キット
文字数 636文字
おそらく港のクレーンの性能が理由であろう。
そのクレーンが持ち上げることのできる重量の限界のことを扱重(きゅうじゅう)と呼ぶことは、よくご存知であろう。
想像なのだが、明治や大正時代の日本では、港のクレーンの扱重が大きくなかったのだろう。
だから現在では、輸出入される車両というのは完成品として、せいぜい台車を外したぐらいで貨物船に積み下ろしされるのだが、もしもクレーンの扱重が低ければ?
車両は完成品ではなく、パーツごとのばらばらの状態で到着するしかない。キットだ。
そんなこんなで、大正11年に秩父鉄道が輸入したデキ1というELも、ご多分に漏れずキット状態でご到着。
秩父鉄道は、この組み立てを国鉄の大井工場に依頼した。
「ほいさ」
と大井工場はすぐさま組み立てを始めたのかって?
まさか! 大正時代の人々ですぜ。組み立てる前に各部を分解して、まず中身の構造を調べたのだそうだ。
大正8年からED40の製造を自力で始めていた国鉄だけれど、アプト式でない平坦線用のELは経験がない。デキ1をその参考にしたらしい。
そのかいあってか、平坦線用ELを国鉄が自力で開発するのは昭和3年のこと。
(EF52のことですぜ)
碓氷峠用として輸入された3900というSLも、キットの姿で日本へやってきた。
組み立てをどこの工場がしたのかは知らないが、アプト式のギアを左右間違えて組んでしまったらしい。
だからいざ碓氷峠へ運んでも試運転ができず、工場へ戻して組み立てなおしたのだそうだ。
そのクレーンが持ち上げることのできる重量の限界のことを扱重(きゅうじゅう)と呼ぶことは、よくご存知であろう。
想像なのだが、明治や大正時代の日本では、港のクレーンの扱重が大きくなかったのだろう。
だから現在では、輸出入される車両というのは完成品として、せいぜい台車を外したぐらいで貨物船に積み下ろしされるのだが、もしもクレーンの扱重が低ければ?
車両は完成品ではなく、パーツごとのばらばらの状態で到着するしかない。キットだ。
そんなこんなで、大正11年に秩父鉄道が輸入したデキ1というELも、ご多分に漏れずキット状態でご到着。
秩父鉄道は、この組み立てを国鉄の大井工場に依頼した。
「ほいさ」
と大井工場はすぐさま組み立てを始めたのかって?
まさか! 大正時代の人々ですぜ。組み立てる前に各部を分解して、まず中身の構造を調べたのだそうだ。
大正8年からED40の製造を自力で始めていた国鉄だけれど、アプト式でない平坦線用のELは経験がない。デキ1をその参考にしたらしい。
そのかいあってか、平坦線用ELを国鉄が自力で開発するのは昭和3年のこと。
(EF52のことですぜ)
碓氷峠用として輸入された3900というSLも、キットの姿で日本へやってきた。
組み立てをどこの工場がしたのかは知らないが、アプト式のギアを左右間違えて組んでしまったらしい。
だからいざ碓氷峠へ運んでも試運転ができず、工場へ戻して組み立てなおしたのだそうだ。