第322話 芒の神様 1

文字数 2,366文字

(すすき)の穂が、風に揺れている。明るい日差しの中で、まるで輝く波のよう。

ふわふわと、光でいっぱいの穂波が眩しくて、ふと見上げれば青い空。こっちも同じくらい眩しいかも、だって秋晴れ、日本晴れ。清々しいほどの上天気。

「すごいですね、ここ!」

前を行く真久部さんに、俺は思わず声を掛ける。

「一面の薄の原なんて、普通めったに見られないですもん」

この季節、道の端とか、空き地の隅でちょこちょこ薄を見掛けるけど、こんなふうに薄しか生えてないような光景はなんというか、人里離れたというか、山奥というか、そういうところでしか見られないと思うんだ。

「ここ、茅場なんですよ」

歩きながらちょっとだけふり返って、真久部さん。踏み固められただけの細い道、お手製らしい布製のリュックが、和装の背中で揺れている。

「かやば?」

聞きなれない言葉だから、俺はつい聞き返してしまった。雨に削られてできたらしい段差をよっこいしょと上りながら、さっきより少し大きな声で教えてくれる。

「ほら、昔の家って屋根が茅葺きだったじゃないですか。その材料である茅を、ここで刈ってたんだよ」

けっこう傾斜がキツいのに、足元だけは草履からスニーカーに履き替えた真久部さん、苦もなさそうに上っていく。インドア専門に見えるけど、体力はあるんだよなこのヒト、とか思いながら、俺は疑問を口にする。

「かや……茅って、薄のことだったんですか? 俺、なんとなく別のものだと思ってました」

「ああ、」

と真久部さんは、ずれたリュックを背負い直しながら続ける。

「そういうのって、よくあるよね。たとえば、アシとヨシも同じものなんですよ。(すだれ)とか葦簀(よしず)の材料の」

「えーっ! そうなんですか?」

驚いた。アシとヨシって、<似てるけど違う>的な、別々の植物なんだと思ってた。

「そこらへんの名前はねぇ。大昔から親しみがあるからこその呼び変えやら、縁起担ぎやら」

そんなことを話しているうちに、ようやく平らな場所に出た。ふう、と息を吐きながら真久部さんが立ち止まると、着物の袖や裾を翻らせて、風が吹き過ぎる。

「──さて。ここが一番見晴らしの良いところです。茅場もいつしか利用が減ったけれど、この景色を見ようと観光客が来るので、今でも昔のように手入れされているんだよ」

「……」

高台から見る薄の原は、まさに絶景だった。緩やかに起伏しながら連なるスロープは丈高い薄に覆い尽くされて、逆光が全てそれを白銀に輝かせている。

「きれいですね……登ってくるまでもきれいだったけど──、すごい!」

きれいとすごいしか言えなくて、自分の語彙力の乏しさにトホホとなってしまうけど、目の前の光景はやっぱりきれいですごいので、もういいや、と俺は思考を放棄した。

風が吹く。薄が靡く。打ち寄せる波のように、遠く近く葉擦れの音が響き合う。高い空のどこかで、甲高い鳥の声。

テレビや画像でしか見たことのなかった光景に圧倒されていた俺は、真久部さんのおっとりとした声で我に返った。

「さて、何でも屋さん。ここらでお茶でも一服いかがです?」

「あ……そこ、ベンチがあったんですね」

今いる場所は、薄の原を海だとすれば、小さな島といったところ。ここだけ短い芝草に覆われていて、真ん中あたりにごろっと大きな石、その脇にちょろちょろ生える赤松。赤松の手前に、木製のベンチがひとつ。

「観光客用にね。さあさあ、こちらにどうぞ」

そう言って俺に場所を示すと、和装のままでこんなところまで登ってきた強者は、リュックサックの中からポットと竹籠を取り出した。籠の中にはお茶の道具。渋い色味のお茶碗に、茶筅と棗、茶匙。

「真久部さん、こんなん持ってきてたんですか?」

ちょっと景色を見るだけって言ってたのに、なんか荷物が多いと思ったら、本格的なお茶の用意が。

「たまにはこういうのもいいでしょう? ──今回は、何でも屋さんのための慰安旅行を兼ねてるからねぇ」

「いやいや、俺、臨時店員なだけですからね?」

胡散臭い笑みの似合う、年齢不詳の地味な男前こと、真久部さんの営む不思議の店、慈恩堂。店番を雇っても何故か人が居つかず、皆その日のうちに逃げ出してしまうという、怪しい古道具店。そんな中、俺だけは一人でもなんとか一日中店番していられるけど、でも。

「お仕事料をいただいて、店番を請け負ってるだけのただの何でも屋なんですから、そんなに気を遣っていただかなくても」

絆されて、正店員になんて、ならないんだからね! ──だって、あの店、怖……。

「わかってますよ」

真久部さんはあっさり頷いてみせる。

「まあ、いいじゃないですか。僕、憧れていたんですよ、慰安旅行。うちの店にもちゃんと店員がいて、気持ちよく働いてもらって……、福利厚生とか、普通にそういうのをやってみたかったんだよ。季節の良いときには、こんなふうに旅行に連れて行ったり──」

ふっ、と笑った顔がどことなく寂しげに見えるから、俺は何も言えなくなった。

(慈恩堂)()()()()だけど、それでもあれはうちの店で……そこで()()()働いてくれる人のことは、大事にしたいんです」

まあ、いいじゃないですか。もう一度同じことを言い、ちゃんとお茶菓子もあるんだよ、と話を変えるようににっこりしてみせるから、俺もそれに乗ることにした。

「──昨夜の宿はあんまり豪華で、俺びっくりしました。部屋もグレード高そうだったし」

前にいた会社の慰安旅行でも、なんなら元妻との新婚旅行でだって、あんないいところに泊まったことないです、とつけ加える。

「料理も豪勢で、すごく美味しかったなぁ。俺は贅沢できてうれしかったけど、何だか申しわけなくて。真久部さん、かなり懐が痛んでしまったんじゃあ……」

「大丈夫だよ、あれはあのホテルのお礼だもの。何でも屋さん、お仕事したでしょう?」

わざとらしく小首を傾げてみせ、真久部さんは言う。
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