手動/半自動
文字数 1,026文字
昭和時代にはまだ多少残っていたものに、
「私鉄の電車、キハの手動式ドア」
がある。
つまりドアエンジン(これも死語に近い)がなくて、人間が手で開閉するもの。
(車掌さんがすることも、乗客がすることもある)
このドアがまあ、びっくりするほど軽くカラカラとよく動くとは、お若い方々はご存知ないかも。
それゆえ、動きをよくするための軽量化として、昔のドアは鉄製ではなく木製だったのかと納得したりした。
当時、国鉄の一般型キハの多くは半自動ドアを装備していたが、もちろんこれは、最近の電車の半自動ドアとは異なるもの。
「ボタンを押して乗客が開閉するドア」
ではなく、閉まる時には自動ドアと同じように自動で閉じるけれど、開ける時には乗客が手で開けなくてはならない。しかもドアは重く、動きにくい。
(おそらくドアエンジンの開閉シリンダを逆まわしする必要があるせい)
この半自動ドアというと、今でも思い出すエピソードがある。
EF70を見ようと北陸線の田村駅へ向かった時のことで、数両編成のキハ20が米原駅を出発した。
土曜だったのか、車内は混雑している。
それが田村に到着し、私はドアの前へと向かった。
ところが列車はもうホームに停止しているのに、なぜかドアが開かない。
まごまごしていたら、隣にいた女子高生が手を伸ばして、
「もうっ」
という感じでドアを開いてくれた。
まあ仕方がない。私は半自動ドアのことなど知らなかったのだから。
田村というのは、田畑の真ん中の何もない駅で、無人駅だから駅舎だってなかった。
対向式ホームが2本に、2本の本線。それと留置線が2本で、この留置線がなんと、何両いたのか数えた覚えまではないが、
「EF70の大安売り」
状態。
写真を撮りつつホームで時間を過ごしたが、その時に気が付いたことがある。
ホームには架線柱が立っているが、それには、神戸近辺では見かけない注意書きというかマークがつけてあるじゃないか。
たしか黄色い帯のようなもので、架線柱のある高さのところに、クルリと巻き付けるように掲出されている。
「なんだろう?」
と眺めて気が付いた。
要するに、
「感電する危険があるから、このマークよりも上に登ってはいけない」
ということ。
直流区間ではほら、竹製のハシゴをかけて、人がよく直接、手で架線の整備をしていることがあるじゃないですか。
だけど交流区間では架線に近づくどころか、架線柱に登ることさえ許されないということ。
「交流怖えー」
「私鉄の電車、キハの手動式ドア」
がある。
つまりドアエンジン(これも死語に近い)がなくて、人間が手で開閉するもの。
(車掌さんがすることも、乗客がすることもある)
このドアがまあ、びっくりするほど軽くカラカラとよく動くとは、お若い方々はご存知ないかも。
それゆえ、動きをよくするための軽量化として、昔のドアは鉄製ではなく木製だったのかと納得したりした。
当時、国鉄の一般型キハの多くは半自動ドアを装備していたが、もちろんこれは、最近の電車の半自動ドアとは異なるもの。
「ボタンを押して乗客が開閉するドア」
ではなく、閉まる時には自動ドアと同じように自動で閉じるけれど、開ける時には乗客が手で開けなくてはならない。しかもドアは重く、動きにくい。
(おそらくドアエンジンの開閉シリンダを逆まわしする必要があるせい)
この半自動ドアというと、今でも思い出すエピソードがある。
EF70を見ようと北陸線の田村駅へ向かった時のことで、数両編成のキハ20が米原駅を出発した。
土曜だったのか、車内は混雑している。
それが田村に到着し、私はドアの前へと向かった。
ところが列車はもうホームに停止しているのに、なぜかドアが開かない。
まごまごしていたら、隣にいた女子高生が手を伸ばして、
「もうっ」
という感じでドアを開いてくれた。
まあ仕方がない。私は半自動ドアのことなど知らなかったのだから。
田村というのは、田畑の真ん中の何もない駅で、無人駅だから駅舎だってなかった。
対向式ホームが2本に、2本の本線。それと留置線が2本で、この留置線がなんと、何両いたのか数えた覚えまではないが、
「EF70の大安売り」
状態。
写真を撮りつつホームで時間を過ごしたが、その時に気が付いたことがある。
ホームには架線柱が立っているが、それには、神戸近辺では見かけない注意書きというかマークがつけてあるじゃないか。
たしか黄色い帯のようなもので、架線柱のある高さのところに、クルリと巻き付けるように掲出されている。
「なんだろう?」
と眺めて気が付いた。
要するに、
「感電する危険があるから、このマークよりも上に登ってはいけない」
ということ。
直流区間ではほら、竹製のハシゴをかけて、人がよく直接、手で架線の整備をしていることがあるじゃないですか。
だけど交流区間では架線に近づくどころか、架線柱に登ることさえ許されないということ。
「交流怖えー」