第154話 煙管の鬼女 2
文字数 2,215文字
その言葉に、俺はうなずいた。
「大井さんお手製の保管用綿入り袋ごと、ごん、と床に落としたらしいです。だからフローリングなんか嫌いなんだ、畳なら割れなかったはずなのに! ってお冠でしたよ」
「ああ、大井さんのために、娘さん夫婦が家をリフォームしたんでしたっけ。バリアフリーと畳は、相性がいいとはいえないですからねぇ」
真久部さんも苦笑している。リフォームも良し悪しだけど、時と場合によるからなぁ。皿にはキツかったけど、痛めてる足にはやさしいと思うよ、フローリング。
「でも、これはこれで金継 ぎしたらいい味が出ると思うよ……」
そう呟きながら、真久部さんは帳場机からデジカメを出してきた。角度を変えながら、何度も欠片たちを写している。パソコンに画像を取り込んで、職人さんに先にメールで送っておくんだそうだ。最近は古い職人さんたちの間にも、ハイテクの波が押し寄せているらしい。
「これくらいでいいでしょう」
ふ、と息を吐いて、真久部さんは元のように欠片たちを包み直した。箱の中に仕舞う。金継ぎ職人さんの御弟子さんが近所に住んでいるので、明日か明後日あたりに取りに来てくれるという。
「さて、せっかく来たんだから、お茶でも飲んでいってくださいよ、何でも屋さん」
怪しい笑みで誘ってくれる。
「え、いやあ、その──」
この後の予定! 予定は──次は午後からの模様替え手伝いしか無いや。朝早くから仕事してるから、昼はだいたい昼飯と休憩のために空けてあるんだ。突発依頼にも対応しやすいし。真久部さん、それ知ってるからなぁ。あ、笑顔がさらに怪しくなった。
「今日はなんだか早く目が覚めてしまってねぇ。それでつい、シュークリームなんか焼いてしまったんですよ」
中身は自家製マロンクリーム。そんなこと言われて、ごくっと喉が鳴る。
「甘さ控えめで、我ながら上手くできたと思うんだよ。さっき配達に来てくれた商店街のお米屋さんにも、好評をいただきました」
にーんまり。
「……」
俺は、シュークリームに負けた。
中はしっとり、外はサクっと。栗の風味が濃厚です。一緒に出してくれた紅茶とも相性バッチリ……なんでこのヒト、こんなにお菓子作りが上手いんだろう。古道具屋の前はパティシエでも目指してたんだろうか。
謎だけど、美味しいものは美味しいですと、素直に感想を述べておくのは人間関係においてとても大切なこと──元妻の教えだ。ごめんよ、きみの料理はいつも美味しかったから、それが当然のことなんだと……。顔見たらわかるって笑ってくれたけどさ、それ言わなくて離婚になった夫婦知ってるから……俺たちも別れたけど、それが原因じゃない。はず。
「マロンクリーム最高です!」
ひとつしっかり平らげてから、本気の賞賛。あまり怪しくない顔で、真久部さんはにっこり微笑んでくれた。
「何でも屋さんは、本当に食べさせ甲斐があるねぇ……。先日、お客様から栗をたくさん送っていただいたんですよ。一人では食べきれないので、こうやっていろいろ作ってみてるんです。栗入りパウンドケーキも焼いてあるから、よかったら後で持って帰ってください」
冷凍庫に入れておくとしばらく保ちますよ、と魅力的な提案。反射的に、是非! とうなずいてしまったけど、もらってばかりで悪いから、今度お礼になんかいい酒でも買ってこよう。酒よりも本当は、店番を請ける頻度を増やすのが一番喜ばれるとは思うけども──。
ぶるぶる。ちょいと不気味な慈恩堂、嫌いじゃないけどつい腰が引けてしまう。
「それにしても、真久部さんは煙管煙草をやってたんですか? 知らなかったです」
さっきの真久部さん、みょーに妖艶? だったなぁ。骨董古道具に囲まれて時が止まったみたいな店内で、それなり見目いい和服の男がまったり煙管を、っていうシチュエーションのせいだろうか。
「ああ、あれね……」
紅茶のカップで指先を温めていた真久部さんが口を開きかけて、ニッと唇の端を上げた。悪戯っぽい眼。
「聞きたいですか?」
「え……」
煙管煙草やってるやってないって、そんなに覚悟して聞かないといけないことだったかなー?
