270 _______________________ ‐2nd part‐
文字数 1,414文字
「アンデルセンの『人魚姫』も、セイレーン神話と伝承が土壌にあるし。中世以降、セイレーンを題材にした作品は、鳥の羽じゃーなく、下半身が魚の姿で描写されるよーになるからね」
「ぁあ、教わったことある気がします、それは……」
「それに、会ってもらえたヴェンデェッタ氏の広い社長室は、実にすっきりしたモノでー、奇抜な置き物やら、現代アートの類は、一切飾られてなかったし」
「…………」
まぁ、ピアスのコレクションと言い、オレのテントウムシや、センパイの仕事を気に入ったことと言い、造形的‐有形的なモノに惹かれる傾向が強いのはトリノさんだ。
ミラノは、服への執着は相当だけれど、アクセサリー類は腕時計さえ身につけないし、興味も示さないように思う。って言うか、ミラノはとにかく服だよな。
「しかるにトリノ嬢でしかあり得なーい。ミラノ嬢はムッシュさんの凄~さに気づいて、セイレーンたちの歌声の威力を抑えよーとしたんだ。でも既にボクが、気紛れモードに飼い馴らしてしまったあとだったんで、ゆーことは聞かなーい」
「……けれど、いつ唄うかもわからないんじゃ、モードも何もなくないですか?」
「忘れてなーい? これら四体は怪物なんだってことー。キリスト教世界におけるセイレーンの解釈は、人間が、本質として善と悪の両面を備えてる二重人格性、危険な誘惑に身を任せたくなるとゆー、破滅衝動だよ」
「破壊衝動? ですか……」
「そー。『人魚姫』だって、物語としては救いよーのない悲劇だし。セイレーンたちは、現し世の宿運的な、カタストロフィーを象徴し──」
んん? いきなり葉植さんの声が聞こえなくなってしまった。
葉植さんも、口を動かすのを止めるまでに一拍あった。なので、まだ話していたにもかかわらず、プッツリ声だけ途切れたってカンジ。
「どしたんですか? 葉植さんっ」
オレは、思わず耳の穴を小指の先で穿りながら尋ねてみるも、その声からして、妙にくぐもって聞こえていて、なんだか自分が発したようにはカンジられない。
けれど、狼狽するオレに、葉植さんは沈着としたもんだ。
人差し指一本でオレへ、
どうやら、いよいよコイツがそうみたい。セイレーンたちが唄い始めたんだ──。
オレは息を呑んで前を向いた。
そして、この辺りにはお盆と正月くらいにしか訪れない、沈沈とした、真夜中らしい静けさに包まれていることをカンジ取っていた矢先、クフォ~ンと、まるで酷い耳鳴りのように、何か音までが聞こえだす。
……さらに、遠い囁きみたく幽かだけれど、確かに聴こえる。女性の歌声と言うか鼻歌だ。
しかし、以前、葉植さんから、人体のラジオ化についての講釈をしてもらうきっかけになった老婆のしゃがれ声ではなく、若やかな──。
幼女特有の甲高さや、爛熟した艶めきもない、清純かつ高潔な乙女と言った、凛と張りのある透明感を覚える佳音。
もっとはっきり、近くで聴きたいという衝動に駆られるものの、その音源がどこなのかが、さっぱりわからない。
歌声が気に入らなかったら、動いてもかまわないのだから、前を向いているという範囲内でなら、左右に首をふってみても差し支えないだろうとやってはみた。
しかし聴こえ方には全く変化がなく、どのセイレーン像から出力されているのか、特定などできない。
首をふった時にも、当然発するはずの、オレが着て来たナイロンジャケットの衣ズレ音がしなかった。
「ぁあ、教わったことある気がします、それは……」
「それに、会ってもらえたヴェンデェッタ氏の広い社長室は、実にすっきりしたモノでー、奇抜な置き物やら、現代アートの類は、一切飾られてなかったし」
「…………」
まぁ、ピアスのコレクションと言い、オレのテントウムシや、センパイの仕事を気に入ったことと言い、造形的‐有形的なモノに惹かれる傾向が強いのはトリノさんだ。
ミラノは、服への執着は相当だけれど、アクセサリー類は腕時計さえ身につけないし、興味も示さないように思う。って言うか、ミラノはとにかく服だよな。
「しかるにトリノ嬢でしかあり得なーい。ミラノ嬢はムッシュさんの凄~さに気づいて、セイレーンたちの歌声の威力を抑えよーとしたんだ。でも既にボクが、気紛れモードに飼い馴らしてしまったあとだったんで、ゆーことは聞かなーい」
「……けれど、いつ唄うかもわからないんじゃ、モードも何もなくないですか?」
「忘れてなーい? これら四体は怪物なんだってことー。キリスト教世界におけるセイレーンの解釈は、人間が、本質として善と悪の両面を備えてる二重人格性、危険な誘惑に身を任せたくなるとゆー、破滅衝動だよ」
「破壊衝動? ですか……」
「そー。『人魚姫』だって、物語としては救いよーのない悲劇だし。セイレーンたちは、現し世の宿運的な、カタストロフィーを象徴し──」
んん? いきなり葉植さんの声が聞こえなくなってしまった。
葉植さんも、口を動かすのを止めるまでに一拍あった。なので、まだ話していたにもかかわらず、プッツリ声だけ途切れたってカンジ。
「どしたんですか? 葉植さんっ」
オレは、思わず耳の穴を小指の先で穿りながら尋ねてみるも、その声からして、妙にくぐもって聞こえていて、なんだか自分が発したようにはカンジられない。
けれど、狼狽するオレに、葉植さんは沈着としたもんだ。
人差し指一本でオレへ、
しっかり前を向くー
と注意を促す。どうやら、いよいよコイツがそうみたい。セイレーンたちが唄い始めたんだ──。
オレは息を呑んで前を向いた。
そして、この辺りにはお盆と正月くらいにしか訪れない、沈沈とした、真夜中らしい静けさに包まれていることをカンジ取っていた矢先、クフォ~ンと、まるで酷い耳鳴りのように、何か音までが聞こえだす。
……さらに、遠い囁きみたく幽かだけれど、確かに聴こえる。女性の歌声と言うか鼻歌だ。
しかし、以前、葉植さんから、人体のラジオ化についての講釈をしてもらうきっかけになった老婆のしゃがれ声ではなく、若やかな──。
幼女特有の甲高さや、爛熟した艶めきもない、清純かつ高潔な乙女と言った、凛と張りのある透明感を覚える佳音。
もっとはっきり、近くで聴きたいという衝動に駆られるものの、その音源がどこなのかが、さっぱりわからない。
歌声が気に入らなかったら、動いてもかまわないのだから、前を向いているという範囲内でなら、左右に首をふってみても差し支えないだろうとやってはみた。
しかし聴こえ方には全く変化がなく、どのセイレーン像から出力されているのか、特定などできない。
首をふった時にも、当然発するはずの、オレが着て来たナイロンジャケットの衣ズレ音がしなかった。