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文字数 509文字
高校の時、修学旅行の行き先は九州だったけれど、行きは新幹線に乗り、そこから先はバス。
ただ帰路が、西鹿児島発の貸し切り列車で関西まで直行。
ハザ12の6連だったけれど、車内設備の豪華度は、
「要するに新快速と同じじゃないか」
と私はうそぶいていた。
(けん引は、ED76 EF30 PF。当時の新快速は、225でも223でも、221でも117でもなく、153系の時代)
45人クラスが10組。プラス教師陣で、定員としては充分だけれど、 あのクロスシートで夜行列車は楽ではない。
見ていたら、人によっては床に新聞紙を敷いて横になっていた。あれはきっとスハフ12だったと思うが、よく眠れましたか、先生。
と思い出して調べてみたが、発電エンジンはおなじみのDMH17ではないのだね。キハ40のエンジンかあ。
80人のオハフとスハフは置いておいて、オハ12の定員は88人。
88人って、よく見る数字だよね。
153系やキハ58の84人よりは少ないが、スハ43やオハ35も88人だから、どこまでさかのぼるのかと思ったら、昭和4年のスハ32にまで至るようだ。
つまりスハ32とは、日本の旅客車の基本を決めた車両だったのかもしれない。