「いや、その──俺は別に嫌煙家じゃないし、必要なら吸うし」
慈恩堂の届け物を預かって客先に届けに行く途中、妙な道の迷い方したときとか。
「真久部さんが煙草のたぐいやってるの、見たことないから意外で」
いや、この人も必要なときに吸ってるのかもしれない。狐や狸もまず寄ってきなさそうだけど。
「それだけ、ですよ?」
あはは~、と一所懸命しゃべる俺を、真久部さんは何故か微笑ましいものを見るように見ている。なんでだ。
「大した話じゃないんですけどね」
そう言って、今度は海老せんべいを出してきた。う……あのいくらでもばりぼり食べられる、薄塩の趣深い味わいの──。にっこり笑って勧められ、つい、手が……。
「……」
ぱりぱりぼりぼり。魅惑の海老味。堪能してると真久部さんが語り出す。
「古い道具の中には、たまにはその用途で使ってやらないといけないものがあってね。さっきの煙管もそのひとつで──」
昔々、江戸は吉原に、今でいう高級娼婦、太夫がいた頃の話。
友達に誘われ、花魁道中を見物していた真面目な職人が、主役の太夫に一目惚れ。
「大井さんお手製の保管用綿入り袋ごと、ごん、と床に落としたらしいです。だからフローリングなんか嫌いなんだ、畳なら割れなかったはずなのに! ってお冠でしたよ」
「ああ、大井さんのために、娘さん夫婦が家をリフォームしたんでしたっけ。バリアフリーと畳は、相性がいいとはいえないですからねぇ」
真久部さんも苦笑している。リフォームも良し悪しだけど、時と場合によるからなぁ。皿にはキツかったけど、痛めてる足にはやさしいと思うよ、フローリング。
「でも、これはこれで
そう呟きながら、真久部さんは帳場机からデジカメを出してきた。角度を変えながら、何度も欠片たちを写している。パソコンに画像を取り込んで、職人さんに先にメールで送っておくんだそうだ。最近は古い職人さんたちの間にも、ハイテクの波が押し寄せているらしい。
「これくらいでいいでしょう」
ふ、と息を吐いて、真久部さんは元のように欠片たちを包み直した。箱の中に仕舞う。金継ぎ職人さんの御弟子さんが近所に住んでいるので、明日か明後日あたりに取りに来てくれるという。
「さて、せっかく来たんだから、お茶でも飲んでいってくださいよ、何でも屋さん」
怪しい笑みで誘ってくれる。
「え、いやあ、その──」
この後の予定! 予定は──次は午後からの模様替え手伝いしか無いや。朝早くから仕事してるから、昼はだいたい昼飯と休憩のために空けてあるんだ。突発依頼にも対応しやすいし。真久部さん、それ知ってるからなぁ。あ、笑顔がさらに怪しくなった。
「今日はなんだか早く目が覚めてしまってねぇ。それでつい、シュークリームなんか焼いてしまったんですよ」
中身は自家製マロンクリーム。そんなこと言われて、ごくっと喉が鳴る。
「甘さ控えめで、我ながら上手くできたと思うんだよ。さっき配達に来てくれた商店街のお米屋さんにも、好評をいただきました」
にーんまり。
「……」
俺は、シュークリームに負けた。
中はしっとり、外はサクっと。栗の風味が濃厚です。一緒に出してくれた紅茶とも相性バッチリ……なんでこのヒト、こんなにお菓子作りが上手いんだろう。古道具屋の前はパティシエでも目指してたんだろうか。
謎だけど、美味しいものは美味しいですと、素直に感想を述べておくのは人間関係においてとても大切なこと──元妻の教えだ。ごめんよ、きみの料理はいつも美味しかったから、それが当然のことなんだと……。顔見たらわかるって笑ってくれたけどさ、それ言わなくて離婚になった夫婦知ってるから……俺たちも別れたけど、それが原因じゃない。はず。
「マロンクリーム最高です!」
ひとつしっかり平らげてから、本気の賞賛。あまり怪しくない顔で、真久部さんはにっこり微笑んでくれた。
「何でも屋さんは、本当に食べさせ甲斐があるねぇ……。先日、お客様から栗をたくさん送っていただいたんですよ。一人では食べきれないので、こうやっていろいろ作ってみてるんです。栗入りパウンドケーキも焼いてあるから、よかったら後で持って帰ってください」
冷凍庫に入れておくとしばらく保ちますよ、と魅力的な提案。反射的に、是非! とうなずいてしまったけど、もらってばかりで悪いから、今度お礼になんかいい酒でも買ってこよう。酒よりも本当は、店番を請ける頻度を増やすのが一番喜ばれるとは思うけども──。
ぶるぶる。ちょいと不気味な慈恩堂、嫌いじゃないけどつい腰が引けてしまう。
「それにしても、真久部さんは煙管煙草をやってたんですか? 知らなかったです」
さっきの真久部さん、みょーに妖艶? だったなぁ。骨董古道具に囲まれて時が止まったみたいな店内で、それなり見目いい和服の男がまったり煙管を、っていうシチュエーションのせいだろうか。
「ああ、あれね……」
紅茶のカップで指先を温めていた真久部さんが口を開きかけて、ニッと唇の端を上げた。悪戯っぽい眼。
「聞きたいですか?」
「え……」
煙管煙草やってるやってないって、そんなに覚悟して聞かないといけないことだったかなー?
「いや、その──俺は別に嫌煙家じゃないし、必要なら吸うし」
慈恩堂の届け物を預かって客先に届けに行く途中、妙な道の迷い方したときとか。
「真久部さんが煙草のたぐいやってるの、見たことないから意外で」
いや、この人も必要なときに吸ってるのかもしれない。狐や狸もまず寄ってきなさそうだけど。
「それだけ、ですよ?」
あはは~、と一所懸命しゃべる俺を、真久部さんは何故か微笑ましいものを見るように見ている。なんでだ。
「大した話じゃないんですけどね」
そう言って、今度は海老せんべいを出してきた。う……あのいくらでもばりぼり食べられる、薄塩の趣深い味わいの──。にっこり笑って勧められ、つい、手が……。
「……」
ぱりぱりぼりぼり。魅惑の海老味。堪能してると真久部さんが語り出す。
「古い道具の中には、たまにはその用途で使ってやらないといけないものがあってね。さっきの煙管もそのひとつで──」
昔々、江戸は吉原に、今でいう高級娼婦、太夫がいた頃の話。
友達に誘われ、花魁道中を見物していた真面目な職人が、主役の太夫に一目惚れ。