057 _________________ ‐3rd part‐

文字数 1,525文字

 オレは、全ての言葉を無気息音で返す、それも限りなく絞った囁きモードで。

「あんな近くまで、どうやってバレずに行くんすか? あり得ないっす、オレ、絶対ムリですよ……」

 オレが指差した微妙な角度を理解してくれたらしく、ナフサさんは、視線を手前のライトスタンドの方へ移しなおした。
 しかしスグ様オレを見返って、したり顔をつくる。

 何か特別なワザでもあるってのか? けれどそれは、兄弟ならではの奥義じゃないの? でなければナフサさん、優にオレの三、四倍はありそうな肩幅をどうやって隠せる?

 !
 ……取り留めなく渦巻くオレの惑乱も他所に、ナフサさんはついっと、何の躊躇もなしに木の陰から出て行ってしまう。

 それから別段身がまえもせずに、極フツウに歩いてる。その足音も、地厚なツナギが発する衣ズレも、オレの生唾を嚥下する音より遥かに大きい。

 だのに、ムッシューは手も止めず、当然ふり返りもしない。
 恰もヘッドフォンを装着して、かなりのヴォリュームで落語か株価市況でも聞いているかのよう、ノりは一切ないもんだから。

 あれで、脳裏に奏でられる音楽に突き動かされているというのならば、本当に突き動かされているだけであって、音楽自体に聴き入ったり、愉しんだりはしていない気がする。

 そんなことをオレも脳裏によぎらせている寸刻の間に、ナフサさんはライトスタンドの所まで辿り着いてしまっていた。

 そのムッシューとの背中を合わせでの対峙に、オレは胃がキュ~ッと締めつけられてくる。
 格闘になった場合の結末は、想像するまでもないんだけれど、その嚆矢(こうし)は、どんなタイミングに訪れるのかが見モノ。
 いや、オレ自身のために把握しておく必要がある。

 ところが、なんとナフサさん、あろうことか、このオレにまで手招きなんぞしだした!

 どうしてでもオレを先に逃がさないってか……。
 

と両の掌だけを振って見せてもダメ、いよいよナフサさんは所得顔になって、オレを呼ぶ腕の動きも大げさになる。
 これでは、気づかなくて済んだものを、今にムッシューが気づいちまうっ──。

 オレの意識は七割方、

とオレに勧めているけれど、今ここで逃げたあとのことを想像すれば、それが残る三割となって

と、局勢の巻き返しを図ってきやがる。

 オレの腑甲斐なさを、巨体を揺すってナフサさんに笑殺され、有勅水さんからは期待ハズレと失望され、結果このバイトも反故(ほご)にされて……。

 それは嫌だ、オレは断固、セイレネスのジーンズを穿いて年を越すんだっ。

 来年こそ、オレは変貌を遂げてやる、(したた)かで(しな)やかで、つかみどころもなく敬遠される存在になってやるっ。
 絶対なるっ、セイレーンの妖力を借りて! 

 こうなりゃこっちも自棄。逃げられない場合は、なるようになれで、一撃必殺を狙うしかない。ムッシューとオレ、お互いのために。

 オレはパンチ力がないときているから、キックでいこう。
 幸いリーチはオレが勝ってるし、今日もタフなDRCソールのバッシュを履いている。ムッシューが握る棒ヤスリが凶器と化す前に、薄そうな彼の腹筋へ、踏み込んでの回し蹴りを決める覚悟で、いざ出陣っ。

 実際、人を蹴ったことなんか一度もないオレが、ムッシューを、しかも気絶させるほど蹴れるのかどうか?
 自信は全くないんだけれど、これも人生のダークサイド、(だく)まで併せ呑めるようにする試練と割りきって……。

 ともかく、逃げるタイミングを逃さないよう、ムッシューからは目を離しちゃいけない。
 さらに、ナフサさんの形影を視界の隅に入れつつ、ムッシューの動きを、柔弱に輝く髪を束ねた(まげ)のつけ根から諦視。

 なるべく音をたてずに、慎重かつ大胆に足を運ぶ──。
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登場人物紹介

登場人物につきましてはイントロ的に一覧で掲載しておりますぅ


当作は主人公:楯の一人称書きをしておりますので、本編内で紹介されるプロフィール情報のムラは、楯との関係性によるところが大きくなりまっす


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