055 どう思いますメラビアンの法則って? ‐1st part‐
文字数 1,603文字
そしてナフサさんは、岩襖 な上半身をソファーから起こすと、ズカズカ奥の引き戸へと近寄って行く。
「ディースがこの戸のスグ向こうにいる時には、話しかけちゃ絶対にダメだから」
「…………」いきなり絶対にダメ? ようやく和 めてきた気分が吹っ飛んでいく。
「彼の頭の中では、彼にしか聴こえない音楽が奏でられていて、制作中の作品の仕様書や指示書にもなっているそうなんだ。しかも従わないと、殺されんばかりの強迫的な衝動に突き動かされているカンジだと言うから、邪魔されると防衛反応なのか物凄く凶暴になる」
「…………」お次は凶暴っ!? それに、言ってる意味がわからない。
「快楽ではないはずなのに、まるで麻薬がきれた中毒患者だ、危険だよ。トランス状態になって、イメージ心像や声に指図されるっていうのは耳にするけど、音の流れに踊らされて複雑な物をつくるなんてのは、彼特有ではないのかな? 水埜クン、チョットここへおいで」
オレは生唾 を呑んで腰を上げた。上げるしかない。
ナフサさんをして凶暴と言わしめるんだから相当なんだろう──。
わずか数歩の距離をモタついてしまうわ、ナフサさんの傍に寄れば寄ったで、生まれて初めて体験するほどの隘狭 感だし!
「様子を窺う時にはね、まずこんなカンジに、スグ近くで作業していないかどうかを確かめるんだ──」
ナフサさんは微風を起こして中腰になると、戸の上半分に嵌るクリアガラスにかかったカーテンの裾をそろり捲る。
それで、オレが直立する目線と同じ高さだから嫌になる。
「あぁ奥にいるね。これなら全開にしても大丈夫」と、ナフサさんは一気に片側のカーテンを開けた。
「…………」何も、ホントに全開にする必要まではないんじゃないのっ。
「とにかく、彼の集中を極端に遮るようなことさえしなければOKだ。不安なら、こちらの電気を消してから覗くといい。偶偶スグ手前でこちらを向いていたりすると、目に入った光で怒り出すかもしれないからね」
オレは促されるまま、ガラス越しに内部を窺う……中は想像以上に広く、何かのアトラクションみたいな、ワザとそうつくられたカンジの仄暗さだった。
テントの屋根は、さほど高くもない中央辺りが緩やかに垂れ下がったカテナリー型。
そして、撮影に使われるスタンドライトのような強いビームが三箇所から放たれていて、ムッシューが動くたびに濃い影が揺れた。
それくらいしか目視できないのは、テントが洋館の周囲に植え込まれていた茂樹や草木を、そのまんま蓋っているためだ。
ここからだと、ちょうどイヌツゲのこまかい枝張りが目隠しになって、ムッシューが、今、どんな体勢で何をしているのかまではわからない。
「どれ、さっき置いて来たサンドイッチが減っているかどうか見に行こう」
「えっ? そんな、入って行って大丈夫なんですか?」
「何を言っているんだい? ディースが作業している近くに食事や飲み物を補充したり、投げ捨てられたタオルとか衣服とかを、拾い集めて洗濯をするのが君の仕事だ。近づかなければ役目は果せないよ」
やっぱりぃ……この世に美味しい話はない。
「もう後悔してるみたいだね。でも、言ったとおりに邪魔さえしなければいいんだ、ここをアレキサンドリア図書館だとでも思えばいいさ」
「……はぁ」
って! 確か遺跡すら発見されていない、要は、何が起ころうとも消えてウヤムヤになっちまう場所ってことでしょうがっ。
「ただ、その時によってどこにいるかわからないからね。茂みの中で作品の夢でも見ながら眠っているかもしれないし、そこを蹴飛ばしでもしたら大急ぎで逃げるしかないかな」
「……はい。ですね……」
「単純だけど簡単ではない、一応は仕事だからね。そしてそのバイト代は、彼が作品をつくることで発生しているんだ。君には因果な商売ってヤツになる」
