第308話 藤花の季節 3

文字数 2,344文字

「いやあ、はは、どうなんでしょうね。あはは……」

曖昧に濁しつつ、俺はちょっと考えてしまう。

いや、嫌いじゃない、もちろん嫌いじゃないよ、真久部さんのこと。だって伯父さんよりマシっていうか、あの人も俺のこと揶揄うけど、ぎりぎりの手前で引いてくれるっていうか、追い詰めるように見せて、わかりやすい逃げ道を残しておいてくれるというか。似たようなものといえば似たようなものかもしれないけど、でも。

……
……

いや、あんまり考えちゃいけない。考えたらここ(慈恩堂)で店番の仕事できない。『見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い』。よし! 何でも屋版・慈恩堂店番心得を胸に! ──次来るときは、眠気に負けないよう、何か気付け代わりになりそうなもの持って来よう。キン〇ンとかメン〇レータムとか目がスースーするもの……。

マグカップにお湯を入れて、その上にキ〇カンとか垂らしたら、キ〇カン・アロマの効果で頭がすごくすっきりしそう……などと、現実逃避的なことを考えてたら。

「まあ、いいさね。常識に縛られてるほうが幸せなら、それはそれで」

憎たらしい物言いなのに、どことなく声が寂しそうに聞こえて、俺は微妙に逸らせていた視線を、思わず伯父さんに戻した。

「私はつまらないと思うけど、そんなのは人それぞれだって、あの子には窘められたな。伯父さんの面白いは、それ以外の人間にとってはシャレにならないんだから、押し付け禁止だし、余計なお世話だって」

「……」

ここで何かコメントすると、何だか絡まれてしまいそうだから、俺は沈黙を保つことにした。金平糖を一粒口に放り込んでこりこりと噛み、冷めてしまったお茶の残りを飲む。うん、美味い。

そんな俺を、どこか不可思議な笑みで眺めながら、伯父さんが話を変えてくる。

「実はね、今日はここで、会いたい人がいてねぇ。あの子がいたら邪魔されるから、鬼の居ぬ間ってことで」

「……? 待ち合わせですか?」

後から誰か来るんだろうか? 伯父さんの骨董仲間か何かなのかも。

「待ち合わせというか、相手はいつもこの店の中にいるんだよね」

そんなことを言って、またにんまりと笑うから、俺はちょっと寒気がした。

「またー。俺を怖がらせようとして。真久部さんたら相変わらずお人が悪い」

「“相変わらず”?」

うっかり漏れた俺の言葉尻を軽く突きつつ、伯父さんは楽しそうに首を振ってみせる。

「ちょっと欲しいものがあったんだよ。こっちで()()()()()()を作ろうと思ったら、手順がややこしいからねぇ。材料を揃えるのも大変だし」

「はぁ……」

どこかの特産物かなんかだろうか? 

「その点、あっちは()()()()だからなぁ。このあいだ、あの子の眼を盗んで交渉してみたら応じてくれてね。物々交換してくれるっていうから、今日は希望の品物を調達してきたところなんだ」

「そうなんですか」

よくわからないけど、わからないままでいいような気がしてきたから、これ以上は聞くのをよそうと思ったのに。

「まあ、その欲しいものって、自分用じゃないんだけどね?」

面白げに俺の表情を観察しながら、伯父さんが勝手に話し始める。

「最近知り合った、とある女性がさ、ダンナの女遊びに悩んでいるらしくてねぇ」

新型コロナのご時勢に、仕事と偽って出歩くわ、LINEでも五人くらいの女の子とアタマおかしいやり取りをしてるらしいよ、と続ける。

「ま、マメですね……」

「そうだね。あと、何をするにもそれなりに財力があるからねぇ、奥さんの」

入り婿らしいよ、とつけ加え、莫迦だよね、と笑う。

「奥さんが従順だからって、いい気になってるみたいだよ。大人しい人を怒らせたら怖いって、まだ知らないみたいだね」

「……夫側有責で離婚を考えられてるのに、気づかずそういうのを続けてる、とか?」

「離婚は考えてないらしいよ。一度は好きになった相手だから、って彼女は言ってたな。だけど、私の見たところ……」

変なところで声を潜めるから、つい身を乗り出してしまう。

「大人しげに見えて、彼女、けっこう激しい人だよ。表に出さないだけで。従順さの影に、強い支配欲を秘めている。一度手に入れたモノは、絶対に手放したくないという、強い執着心を持っていると思う──まるで、木に絡みつく蔓みたいに」

「……っ」

絡みつく、蔓──。その言葉が、とても怖く思えた。知らず、肩が跳ねる。

「おや、どうしたのかな、何でも屋さん」

面白げに眉を上げて、真久部の伯父さん。

「な、何でもないです」

首を振る。何か思い出してしまいそうで、必死に振る。

「そうかい? ──で、まあ、彼女に別れる気は無くても、妻として腹立たしいのは事実。よく、相手が浮気したとき、男は女を憎み、女は女を憎むというけど、彼女はそのあたり誰が悪いのかを理解していて、浮気者である夫のほうに意趣返しがしたいと」

「はあ……」

そういう浮気者にとって、もっともダメージになるのは、慰謝料ふんだくられて一文無しで放り出されることだと思うけど。

「彼女、顔は笑ってたけど、けっこう本気で怒っているみたいなんだ。でも、優しいことに、肉体的に苦痛を与えたいわけではないというんだよ──か弱い女性にできることだと、たとえば、素知らぬ顔でちょっと有毒な植物を料理に混ぜるとか、古くなった牛乳を飲ませるとかかねぇ?」

「そんなの、わかんないですよ……」

笑顔の影の女性の本気なんか、怖すぎて、想像もしたくないよ!

「ふふ、きっと我々男には、考えもつかないようなことだろうねぇ、そこまでは聞かなかったけどね。だけどまあ、精神的には、大いに懲らしめたいと彼女が言うからさ」

何か、いい方法はないかしら? 世間話に、そんなふうに尋ねられたのだという。

「ひと肌脱ごうと思ったわけだよ。なんたって、とても素敵な道具を売ってくれたことだし」
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