第104話 お地蔵様もたまには怒る 23
文字数 1,869文字
「え? じゃあチンとんシャンってチェーン店なのかな?」
いや、あのクォリティでチェーン店は難しくないか? うーん、と仕入れ値と売値の間に横たわっているであろうマリアナ海溝のように深くて暗い溝について考えていると、店主はどんな人でした? と訊ねられる。
「三十代くらいで色白の、温和な感じの人でしたね。ラーメン屋のオヤジさんっていうより、保育園の保父さんみたいな」
「……」
「真久部さん?」
どうしたんだろ、何だか落ち込んでるみたいだけど。
「あの人、なんだか怪しいとは思ってたけど、やっぱり……」
「え? 伯父さん?」
あの人はいつでも怪しいよね、と思っていると、あの人違いです、と訂正される。
「伯父は今更ですよ……違います。ラーメン屋の店主のほう」
伯父さんについては同意だけど、チンとんシャンの店主はそんなことないと思う。
「いい人そうでしたよ?」
そう訴えたけど、溜息で返された。何でだ。
「えええ……。そもそも真久部さん、チンとんシャンには行ったことないって、さっき言ったじゃないですか」
「その店には行ったことありませんよ、ええ。でも、僕はあの人の作るラーメンを食べたことがあるんです、伯父と一緒にね。確かに天にも昇るほどの美味です。あれ以上のラーメンは、僕も食べたことがないですね」
え? どゆこと? うーん……。
「……もしかして、店主が店を掛け持ちしてるってことですか? この駅前と、伯父さんの住む街と」
すごいな、利益度外視の道楽店を二つも持ってるなんて。交互に店を開けてるのかな? 酔狂な上にマメだなぁ。それにしても、どれだけの資産家なんだろう。
あくせく働く必要もなく、趣味で店やってるなんてうらやましい、と思っていると、真久部さんが不思議なことを言った。
「いえ、店は一つです」
「え?」
「店は一つでも、入り口が二つあるんですよ。……いや、二つに限らないかもしれない。幾つでも、好きなだけ好きな場所に作れるんじゃないかな……」
何故だか遠い眼をしてる真久部さん。意味が分からないよ!
「……どこでもドアみたいな?」
有り得ないだろう、ってことを言ったつもりなのに。
「どこでもドアというより、どこでも、ドアを開けるとラーメン屋、という感じかな……」
さらに有り得ないことを言われてしまった。
「え? それってどういう……」
意味が分からないよ。そう思って訊ねてみるも。
「迷い家 って知ってますか?」
全然関係無さそうなことを訊ね返されてしまう。
「──迷い蛾? 伯父さんも昨日そんなこと言ってましたね。知らないですけど、何だかすっごく説明したそうな顔をしてらしたので、聞くのは止めておきました。俺、蛾ってあんまり得意じゃないんですよ。そんなもんについて語られても困るし。蝶々はそうでもないんですけど、何だろう、いる場所と飛び方の違いかなぁ……」
俺の話を聞いていた真久部さんは、どうしてか力が抜けたみたいに肩を落としながら、使い古された万年筆とメモ帳を出してきた。
「まよいがは、迷った蛾じゃなくて、こう書くんです」
書かれた文字は、<迷い家>。
「へ? 迷子なら分かりますけど、家が迷うなんて変じゃないですか?」
「昔話なんかで読んだことありませんか? 山の中で道に迷った人が、不思議な屋敷に出会う話を。門も立派だし、裏庭に回れば家畜もたくさんいる。豊かな家のようなのに、人の気配が無い。誰かいないかと恐る恐る家の中を探してみると、奥の座敷の火鉢では鉄瓶のお湯がしゅんしゅん沸いていて、なのにやっぱり誰もいない」
「何だか、マリー・セレスト号の話みたいですね……」
航行中の船から人だけが消えてしまったという、昔実際にあった海の怪談を思い出す。積荷はそのまま、食料も飲み水もたっぷり。食べかけの食事、湯気の立つコーヒー、調理室では鍋が火に掛けられたまま。それなのに、乗っていたはずの人だけがいないという……。
怖っ!
