054 ______________ ‐3rd part‐

文字数 1,434文字

 ナフサさんは、有勅水さんのことを可愛い妹のように思っているようだ。
 けれど有勅水さんの方は、厄介になっている間、家事の手伝いをしていたから、ムッシューばかりかナフサさんのことまで、世話の焼ける大きな子供と認識したままでいると言う。

「僕はもう、兄さんとは全然違うんだけどねぇ」と、彫りの深さで奥まった目を、バツを合わせるように細めて笑った。

「……なるほど、有勅水さんはヨーロッパを転転として育ったわけですかぁ。何箇国語も堪能なら、V&M勤めも頷けちゃいます」

「まぁ、V&Mなんかに入社できたのは、偶偶小さな幸運が一時(いちどき)に重なっただけのことだろうけど。そんな流転生活のせいで、小学校すらまともに通えていないんだから」

「でもそれだと、物凄い重なり具合になりますよね……」

「とりあえず唏には、それなりの見聞の広さと人づき合いの好さから、ビジネスチャンスに事欠かない上、決して大ハズレをしないって強みがあるみたいなんだな」

「へ~、やっぱり女神クラスの稀者(まれもの)ですよね」

「はは、確かに怒った時の怖さは、間違いなく女神級かな。水埜クンも、唏との仕事に甘えを見せると痛い目を見ることになるよ」

 ナフサさんは、おどけてコーヒーを一飲みするけれど、間違いなく肝に銘じておくべき教戒だろう。

「……はい。気をつけます」

「これ、残りはもらって行ってかまわないかい? 梅のジャムが入っているなんて、珍しいから奥さんに見せてやりたいんだ」

「どうぞどうぞ、何なら店の場所も教えましょうか?」

「ありがとう。だけどこの辺りでは、僕が行っては面倒なことになるだろうからね。特に女子高生やオバチャン軍団に騒がれるのにはウンザリなんだ。スマホのレンズを一斉に向けられるのにもね」

 まあ、そりゃ驚くよなぁ大抵。
 もしも彼が列に並んでいたら、その後ろには並べないだろうし、後ろに並ばれても気が気じゃない。
 ヒーロー顔を確認できたとしても、今度は絶対にドッキリ番組だと思ってしまいそう。
 やっぱりこの人、プロのアスリートになるべきだったんじゃないの?

「なんだか大変そうですね、普段はどうしているんですか? 気軽に遊びにも行けないじゃありませんか」

「地元近辺はもう何でもないよ、覚悟を決めて周りに慣れてもらえるようガンバったからね。それに、トラックで移動している分には問題ないし、休日はもっぱら船で海へ出ちゃうから、全く気兼ねなんか要らなくなる」

「……船ですかぁ」

 あまりに馴じみがなくて、ここまでの巨体が紛れる船のスケール感がまるでイメージできないけれど、海は広いな大きいな~、って唄われるもんね。

「それまでの生活も、水辺が近かったから平気だったんだと思うよ。かかえているローンのほとんどは、その船のモノなんだ、必要経費ってことで奥さんも目を瞑ってくれてる。だから、突如として君に夢中になられても、僕には文句が言えないんだよなぁ」

 「…………」オレって、アクアスキュータムでしょうに。

 「ま、今度よかったら唏と一緒に遊びにおいで、船に乗せてあげる約束をしているから。さぁて、それではここでのルールを説明しておこうかな。君なら最後まで務まりそうだしね」

 「ぁはい、お願いします」
 ……って、もしかして今までのは、身内による面接試験だったのかぁ? 危な~。

 「スマホは電源をきるか、こっちに置いておいた方がいい」

 「はいっ──」
 オレは念のため、デイパックのサイドポケットに入れていたケータイの電源をオフして、仕舞い直した。
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登場人物紹介

登場人物につきましてはイントロ的に一覧で掲載しておりますぅ


当作は主人公:楯の一人称書きをしておりますので、本編内で紹介されるプロフィール情報のムラは、楯との関係性によるところが大きくなりまっす


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