間章Ⅱ お次は楽に逝かせません ‐1st part‐

文字数 1,810文字

「あんた、日本の歌お上手だねぇ、外国の、それもこんな若い人なのに。これ少ないけど、温かいモノでもお食べなさい。風邪ひいてノドなんかやられたら大変だよ」

「ありがとう。だが心付けより、一晩泊めてもらえないだろうか? 温かい食事なら、私が、とびきりなのをつくってやるぞ」

「えぇっ。あんた、宿のアテもなくこんな所で唄ってるのかね?」

「アテなどない。どうだろう? お礼に貴様の家で、貴様や貴様の知り合いだけのために、心ゆくまで唄ってやるぞ」

「……貴様貴様と年寄りを揶揄うもんじゃない。あんたみたいな嬢ちゃんを連れて帰ったら、婆さんが腰をぬかしちまうよ」

「揶揄ってなどいない。ぬかした腰は、私がスグに治してやろう」

「いやいやそれは……じゃぁほら、これで宿代の足しになさい。若いコの冗談はわからないから、もう勘弁しておくれ」

 老爺は札の金額をとり替えると、彼女がそれまでギターの弦を弾いていた手に握らせた。
 そして、元より丸みがちな背中をさらに丸めつつ、彼女の前に出来ていた疎らな人垣から、逃げるみたいに去って行く。

「ならよぉ日本好きの嬢ちゃん、今晩オレんトコ来るかい? 何、心配するこたぁねぇ、ウチには女房と娘も二人いっからよ」

「悪いが、今のは老人相手の話だ、貴様では若すぎる。酔っ払いの座興や、子供の機嫌を取るために唄うのも遠慮させていただく」

「はぁ? ガキでもアーメン人種ってのは、イヤに怪態なモンだなっ」

「私はガキかも知れないが、アーメン人種でも、嬢ちゃんでもない、名はユールと言う。貴様も、こんな所でクダなど巻いていないで、さっさと女房子供の許へ帰ったらどうだ。明日も仕事で早いのだろ」

「……どこのジジィに習ったのか知らねぇが、オトナへの口の利き方には気をつけろよなぁ。キレイなそのツラが台ナシだぜ、ったく」

「ユール、ガラの悪い酔っ払いなんかイジらなくていいって」

「そうそう。ユール早く次の歌ぁ、唄って唄ってぇ」

 衆目には、そう口をはさんだ若い男女の方が、見るからに柄が悪そう。
 だが、人垣の前列にしゃがみ込んでいた小グループまでもが「ユール! ユール!」と手を打ちだすと、酒の入ったサラリーマンも、一緒にいた同僚に苦い顔で促され、憮然とした表情を浮かべながらも、駅へと足をむけなおした。

「それでは、今日はこれで私も終いにさせていただこう。こうも、若い者ばかりに集まられては敵わない」

「え~っ、まだいいじゃん。まだ全然早いんだし」

「あと一、二曲で二一時だ。未成年と老人には早くはない」

「それなら、明日もここ来なよ。知り合いもっと集めるからさっ」

「いや、申しわけないが、明日は黔磯へ行く。明後日なら戻って来てもいい。それに、集めるのなら高齢の知り合いにしてもらいたい」

「キャハハッ、やっぱ鬼ウケるんだけど~。でも、ユールの声と、そのバツグンな美女っぷりの男前キャラなら充分、演歌や意味わかんない言葉の歌だって、私たち世代からバズり人気出ちゃうと思うよぉ」

「ユールって、田宮謡のオッカケなんでしょ? 次のリサイタルは黔磯だったはずだもん。日本のワビサビってヤツが好きなわけ?」

「……仕方がない。では、集まってくれた貴様たちのために唄って、総終いにするとしよう。リクエストはあるか? リリースされたばかりの曲でも一向にかまわないぞ」

「ホントにぃ? じゃぁじゃぁ何にしちゃうっ?」

「オイ、そこだけで決めんな、ここは公平に多数決にしとこうや」

「あのぉ、多数決では、彼女たちが有利なことに変わりないですって」

 ──ヒットチャートを賑わせている曲を、オリジナルよりも完璧に二曲ばかり披露したユールは、周辺の喧騒を途絶させるかのような奇声と拍手を浴びる中、躊躇なくギターをケースへ納めた。

 そして、「若い者からは頂戴できない」と断る心付けを、皆からコートのポケットにネジ込まれるという褒寵(ほうちょう)を受けつつ、その勢いからのがれるようにして、唄っていた高架連絡路の一隅から、駅のコンコースとは反対方向へと離れて行く。

 ユールの両手は、ギターを仕舞った黒いハードケースにジュラルミン製の中型トランクと、彼女の繊麗に映る体格には、かなり重そうな荷物で塞さがれているにもかかわらず、駅前ロータリーへと階段を降りる歩調は、実に軽軽としたものだった。

 その、ユールの跡を、こそめいて追う少女の方が、ペしゃんこなリュックを背負った身軽さにそぐわぬ重重しい足どり。
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登場人物紹介

登場人物につきましてはイントロ的に一覧で掲載しておりますぅ


当作は主人公:楯の一人称書きをしておりますので、本編内で紹介されるプロフィール情報のムラは、楯との関係性によるところが大きくなりまっす


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