第127話 鳴神月の呪物 18
文字数 1,857文字
「持ち主は、無害化までは望んでいないんでしょうね」
真久部は言った。
「本当にそれを望んでいるなら、こんなやり方はせず、どこかの寺か神社に頼んで、いつか自然に呪が薄れるというか、風化するのを待つ方法を取るだろうね」
「風化、ですか……」
「結界を張った場所に置いて、定期的に経を読んだり祝詞を上げたりしてもらえれば、普通に置いておくよりはずっと無害化は早いだろうし、安全ですよ」
「でも、そこまで望んでないっていうのは……」
使いたいってこと? まさか、と彼は驚いている。
「だって、“糸”と、にじみ出てくる瘴気だけでも充分危ないというか、生のニトログリセリン状態っていうか」
このあいだ顧客のひとりと一緒に観たDVDを思い出す、と彼は言った。それは『恐怖の報酬』というモノクロの古い映画で、油田の火災を爆風で鎮火させるためのニトログリセリンを、デコボコの悪路の中、緩衝装置のない普通のトラックで運ぶというものだったそうだ。
「ほんの一滴垂らしただけで爆発するし、温度が上がっても爆発するし、叩いたら爆発するし、ちょっと揺らせようものなら、それだけでやっぱり爆発するんですよ……。映画の中では、行く手を塞ぐ落石を取り除くのにそのニトロを使って、ちょっとした衝撃だけで爆破してました」
岩肌丸出しの採石場みたいな場所を縫う道は、パイプラインから噴き出した石油で真っ黒な沼みたいにぬかるんでいて、あの火気厳禁の頭が痛くなるような嫌な臭いが、観てるこちら側にまで濃厚に漂ってくるような錯覚さえしましたよ、と彼は続ける。息するだけで、肺の中まで火がつきそうだったと。
「気化した石油が瘴気だとしたら、元の呪物はどう取り扱ってもちょっとしたことで爆発してしまう、生の液体のニトログリセリンみたいじゃないですか……いくら薄めても、ニトロはニトロだし、本質って変わらないんじゃないですか? 上手く言えないけど、つまりその──」
いくらどうしようと、持ってるだけで危ないのでは? と、彼はその結論に行き着いたようだ。
「危険すぎて使えないっていうか……」
「ええ、何でも屋さんの言うとおりですよ。下手な扱いをすると、爆発するのではないけど──そう、たとえるなら、いつ開くか判らない玉手箱の蓋みたなものかな。どこをどう押すか引くかしたらそうなるのかまるで分からないけれど、触らなくても“糸”のほつれ具合で勝手に開くかもしれない。所有しているうちにふいに玉手箱が開いて煙が出たら、一巻の終りです」
一気に年を取るくらいで済めばいいですが、と真久部が呟くと、彼はぶるっと震えた。
「呪を薄めれば、ニトログリセリンからダイナマイトくらいに取り扱いが楽になるとでも考えているのかもしれませんが……そういうものとは質が違いますしね。毒性と猛毒性の違いというか、薄めても決して薬にはならないというか……。たとえば、どれだけ気化しても本体が決して溶けないドライアイスがあるとしたら、きっとそれに似てるでしょう」
「ドライアイスって、二酸化炭素の塊ですよね。どれだけもわもわ散ろうが、白い煙は二酸化炭素、本体も変質するわけじゃない。つまり、呪はどこまで薄れようが呪で、しかも質が高い? って言っていいのかな? それとも、性質 が悪い? わからなくなってきたけど。俺、単に今は濃すぎてさわれないから、薄めてからどうにか、っていうか、それこそお寺にでも持っていくつもりかと思ってました……」
「もういっそ、毀すほうが簡単かもしれませんね」
毀して欠片を拾えばそのほうが、という真久部の言葉に、彼は「え?」という顔をした。
「毀せるんですか? じゃあ、何でそうしないんですか? えっと、燃やせるなら燃やしたり、鉄で出来てるなら熔かすとかすればいいんじゃ──」
「芸術の域に達するほどの呪物が、解かれるのではなく毀されると、それが作られた時と同じくらいのエネルギーを生ずることになりますからねぇ」
「──隕石が落ちたみたいな?」
「ええ。地面が広範囲に抉れるほどの」
下手に燃やすと濃い呪がそれこそ大型台風のように吹き荒れるし、熔かそうとすれば呪が爆発するんじゃないかなぁ、と推測を語ると、彼はがくりと肩を落とした。
