第262話 魂のラベル

文字数 1,993文字

「あ」

そうだった。何かいろいろ麻痺してて、ついうっかり忘れてしまいがちだけど、叔父さんは家宝の皿に棲む金魚を助けに行ったんだっけ、家神様と一緒に。

当時の水無瀬家の、兄と、父と、弟と、この世ならぬ金魚。彼らが一堂に会する光景──。うん、確かに全然まったく普通じゃない。

「……」

俺が理解したのを理解したらしく、真久部さんは軽く目を細めてみせる。

「ね? 多少の無理でも聞いてもらえそうでしょう?」

「だけど……多少どころじゃないような──」

柘榴石で出来た家神様の磐座(いわくら)は、割れていたっていうし。現世(うつしよ)に顕現するだけでも理を曲げることになるっていうのに、家神様はだいぶ無理をしたんじゃないかなぁ。

「まあね」

それは何でも屋さんの言うとおり、とうなずく。

「──実は、水無瀬さんに探してもらって、かつての写真を探して見せていただいたんですがね」

当時の写真なら、モノクロでセピアな感じだろうなぁ、なんて思いながら俺は続きを待つ。

「叔父さんと御父君は、面影がとてもよく似ていました。叔父さんが幼少からの病弱でなかったら、体格もそっくりだったんじゃないかという印象です」

血のつながった兄弟、年もたった一つしか違わない。肉体的にも似ていたし、仲の良い兄弟だったということだから、霊的にも似ていたんじゃないでしょうか、と語る言う声はどこかほろ苦い。

「だから家神様も、魂のラベルの貼り替えはそんなに難しくなかったんじゃないかと思うんですよ」

「ら、ラベル?」

何でラベル? と目を白黒させる俺に苦笑しながら、真久部さんは教えてくれる。

「つまり、名前の書き換えというか、霊的な立場の交換のこと。そんなこと、神様にでもお願いしなければ、普通の、ただの人間には無理だからねぇ。──まあ、出来てもせいぜい厄のなすりつけくらい?」

後半、わざとらしく小首を傾げてみせるから。

「真久部さん……」

怖いのはやめてください、という意思をこめてちょっと睨むと、すみません、と小さく笑った。

「──だから人形(ヒトガタ)で済ませるんだよ、普通(・・)はね」

澄ました顔で、そう収めたけども。

「……」

真久部さんの言う普通(・・)には、側面とか裏側とかがありそうな気がしてしまう……、何でだろう? ──いや、きっと考えすぎだ。俺、捻くれてきたのかも。いかんいかん。

頭を振っていると、またいつの間にかお茶が替えられている。温かそうな湯気を立てているそれを何となく手に取ってみると、茶碗ごと替えたらしく、さっきと柄が違ってる。

その蔓草みたいな葉っぱ柄をぼーっと眺めていると、新しく淹れたお茶でゆっくり喉を潤していた真久部さんが、ぽつんと言った。

「叔父さんは結局、この世ならざるものが視えたせいで命を落としたんだねぇ」

「え?」

目を向けると、寂し気な笑みに出会う。

「視えるせいでさんざん大変な思いをしてきて、それでも長生きだけはできたはずだったのに……。視えるからこそ、幼い甥に絡みつく悪いモノを無視することができず、助けるために禁忌を犯し……その結果、一時だけだったにしろ、今度は家神様の視点を得てしまい、自分と兄、国の行く末を視てしまった」

「……」

「甥のため、兄のため──父や嫂のために、どうするのが一番いいかを、通常なら自分にすら視ることの叶わぬ次元から、叔父さんは考えることができてしまった──。だから、決意せざるを得なかったんでしょう、二重の意味で兄の身代わりになることを」

国のためには、兄の代わりに一人の兵隊として。家のためには、兄と自分の存在を霊的に入れ替えることによって。

「叔父さんは、家族が大切だったんです。だから自分にしかできない方法で最大の不幸──兄弟が二人そろって若死にすることを回避したんだよ。せっかく甥を助けることができたのに、そのまま何もしなければ、出征するにしろしないにしろ、元から決まっていた寿命で兄が死に、自分もまた、禁忌を犯した代償により元の寿命を生きることはできない……」

「……」

どちらも寿命が短いならば、入れ替わる意味はないと思うでしょう? とたずねられて、俺は思わずうなずいてしまった。

「叔父さんは元々長寿だったせいで、禁忌を犯した代償にそれを失ったとしても、なお兄より数年の猶予があったんだと僕は考えてるんですよ。たとえほんの二、三年のことだったとしても、兄の健康な身体でそれを使うなら、間近に迫った敗戦と、戦後の混乱期を乗り越える助けになったはずです」

ああ、その時の叔父さんの元気は家神様のお蔭であって、長くは保たないんだったっけな……。戦後のことを考えれば、病弱な自分が残るより、健康な兄が残るほうがいいって、そう考えてたんだもんなぁ──。

「……意味、大ありでしたね」

何とか言葉を押し出すと、「そうでしょう」と真久部さんは言った。どうしようもない切なさを堪えるような、少し寂しげな笑みで。──きっと俺も今、同じような表情になっていると思う。
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