第227話 ホウレンソウは大切に

文字数 2,318文字

「叔父さんが、ですか……」

旧家にありがちな、“放蕩のドラ息子”的な感じなんだろうか。

「大騒ぎだったそうですよ」

「それはそうでしょう、あの音じゃ……」

寝てたら目を覚ますし、起きてたら一体何が起こったのかと、様子を見に駆けつけないとおかしいレベルだ。

この間だって、母屋の台所にいたはずの家政婦さんが庭に飛び出してきたもん。聞いてみたら、いきなりすごい軋み音がするから、すわ地震かと思ったけど母屋は揺れてない。異常な事態に、旦那様の安否を気遣い声を上げて呼んでみるも、返事が無い。何がどうなっているのかと、慌てて音の発生源を探して走って来たということだった。

その時にはもう、蔵の家鳴りは収まっていたけど……。「局地的な地震で、蔵だけが揺れたんだろう」ということに、水無瀬さんがした。俺も、「びっくりして、蔵から慌てて外に飛び出したところなんですよ」と口添えをした。家政婦さんは俺と水無瀬さんが抱えてる箱を見て、「慌てていると、つい手近なものを掴んでしまうものですねぇ」と自分が握ってきたおタマを振り、恥ずかしそうに笑っていた──。

「“自分に断りなく中の物を持ち出されたから、蔵が騒いだだけ”と、今はわかっています。しかし当時、水無瀬さんのご父君は、そこのところをどうもよくわかっていなかったようで……」

これは僕の想像だけど、と真久部さんは言う。

「先程も言ったとおり、ご父君と御祖父様は独り言の多い方だった。だから彼らが蔵から何かを持って出る場合は、必ず“何々を持って行こう”、と口に出したと推測できます。あるいは何か大きなものを運び出すために、誰かを伴うこともあったでしょう。その場合は指示を出すので、やっぱり、“何々を持って出る”と蔵に断ったことになっただろうね」

だから、御祖父様は自分の息子に対し、蔵の特性について教えるのをうっかり忘れてしまったんじゃないでしょうか、と続ける。

「御祖父様は意識して、ご父君は無意識に。違いはあろうとも、“何をどうする”という考えを口に出しているかぎり、蔵は自分に対して断りを入れられたつもりになっているので、騒がない。──だから、御祖父様は勘違いしたんだと思うんです、自分はもう息子に蔵のことを教えたんだと。だって、息子は毎回ひと言呟くし、一人で蔵から必要なものを出して来させても、何も起こらないんだからね」

ってことは、つまり……。

「じゃあ、お父さんの方は、何かを持ち出すとき自分の父が毎回蔵に対して断りを入れているのを、あれは父の独り言の癖だと、そう思っていたというわけですか──」

脱力していると、そういうことになりますね、と猫のような何ともいえない笑みが返ってきた。

「……」

そういう行き違いとか勘違い、どこにでもよくある話だけどさぁ……。そういえば、言った、言わないで、客先と社内を巻き込んで、えらいことになりかけた同僚がいたよ、会社員時代。ホウレンソウと申し送り、確認は大事、日常生活でも。

そんなことを考えていると、さらに真久部さんが話を続ける。

「そういったとき──、つまり蔵の入り口が開いているとき、家にいる誰かが勝手に中に入り、何かを持ち出したりしたこともあったかもしれません」

昔のことだから、水無瀬家ほどの旧家ともなると、使用人も多くいただろうし、居候のような人たちも何人かいたんじゃないかなぁと、言う。

「えーと……そういうの、食客(しょっかく)っていうんでしたっけ?」

記憶の底から知ってる言葉を引っ張り出してみた。時代劇のやくざな稼業の人たちの中にもいたし、近代の華族や豪農、豪商を舞台にした話でも、家族でも使用人でもない、よくわからない立場の人がわりとよく出てくる。

「ああ、そうだね。居候より食客がぴったりくる。現代の感覚からすると、他人なのに何でウチにいるのかわからない人たち、となるでしょうが──ほんの数十年前までは、そういう人たちを住まわせて食べさせてやることは、土地の実力者ともなる大きな家では、特に珍しいことではなかったんだよねぇ」

今と違って昔は、半端な立場の者は一人で食べていけないし、かといって何かの仕事に就くこと、それ自体が難しかったですから、と続ける。

「縁や伝手を頼ってきた者を、養ってやる。その代わりに家のちょっとした用事をさせたり、田畑の仕事を手伝わせたりする。親戚ののらくら者を預かったり、また、上の学校を目指して勉強しているような優秀な若者を、援助したこともあったでしょう。水無瀬さんにも聞いてみたけれど、よく知らない人が何人か、母屋の端や、離れの辺りに住んでいたような記憶があるそうですよ」

「……」

家の中に他人のいる暮らしかぁ……。水無瀬家のような、昔の庄屋のような大きな家ならともかく、今時の敷地の狭い家じゃ考えられないよな。そこに住まわせてもらうことも。まあ、時代が違うんだけども。

「そのほとんどは分を弁えたいい人たちだったんでしょうけど──、やっぱり中には不心得な者もいたようでね」

言って、真久部さんは小さく息を吐く。

「そうでなくても、出来心や、ふと魔が差して、ということもあったかもしれません。そういう人が、誰からも気づかれてないつもりで蔵から何かを盗み出すと、外に出たとたん蔵が騒ぐ。びっくり仰天して、その場で腰を抜かした者もいただろうし、逃げ出して、二度と戻らなかった者もいたんじゃないかなぁ」

「……悪いことしたっていう自覚があったら、なおさらでしょうねぇ。あの家鳴りは──」

下手な“心霊スポット”に行って肝試しするより、ずっと怖いと思う。そう言うと、そうかもしれないですね、と真久部さんは薄く笑った。

「それこそ、神様のバチが当たったような気分だっただろうねぇ」
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