荷物車(つづき)
文字数 903文字
(前回の続きですが、考えをまとめていたら、えらく短くなってしまった)
雑誌を読んでいたら、こんなことが書いてあった(※)。
要約してしまうけれど、昭和26年に国鉄内部の会議で、
「今後は、3等荷物車には、(新造車ではなく)鋼体化車を充当する」
ことが決まったというもの。
その結果何が起こったかといえば、当時まだまだ大量に走っていた旧型客車の特急や急行ですが、これらには最新鋭のスハ43系を当てるとしても、この編成に連結されるチッキ用車としては、古いスハニ32とか、オハニ61を連結するという事態であります。
乗客の立場から言えば、同じ急行料金を払っても、間が悪ければピカピカのスハ43ではなく、オハニ61の座席を割り当てられる可能性もあるわけでして。
(オハニ61の座席の背ずりは、なんとモケットではなくて木の板であります…)
「どうしてこうなった…」
前記の会議の決定ですが、私の想像ですが、やはりチッキの利用率が激減し、近い将来の廃止がもう見えていたのでしょう。
だったらば、そんなもののために車両を新造する気にはなりますまいて。
しかしながら、優等列車にさすがにオハニ61はまずかったのか、その後、同じく更新車ですが、スハ43なみの座席のオハニ36が作られ、優等運用につきます。
でもこのオハニ36にしても、更新車なのだから台車はTR11で、それがやはり問題になったのか、後年TR52という台車を新造して、交換されます。
乱暴な想像だが、昭和30年代にチッキ輸送が廃止された時には、優等列車への連結が終了し、日本中のオハニがいっせいに失業したのだと思う。
だからといって、オハニが廃車されることは、もちろんない。
普通列車に連結されて、小荷物(チッキではない)の輸送をその後も行っただろうし、行商人が多く乗車する列車では、荷物スペースとして、その後も重宝されただろうけど。
最後にまとめると、
「151系の登場が、チッキ輸送の廃止とたまたま同時期だったため、151系には荷物車は作られなかった」
ということで、なんだか当たり前すぎる結論になって申し訳ない。
(※)
鉄道ピクトリアル 987号 57ページ
雑誌を読んでいたら、こんなことが書いてあった(※)。
要約してしまうけれど、昭和26年に国鉄内部の会議で、
「今後は、3等荷物車には、(新造車ではなく)鋼体化車を充当する」
ことが決まったというもの。
その結果何が起こったかといえば、当時まだまだ大量に走っていた旧型客車の特急や急行ですが、これらには最新鋭のスハ43系を当てるとしても、この編成に連結されるチッキ用車としては、古いスハニ32とか、オハニ61を連結するという事態であります。
乗客の立場から言えば、同じ急行料金を払っても、間が悪ければピカピカのスハ43ではなく、オハニ61の座席を割り当てられる可能性もあるわけでして。
(オハニ61の座席の背ずりは、なんとモケットではなくて木の板であります…)
「どうしてこうなった…」
前記の会議の決定ですが、私の想像ですが、やはりチッキの利用率が激減し、近い将来の廃止がもう見えていたのでしょう。
だったらば、そんなもののために車両を新造する気にはなりますまいて。
しかしながら、優等列車にさすがにオハニ61はまずかったのか、その後、同じく更新車ですが、スハ43なみの座席のオハニ36が作られ、優等運用につきます。
でもこのオハニ36にしても、更新車なのだから台車はTR11で、それがやはり問題になったのか、後年TR52という台車を新造して、交換されます。
乱暴な想像だが、昭和30年代にチッキ輸送が廃止された時には、優等列車への連結が終了し、日本中のオハニがいっせいに失業したのだと思う。
だからといって、オハニが廃車されることは、もちろんない。
普通列車に連結されて、小荷物(チッキではない)の輸送をその後も行っただろうし、行商人が多く乗車する列車では、荷物スペースとして、その後も重宝されただろうけど。
最後にまとめると、
「151系の登場が、チッキ輸送の廃止とたまたま同時期だったため、151系には荷物車は作られなかった」
ということで、なんだか当たり前すぎる結論になって申し訳ない。
(※)
鉄道ピクトリアル 987号 57ページ