なんだか愉しげに眉と口角を上げて見せてから、ナフサさんは戸を静かにスライドさせた。
「ディースがこの戸のスグ向こうにいる時には、話しかけちゃ絶対にダメだから」
「…………」いきなり絶対にダメ? ようやく
「彼の頭の中では、彼にしか聴こえない音楽が奏でられていて、制作中の作品の仕様書や指示書にもなっているそうなんだ。しかも従わないと、殺されんばかりの強迫的な衝動に突き動かされているカンジだと言うから、邪魔されると防衛反応なのか物凄く凶暴になる」
「…………」お次は凶暴っ!? それに、言ってる意味がわからない。
「快楽ではないはずなのに、まるで麻薬がきれた中毒患者だ、危険だよ。トランス状態になって、イメージ心像や声に指図されるっていうのは耳にするけど、音の流れに踊らされて複雑な物をつくるなんてのは、彼特有ではないのかな? 水埜クン、チョットここへおいで」
オレは
ナフサさんをして凶暴と言わしめるんだから相当なんだろう──。
わずか数歩の距離をモタついてしまうわ、ナフサさんの傍に寄れば寄ったで、生まれて初めて体験するほどの
「様子を窺う時にはね、まずこんなカンジに、スグ近くで作業していないかどうかを確かめるんだ──」
ナフサさんは微風を起こして中腰になると、戸の上半分に嵌るクリアガラスにかかったカーテンの裾をそろり捲る。
それで、オレが直立する目線と同じ高さだから嫌になる。
「あぁ奥にいるね。これなら全開にしても大丈夫」と、ナフサさんは一気に片側のカーテンを開けた。
「…………」何も、ホントに全開にする必要まではないんじゃないのっ。
「とにかく、彼の集中を極端に遮るようなことさえしなければOKだ。不安なら、こちらの電気を消してから覗くといい。偶偶スグ手前でこちらを向いていたりすると、目に入った光で怒り出すかもしれないからね」
オレは促されるまま、ガラス越しに内部を窺う……中は想像以上に広く、何かのアトラクションみたいな、ワザとそうつくられたカンジの仄暗さだった。
テントの屋根は、さほど高くもない中央辺りが緩やかに垂れ下がったカテナリー型。
そして、撮影に使われるスタンドライトのような強いビームが三箇所から放たれていて、ムッシューが動くたびに濃い影が揺れた。
それくらいしか目視できないのは、テントが洋館の周囲に植え込まれていた茂樹や草木を、そのまんま蓋っているためだ。
ここからだと、ちょうどイヌツゲのこまかい枝張りが目隠しになって、ムッシューが、今、どんな体勢で何をしているのかまではわからない。
「どれ、さっき置いて来たサンドイッチが減っているかどうか見に行こう」
「えっ? そんな、入って行って大丈夫なんですか?」
「何を言っているんだい? ディースが作業している近くに食事や飲み物を補充したり、投げ捨てられたタオルとか衣服とかを、拾い集めて洗濯をするのが君の仕事だ。近づかなければ役目は果せないよ」
やっぱりぃ……この世に美味しい話はない。
「もう後悔してるみたいだね。でも、言ったとおりに邪魔さえしなければいいんだ、ここをアレキサンドリア図書館だとでも思えばいいさ」
「……はぁ」
って! 確か遺跡すら発見されていない、要は、何が起ころうとも消えてウヤムヤになっちまう場所ってことでしょうがっ。
「ただ、その時によってどこにいるかわからないからね。茂みの中で作品の夢でも見ながら眠っているかもしれないし、そこを蹴飛ばしでもしたら大急ぎで逃げるしかないかな」
「……はい。ですね……」
「単純だけど簡単ではない、一応は仕事だからね。そしてそのバイト代は、彼が作品をつくることで発生しているんだ。君には因果な商売ってヤツになる」
なんだか愉しげに眉と口角を上げて見せてから、ナフサさんは戸を静かにスライドさせた。