第209話 作業開始

文字数 1,975文字








それから三日後、俺は再び水無瀬さん宅の庭で、池の底に眠る金魚を眺めていた。

あれから丁寧な電話をもらい、あらためて収蔵物整理の仕事を頼まれたんで、日にちを調整したんだ。昼からまるまる空けられるのは、今月だと今日だけだった。

真久部さんから“泥棒製造機”の話を聞いて、ちょっとは複雑な気分にはなったよ? でもさ、悪意を仕掛けられるとかそういうんじゃないから、割り切った。確かに条件もいいしさ。それに、この仕事やらせてもらいますって返事したら、水無瀬さん、とても喜んでくれた。求められるってありがたいよな。

最寄り駅からこの近くまで、バスで来た。真久部さんの言うとおり、けっこう離れていた。

「お待たせしたね、何でも屋さん。寒いんだから中で待っていてくれてもいいのに」

蔵の鍵を持った水無瀬さんに声を掛けられて、振り返る。

「いえ。バス停から足早に歩いて来たんで、今、ちょっと暑いくらいなんです」

電車から降りてバスの路線を確認していたら、タッチの差でこちら方面のを逃しちゃったんだよ。まさかすぐ目の前の乗り場だったとは……不覚! せっかく余裕を持って出て来たのに、お陰で約束の時間ぎりぎりになってしまった。

「そうかね。じゃあ、整理を始めるとするか」

「はい。頑張りましょう……! あ、防寒対策大丈夫ですか? 冷えますよ」

前回と違って、今日は水無瀬さんもしばらく蔵の中で過ごすから、あったかくしてもらわないと。

「ああ、もちろん。何でも屋さんが教えてくれたように貼るカイロを背中に貼ってみたら、身体全体がびっくりするくらい温かいな」

「そうでしょう。肩甲骨のあいだの、背中の真ん中あたり。あ、腰にも貼ると完璧ですよ」

「はは、腰は普段から貼っとる」

「腰は身体の要ですもんね。冷えてぎっくりとか怖いです」

そんなことを話しながら、水無瀬さんが蔵の鍵を開けるのを見守る。すごいよな、錠前。時代劇で見るような、でかくてゴツイやつなんだよ。鍵もゴツイ。なんかわからないけどコツがあるらしく、あちこち押したり引いたりしてる。構造が複雑らしい。鍵だけ預かっても、俺は開けられる気がしない。

ようやく開いた錠を外し、分厚い扉を開ける。前回と同じように庭石を置いて扉が閉まらないようにし、いざ、突入。

さすが、数日前に埃を払ったばかりなので、清々しいとまでは言わないけど、どんよりと濁ったような空気は無い。数十年ぶりに開けたというあの日は、淀んだような、何とも言えない感じだったんだけど。

扉から入る光に、蔵の中のものが浮かび上がる。慈恩堂で見るような、骨董の入ってそうな桐の箱類に、和箪笥、長持、葛篭(つづら)、他にもいろいろ。農機具みたいなのは入り口に近いところに積んである。あらためて見るとやっぱり雑然としてるけど、通路に物が置かれてないからなぁ、以前頼まれてゴミ出し手伝ったお宅の、ひと部屋まるごと物置部屋ほどのごちゃごちゃ感はない。

まず一階から着手することにして、その前に話し合いながらブロック分けをする。漫然とやるより整理がしやすくなるし、成果もわかりやすくて捗るからな。そのための秘密兵器も持参している。

「農機具は置いておいて、まずそこからそこまでを──しかし、なんじゃな、蔵の整理というと気が遠くなりそうだったが、そういうものを使うと何とかなりそうな気がするな」

水無瀬さんは感心したように、俺がいま箱と長持の間に差し込んだ秘密兵器、手製の段ボール・インデックスを見た。俺はニッと笑ってみせる。

「一度現場を見てますからね。ここの整理のお話をいただいてから、仕事の合間に作っておいたんです。端に色つきビニールテープを貼って目立つようにして、マジックペンで数字を書いただけですけど、これがなかなかすぐれものなんですよ。モノがたくさんある場所は見ただけでうわぁ、ってなりますけど、こうやってどこからどこまでって視覚的に範囲を定めれば、モノに圧倒されずに冷静になれるんです」

捗りますよ、と言うと、なるほど、と水無瀬さんはうなずいた。

「砂漠の真ん中で方角がわからず途方に暮れていたものが、オアシスを見つけて安心するみたいなものなんじゃな」

「そうそう。広い砂漠を横断するのに、見渡す限り砂、砂、砂だとそれだけでもう渡るの止めちゃおうかなぁ、ってなりますけど、もう少し歩けばそこにオアシスが、と思うと、萎えそうな足にも力が入ろうってもんじゃないですか。区切りとか目印とか、やっぱり必要ですよ」

「そうじゃなぁ……。いやあ、何でも屋さんにお願いして良かったよ」

水無瀬さんもにこにこしてる。うん、喜んでもらえて俺もうれしい。

「次は細かいものが多いから、範囲は狭めに──あれ……?」

持っていた懐中電灯で棚の端を照らす。

「この長持ち、なんかお札みたいなものが貼ってありますね……」

先日見たときはこんなのに気づかなかった。
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