023 __________________ ‐2nd part‐

文字数 1,462文字

 二曲目からユールはギターを抱え、自前のジュラルミンのトランクに腰かける毎度のスタイルで弾き語りを始めた。

 これも知らない曲。でも、どうやら演歌みたい。
 年寄り連中が一緒になって口遊(くちずさ)んでいる。弱弱しく合の手を入れる人もいた。
 きっと、僊婆の世代はみんな好きな歌なんだろう。

 しかしオレとしては一気に興醒めてしまった。
 これも僊婆の惜別のセレモニーだから仕方がないんだけれど、一発目があまりに荘厳だったので拍子ぬけの度合も大きい……。

 オレは濡縁に腰を下ろして軽く息を吐く。
 そして、少し前で、弛緩したように棒立って聴き惚れている葉植さんの華奢な後ろ姿を中央に、辺りの場景をぼんやり眺めていると、部屋の中からムッシューが現れて、オレが座る戸口の反対側にしゃがみ込んだ。

 ムッシューは一旦着替えに帰ったというのに、ラフな格好は相も変わらずだった。
 
 まぁドレスシャツにもジーンズにもペンキ染みや大穴がなく、それぞれシルクっぽい光沢のあるホワイトに色落ちのないブラックなところを見ると、これが彼なりの礼装なのかもしれない。
 洗髪もして来たらしく、鬱陶しそうな前髪も本来の弾力をとり戻し、貼り付かずに顔の皮膚との微妙な空間を維持していた。

 ムッシューはこちらに一瞥もくれず、そのままユールに注目するので、オレも無言で

? と、期待をよぎらせつつ顔を向けなおそうとした。

 けれど、視界の端が捉えたモノが、オレの動作を止め尚かつ引き戻してしまった──ムッシューが穿いているジーンズの裾、オレの意識の中では、そこにある模様が急速度でクローズアップされる。

 ……それセイレネスの、オレがノドからもう一人出るくらい欲しいジーンズだっ……。
 
 残念ながら、ロゴマークのセイレーンを(かたど)ってある刺繍とまではいかない縫い付け模様は、下半分がカットオフされてしまっていた。
 でもまぁ、それでフツウ。
 翼を広げて飛翔するセイレーンの全体、長い尾羽までもを残すには、丈を調整することなくそのまんまで穿けなければならない。
 そこまで長い脚の持主は、外国人にだって滅多にいないってことだ。

 セイレネスジーンズの、その目立たないよう配慮された特徴である縫い付けは、そもそもチケットの半券が(なぞら)えられていて、誰もが図柄の途中で切り離すよう平均的な丈に(ぬいと)ってある。
 

みたいな、粋な機能を果していて、そういう小ワザを利かせたイチイチ含蓄のある点がセイレネスのこの上ない魅力。

 そしてオレがこのジーンズを渇望しているのも、実はそこに大きな理由がある。

 ひょろいオレが穿けば、サイズ的に、セイレーンのマークは尾羽しか切れずに済むはずなんだ。
 それは、たぶんどこかのファッション誌のライターが、ウケ狙いの牽強付会に書いた記事にすぎないのだろうけれど、セイレネスファンの間ではレアなタリズマンと言うか、信じる者だけに御利益がある幸運の呪物みたいになっている。
 
 セイレーンの姿が、ジーンズ右脚前面の膝下から裾までの間に残れば残るほど瑞祥、霊験あらたかというわけだ。

 セイレネスのシンボルモチーフであるセイレーンは、ギリシア・ローマ神話に登場する怪物の名前で、ロゴタイプ自体は、表情のない女性の顔をした豊かな乳房をもつ妖鳥という形で描かれている。

 中世以降の文学作品には、女性の上半身に魚の尾が合わさった所謂(いわゆる)人魚としても登場するらしいけれど、やっぱり、翼を広げて長い髪と尾羽を(なび)かせた図様がイカしてる。
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登場人物紹介

登場人物につきましてはイントロ的に一覧で掲載しておりますぅ


当作は主人公:楯の一人称書きをしておりますので、本編内で紹介されるプロフィール情報のムラは、楯との関係性によるところが大きくなりまっす


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