

箱を出して、確認してもらうために蓋を開けようとふと見ると、真久部さんは珍しくぼーっとしている。煙管に絡みつく白くて長い指、火皿から薄く立ち上る煙、唇から細い溜息みたいに吐き出される煙が、なんだか艶かしい──って、ええ?

整った顔した真久部さんだけど、普段はあんまりそれが気にならない、っていう言い方も変だけど、前面に出てこないっていうか、美形度がもっとこう、控えめなんだよ。なのに、煙管を手にした真久部さん、やたらと綺麗に見える。今までそんなふうに感じたことないのに、どうしたんだろ? 俺、眼がおかしくなったのかな?

自分が信じられなくてつい眼を擦っていると、物憂げにこちらを流し見される。思わず背中がぞくっとする。仕草が全体的に婀娜っぽくて、でも下品ではなく、たゆとう煙ごしに見える姿が時代劇で見る、まるで花魁みたいな……あれ、唇に、紅が──?

……
……

ぽんぽん、と軽い音がして、ハッと我に返る。好んで女装をする俺の知り合いとは違い、口紅なんか塗ってるわけない真久部さんが、灰皿? に煙管の灰を落とす音だ。人差し指で煙管の先を叩いてる。

「これは灰吹きっていうんですよ」

灰落としともいいますけどね。問わず語りにそう言った真久部さんは、いつもの地味な男前。──良かったぁ。一瞬、俺、妙な趣味に目覚めたのかと思ったよ。

「……それ、煙草盆でしたっけ。灰皿……灰吹きと、炭火の入った火入れと」

灰吹きも火入れもどちらも陶器の円筒形で、灰吹きは湯呑みみたい。火入れのほうはもう少しずんぐりしてる。煙管は煙草盆の縁に渡して、お仕舞い。今は滅多に見ない、昔のちょっと一服セットだ。

「ええ。──すみませんね、お待たせしました」

そう言って胡散臭く微笑んだ顔は、すっかりいつもの真久部さん。帳場机の向こうから出てきて、畳エリアの真ん中のホットカーペットのスイッチを入れ、ちゃぶ台を出して応接モードだ。ここへどうぞとにこにこしながら座布団を敷いてくれる。早く帰りたかったけど、今は大井さんのお遣いなんだから仕方ない。大切に箱を抱えてちゃぶ台に置き……おっと、風呂敷風呂敷。

畳んだ風呂敷を持って戻ると、真久部さんが箱を開けてもいいですか、とたずねてくる。こいうところ、丁寧なんだよな、この人。

「もちろん、どうぞ。俺も見たんですが、ぱっかーんと割れちゃってますよ」

俺の表現にちょっと笑いながら、真久部さんは五つの袱紗包みを取り出した。

「──ああ、これは本当に見事な割れ方ですね。細かい破片はほとんど出てなさそうだ」
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