「そ、それはダメですよね……」
彼は「エネルギー保存の法則は、呪 いにも及ぶのか……」と何やら苦悩している。
「だからあの顧客は姑息なやり方を止めないんんですね……」
真久部は言った。
「本当にそれを望んでいるなら、こんなやり方はせず、どこかの寺か神社に頼んで、いつか自然に呪が薄れるというか、風化するのを待つ方法を取るだろうね」
「風化、ですか……」
「結界を張った場所に置いて、定期的に経を読んだり祝詞を上げたりしてもらえれば、普通に置いておくよりはずっと無害化は早いだろうし、安全ですよ」
「でも、そこまで望んでないっていうのは……」
使いたいってこと? まさか、と彼は驚いている。
「だって、“糸”と、にじみ出てくる瘴気だけでも充分危ないというか、生のニトログリセリン状態っていうか」
このあいだ顧客のひとりと一緒に観たDVDを思い出す、と彼は言った。それは『恐怖の報酬』というモノクロの古い映画で、油田の火災を爆風で鎮火させるためのニトログリセリンを、デコボコの悪路の中、緩衝装置のない普通のトラックで運ぶというものだったそうだ。
「ほんの一滴垂らしただけで爆発するし、温度が上がっても爆発するし、叩いたら爆発するし、ちょっと揺らせようものなら、それだけでやっぱり爆発するんですよ……。映画の中では、行く手を塞ぐ落石を取り除くのにそのニトロを使って、ちょっとした衝撃だけで爆破してました」
岩肌丸出しの採石場みたいな場所を縫う道は、パイプラインから噴き出した石油で真っ黒な沼みたいにぬかるんでいて、あの火気厳禁の頭が痛くなるような嫌な臭いが、観てるこちら側にまで濃厚に漂ってくるような錯覚さえしましたよ、と彼は続ける。息するだけで、肺の中まで火がつきそうだったと。
「気化した石油が瘴気だとしたら、元の呪物はどう取り扱ってもちょっとしたことで爆発してしまう、生の液体のニトログリセリンみたいじゃないですか……いくら薄めても、ニトロはニトロだし、本質って変わらないんじゃないですか? 上手く言えないけど、つまりその──」
いくらどうしようと、持ってるだけで危ないのでは? と、彼はその結論に行き着いたようだ。
「危険すぎて使えないっていうか……」
「ええ、何でも屋さんの言うとおりですよ。下手な扱いをすると、爆発するのではないけど──そう、たとえるなら、いつ開くか判らない玉手箱の蓋みたなものかな。どこをどう押すか引くかしたらそうなるのかまるで分からないけれど、触らなくても“糸”のほつれ具合で勝手に開くかもしれない。所有しているうちにふいに玉手箱が開いて煙が出たら、一巻の終りです」
一気に年を取るくらいで済めばいいですが、と真久部が呟くと、彼はぶるっと震えた。
「呪を薄めれば、ニトログリセリンからダイナマイトくらいに取り扱いが楽になるとでも考えているのかもしれませんが……そういうものとは質が違いますしね。毒性と猛毒性の違いというか、薄めても決して薬にはならないというか……。たとえば、どれだけ気化しても本体が決して溶けないドライアイスがあるとしたら、きっとそれに似てるでしょう」
「ドライアイスって、二酸化炭素の塊ですよね。どれだけもわもわ散ろうが、白い煙は二酸化炭素、本体も変質するわけじゃない。つまり、呪はどこまで薄れようが呪で、しかも質が高い? って言っていいのかな? それとも、
「もういっそ、毀すほうが簡単かもしれませんね」
毀して欠片を拾えばそのほうが、という真久部の言葉に、彼は「え?」という顔をした。
「毀せるんですか? じゃあ、何でそうしないんですか? えっと、燃やせるなら燃やしたり、鉄で出来てるなら熔かすとかすればいいんじゃ──」
「芸術の域に達するほどの呪物が、解かれるのではなく毀されると、それが作られた時と同じくらいのエネルギーを生ずることになりますからねぇ」
「──隕石が落ちたみたいな?」
「ええ。地面が広範囲に抉れるほどの」
下手に燃やすと濃い呪がそれこそ大型台風のように吹き荒れるし、熔かそうとすれば呪が爆発するんじゃないかなぁ、と推測を語ると、彼はがくりと肩を落とした。
「そ、それはダメですよね……」
彼は「エネルギー保存の法則は、
「だからあの顧客は姑息なやり方を止めないんんですね……」