第161話 煙管の鬼女 9

文字数 1,999文字

たとえば、うちの店みたいなところではねぇ? そんなふうに意味ありげに眼を細める様子は、まるで古い猫のようだ。古い猫ってどんなんかっていうと、飼い主の猟師が明日の猟に使おうと用意している鉄砲の弾を、ひとつひとつじっくり数えてるような猫だよ。弾除けに、ごつい鍋蓋を確保してるたぐいの。

にっこり、じゃなくて、ニッタリ。そんな表現がよく似合う、笑み。

「……ヤクソクハ、マモラナイトイケマセンヨネー」

棒読みで答える。視線をそらせて。

人の命にかかわる約束事といっても様々で、戦争中の国どうしが締結したはずの停戦協定を、片方が守らなければ片方に通常交戦よりさらに大きな犠牲が出るし、沖の岩礁に釣りに行って、約束の時間に釣り船が迎えにきてくれなければ満ち潮で溺れるかもしれない。交通ルールなんか、守らないと人が死ぬ最たるものだ。

でも、真久部さんの言う約束って、そういう目に見えるようなわかりやすいことじゃないでしょ?

「……」

俺はそうっとこの慈恩堂の店内を見回した。

寄木細工のオルゴールに、白い花の描かれたミニ掛け軸、熊なのか犬なのか猪なのかわからないごろんと大きな木彫り像、木を刳り貫いて内側に銅を張り、外側に螺鈿細工をほどこした火鉢に、どっしりと頑丈そうな長持、縦に長いアンティークなカメラ、キメラのような獣身像……。

<守れない約束をする者>を絶対に許さない、この中にもそういった過激な性格のものはある、はず。たとえば、寄木細工は決まった手順、つまり、約束通りの手順で開けないと音は鳴らない……とは聞いてるけど、触らないほうがいいですよ、とも言われてる。なんか、間違った手順で開くこともあるけど、そのとき聞こえる音はオルゴールじゃなくて──まで話を聞いてから、先を話すのを止めてもらったんだ。

だって、あのときの真久部さん、今と同じような顔してたんだよ! 怪しい胡散臭い嘘っぽい笑みを浮かべて、機嫌のいい猫みたいにさ。

まあ、触るなって言われたら、そのまま俺は触らないので、それを知ってる真久部さんは、ただ反応を楽しむために意味ありげな作り話をしたんだろう……。と、思いたいのはやまやまだけど、触るなというからには、何か理由があるはずなんだ。たぶん、本当に怖い理由。<約束>の内容を知らないと扱いを間違い、命までも奪われるたぐいの……。

俺を怖がらせて喜ぶ趣味の悪い人だけど、嘘は言わない。

真久部さん、自分の手に余るものは扱わない、とはいつも言ってる。でも、そんな真久部さんでも取り扱い厳重注意な品物が、ここにはたくさんあるんだろうと思う。面倒だったり煩雑だったり厄介だったり、一筋縄でいかないばかりか、縄にフックに鎖に網まで必要なものが。

ここの店番引き受けるようになって最初の頃、よく言われた。「古い道具の中には、扱いを間違うとただでは済まず、下手したら命を取られるようなものがあるので、気をつけてくださいね?」って、胡散臭く笑いながら。本気なのか冗談なのかわからない口調だったけど、あれは言うまでもなく本気の注意だったんだ。──普段は考えないようにしてるけどさ、怖いから。

そういうのに比べたら、「他の女に使わせない」程度の約束事、全然大したことじゃないだろう。──俺もそう思う。

「この“六条”、いや、“虞美人”はね」

真久部さんは煙草盆ごとちゃぶ台の上にそっと置いて、羅宇を示した。

「元々、春の野に舞う美しい女人が描かれていたといいます」

「え? でも、これって秋の野原っぽいですよ? ススキもあるしそれに──」

女人というより、角があるから鬼なのでは、というのは言わなかった。真久部さんは俺の飲み込んだ言葉をわかってるんだろう、困ったように笑った。

「前の持ち主から聞いたところによると、彼が手に入れたとき、ここにあったのは寒々とした冬の景色だったそうです。草も木も全てが枯れ果てた野原に、ただ独り般若の形相をした女が立っていたとか」

角も、今よりずっと長かったそうですよ、と言う。

「でも、彼が年に一度か二度煙管を吸って<逢瀬>をし、そのたび<約束>をして、ものの分かった友人以外には誰にも使わせず、女性には絶対触らせずを守っているうちに、だんだん表情から険が取れ、気づけば厳寒の冬景色から初冬くらいに背景も変わっていた、というんです」

「……」

「──僕が預かったときには、この秋の野原ももう少し寂しいものだったし、角ももっと目立っていた……」

彼女は、男の<約束>を欲しているんです──。ぽつりと呟くようにそう言った真久部さんは、哀れむような、慈しむような、そんな表情で“虞美人”を見つめている。

「軽い気持ちで男が約束を違えるたび、裏切られた彼女は悲嘆に暮れて人から身を落とし、鬼に近づいていく。完全な鬼になってしまえば、この煙管は壊れてしまうんだそうです。──約束を違えた男の咎を抱えて、彼女は地獄に行くのだそうだよ……」
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