思わずそそけ立った二の腕を擦っていると、真久部さんは「海のそれとは違いますよ」と首を振る。
「あの船の乗船員の運命はともかく、山のこれは迷い家で、見つけた人に幸運を授けてくれるものです。家の中のものをどれでも一つだけ持って帰っても良く、何も持って帰らなかった善良な人にはあとからお椀を川に流してくれたりもします。昔話だと、それで長者になれたりするんですよ」
「怖い話じゃないんですね……?」
いや、あのクォリティでチェーン店は難しくないか? うーん、と仕入れ値と売値の間に横たわっているであろうマリアナ海溝のように深くて暗い溝について考えていると、店主はどんな人でした? と訊ねられる。
「三十代くらいで色白の、温和な感じの人でしたね。ラーメン屋のオヤジさんっていうより、保育園の保父さんみたいな」
「……」
「真久部さん?」
どうしたんだろ、何だか落ち込んでるみたいだけど。
「あの人、なんだか怪しいとは思ってたけど、やっぱり……」
「え? 伯父さん?」
あの人はいつでも怪しいよね、と思っていると、あの人違いです、と訂正される。
「伯父は今更ですよ……違います。ラーメン屋の店主のほう」
伯父さんについては同意だけど、チンとんシャンの店主はそんなことないと思う。
「いい人そうでしたよ?」
そう訴えたけど、溜息で返された。何でだ。
「えええ……。そもそも真久部さん、チンとんシャンには行ったことないって、さっき言ったじゃないですか」
「その店には行ったことありませんよ、ええ。でも、僕はあの人の作るラーメンを食べたことがあるんです、伯父と一緒にね。確かに天にも昇るほどの美味です。あれ以上のラーメンは、僕も食べたことがないですね」
え? どゆこと? うーん……。
「……もしかして、店主が店を掛け持ちしてるってことですか? この駅前と、伯父さんの住む街と」
すごいな、利益度外視の道楽店を二つも持ってるなんて。交互に店を開けてるのかな? 酔狂な上にマメだなぁ。それにしても、どれだけの資産家なんだろう。
あくせく働く必要もなく、趣味で店やってるなんてうらやましい、と思っていると、真久部さんが不思議なことを言った。
「いえ、店は一つです」
「え?」
「店は一つでも、入り口が二つあるんですよ。……いや、二つに限らないかもしれない。幾つでも、好きなだけ好きな場所に作れるんじゃないかな……」
何故だか遠い眼をしてる真久部さん。意味が分からないよ!
「……どこでもドアみたいな?」
有り得ないだろう、ってことを言ったつもりなのに。
「どこでもドアというより、どこでも、ドアを開けるとラーメン屋、という感じかな……」
さらに有り得ないことを言われてしまった。
「え? それってどういう……」
意味が分からないよ。そう思って訊ねてみるも。
「
全然関係無さそうなことを訊ね返されてしまう。
「──迷い蛾? 伯父さんも昨日そんなこと言ってましたね。知らないですけど、何だかすっごく説明したそうな顔をしてらしたので、聞くのは止めておきました。俺、蛾ってあんまり得意じゃないんですよ。そんなもんについて語られても困るし。蝶々はそうでもないんですけど、何だろう、いる場所と飛び方の違いかなぁ……」
俺の話を聞いていた真久部さんは、どうしてか力が抜けたみたいに肩を落としながら、使い古された万年筆とメモ帳を出してきた。
「まよいがは、迷った蛾じゃなくて、こう書くんです」
書かれた文字は、<迷い家>。
「へ? 迷子なら分かりますけど、家が迷うなんて変じゃないですか?」
「昔話なんかで読んだことありませんか? 山の中で道に迷った人が、不思議な屋敷に出会う話を。門も立派だし、裏庭に回れば家畜もたくさんいる。豊かな家のようなのに、人の気配が無い。誰かいないかと恐る恐る家の中を探してみると、奥の座敷の火鉢では鉄瓶のお湯がしゅんしゅん沸いていて、なのにやっぱり誰もいない」
「何だか、マリー・セレスト号の話みたいですね……」
航行中の船から人だけが消えてしまったという、昔実際にあった海の怪談を思い出す。積荷はそのまま、食料も飲み水もたっぷり。食べかけの食事、湯気の立つコーヒー、調理室では鍋が火に掛けられたまま。それなのに、乗っていたはずの人だけがいないという……。
怖っ!
思わずそそけ立った二の腕を擦っていると、真久部さんは「海のそれとは違いますよ」と首を振る。
「あの船の乗船員の運命はともかく、山のこれは迷い家で、見つけた人に幸運を授けてくれるものです。家の中のものをどれでも一つだけ持って帰っても良く、何も持って帰らなかった善良な人にはあとからお椀を川に流してくれたりもします。昔話だと、それで長者になれたりするんですよ」
「怖い話じゃないんですね……?」