第126話 鳴神月の呪物 17

文字数 1,896文字

「──俺にくっついていたという“糸”って、そんなにヤバいんですか?」

彼の問いに、真久部は頷いた。

「何でも屋さんだから、これまで大したことがなかったんですよ。それでも、もし返して(・・・)いなかったら──いくら護りが強かろうと、もっと障りがきつかったでしょうけどね」

あちらから連絡があるたび、“糸”と一緒に呪物からの瘴気も洩れてくるし、とつけ加えると、彼は、ぐ、と喉が詰まるような声を出した。

「呪術師の老人の話に出て来た、アレみたいな……?」

障りの風の、瘴気の嵐でしたっけ……と恐ろしげに思い出しながら言う。本人に視えないものは仕方がないので、真久部はそこまで強烈なものではないですよ、と説明し、安心させてやった。

「でも、一度まとわりつかれると、きっかけが無いかぎりずっと離れませんからね。初めは薄くとも、何度も供給されるうちに濃くなる。そのうち悪夢や小さい怪我では済まなくなって、風邪を引いたり、ちょっとした事故に遭ったり……」

「事故とかは困りますね……。風邪くらいで済むんなら、まあ……」

熱さえ出なければと、敢えてのことか、彼は暢気なことを言う。

「だけど、風邪引くとお年寄りの病院付き添いとか、話し相手が難しくなるし。顧客に迷惑かけてしまうことになるから、やっぱりダメだなぁ」

体調は常に整えておかないと、この仕事は身体が資本だし! とひとり頷いている。なんとか楽観的であろうとしている彼に、真久部は現実を教えておくことにする。

「この場合、風邪ぐらいでは済みませんよ」

「え?」

「原因が原因ですから、普通の風邪じゃないですし。ひとつ障りがあると、物事は次々良くないほうに連鎖していくものだしね。途中で止まればいいですが、“糸”の大元は呪物、解けきるまで呪の供給は途切れないし、身体が弱ればよけいに影響が強くなる」

だいたい、風邪は万病の元というでしょう? と言うと、彼は沈黙した。

「それに熱が出たりなど、症状そのものが重くならなくても、咳やくしゃみをした瞬間に自転車のハンドル操作を誤って転ぶかもしれない。転んで大怪我をするかもしれない。あるいは、通行人にぶつかって大変なことになったりするかもしれない」

「……」

人間って、脆いものですよ、と件のせどり屋を例に取る。

「噂では、彼は頭痛や胃の不調、腰痛、背中の痛み、しつこい湿疹なんかに悩まされていたらしいということだけど、どうです? このうちのどれかひとつにでも、日常的に悩まされることになったとしたら」

「う……。どれも嫌ですね。毎日が憂鬱になっちゃうかも……」

宿酔(ふつかよ)いの頭痛と胃のよれよれ、ああいうのがずっと続くと考えただけでも気が重くなる、と彼は情けない顔になる。

「ほらね。身体の不調は精神の不調に繋がる。初めは我慢できても、それが続けば気持ちも滅入ってくる。しかも仕事まで上手くいかなくなってくるとなれば、ねえ。死相も浮かぼうってもんですよ。──かのせどり屋だけじゃない、誰だってそうなる可能性はあります」

君も、僕もね、と真久部は言った。

「多分、運ばせられていた“糸”と一緒に来る瘴気に、()てられてたんだろうけど、人間なんてそれだけでもダメになってしまうことがある。悪いほうに転がれば、簡単に死んでしまいますよ」

瘴気の影響下にあると、ただでさえ悪運や悪縁に繋がりやすいですからね、と続けると、彼は身震いしていた。

「──そのせどり屋さん、助かって良かったですね、というか、よく助かりましたね」

もしかしたら、自分もそんなふうになっていたかもしれない、ということを理解したからか、彼はせどり屋の危機一髪ぶりに感心した。

「そうですね。君よりもずっとひどい状態だったようだし……。まさかそんな術にはめられてるなんて思いもしなかっただろうから、何が原因なのか、そもそも原因があるのかどうかすらわからなかっただろうしね。だけど彼は元々誠実な人柄で、仕事も親切丁寧、誰かを特別嫌ったり嫌われたりするようなこともなく、知り合った人の縁は大切にしたというから、君のような護りがなくても、最後の最後で大きな何かに助けてもらえたんだと思いますよ」

せどり屋を御祓いに連れて行ったという古い知り合いは、小学校卒業以来の偶然の再会だという話ですから、と言うと、彼は驚いていた。

「それにしても……その、呪具ってのは、もっとこう、なんとか出来ないものなんでしょうか。どうしてそんな傍迷惑なやり方でしか解除? 無害化? 出来ないんでしょう」
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