食堂車
文字数 1,129文字
旧型客車には、スハとかオロとかいろいろな種類があるけれど、食堂車だけは、すぐに他と区別がつく。
なぜって、ドアが一つもないから(作業用の小さなドアを除いて)。
マシ35もオシ16も、旧型客車ではないが、ナシ20だってそうだ。
ところが、形式図を眺めていて気が付いた。
昭和3年製造のスシ37や、昭和5年製造のスシ28には、ちゃんとドアが描かれているのだ。オハ35やスハ43なんかと同じ位置に、同じ形のドアが、前後左右に計4枚。
「ほほう、やはりドアはあった方が便利だもんな」
ところが、
「あれれ?」
側面図には確かにドアが描かれているが、平面図の様子がおかしい。
平面図では、ドアがあるべき位置に物入れや、冷蔵庫が描かれている。
これでは乗り降りには利用できそうもなく、つまりスシ37やスシ28においては、恐らく美観上の理由か、編成としての統一性を考慮したのだろうけど、
『ダミーのドアがついている』
ということらしい。
少しリストをさかのぼってみたが、大正12年製のオシ28670も、同じようにダミードア。
ところが、さらにさかのぼって、大正8年製のオシ28660やら、さらに古い明治44年製のオシ9155では、ドアはダミーではなく、本当にドアとして機能するように描かれている。
だから大正8年と12年の間に、
「車内レイアウトを見直して、ドアを廃止してでも物置スペースを増やそう」
と考えが変わったようだ。
ただおもしろいことに、大正8年のオシ28660でも、4カ所のドアのすべてがドアとして機能するのではなく、1カ所だけはすでにダミーになっている。
そこには冷蔵室と書いてあるから、冷蔵庫が置かれていたのだろう。
(お若い方々へ。冷蔵庫といってもこの時代のことだから電気式ではなく、でかい氷塊を置いて冷やすタイプだと思う)
つまり明治から大正、昭和初期にかけての食堂車は、
・普通に4ドアのタイプ
・冷蔵庫を置くため3ドアになってしまったタイプ(ダミードアは一カ所)
・残りの3つのドアもすべて物置にしてしまったタイプ(すべてダミードア)
というように、順調に(?)ドア数を減らしていったのだろう。
それでもさすがに面倒になったのか、昭和8年製のスシ37以降は、ダミードアさえなくなってしまった、ということのようだ。
「昔の人は形式にこだわった」
という言い方も可能なのかもしれないが、昭和末期になっても、国鉄から「ダミー」がまったく姿を消したというわけではなく、私が気付いただけでも、少なくとも二件ある。
探せば、もっとあるかもしれない。
・SGのないタイプのDE10 DE11 DD16の後部煙突。
・貫通ドアを持たないはずのクハ381の、貫通ドアガイドレール。