DD51
文字数 978文字
これは「思い出補正」というやつかもしれない。
たしかまだ青春18きっぷがなかったころで、普通乗車券だけを購入し、神戸から北陸線を北上していった。
羽越線に入ったのが翌日の午後で、途中で見かけた、ホーム長が20メートルもないごく小さな駅(女鹿、折渡)などにびっくりしつつ、秋田入りをした。
そのまま青森まで行き、0時10分発の青函連絡船に乗るつもりでいたが、普通列車では到底間に合わない。
というより、その時間帯には適切な普通列車がなく、やむなくキハ58の急行に乗った。
車内ではもちろん、連絡船に乗船するための乗客名簿用紙をもらい(車掌さんが配って歩く)、
「もしも連絡船が沈没したら、この名簿をもとに家に知らせが届くのか」
と思いつつ記入した。
青森駅のことは、連絡船の桟橋へ向かう跨線橋の途中で売っていたヤキソバがやたらうまかった以外は記憶がない。
連絡船に乗り込む時には、さっき記入した用紙はもちろん係員に渡す。
船内は、「広いなー」と思った以外は何も覚えていない。
「何事も経験だ」
と思って、真夜中の甲板に出てみたが、まだ3月のことだからメチャクチャに寒く、30秒もおられず、すぐに船室に逃げ帰った。
連絡船は4時ジャストに函館につくが、10分後には特急が出発する。
普通列車の発車時刻は覚えていないが、さすがに待つ気はせず、キハ80に乗り込んだわけ。
特急から下車したのはどこだっけ?
それはともかく、ホームで待っていたのが、
DD51 + 旧型客車 4両
で、ここでやっと本題に入る。
始めにも書いたが、思い出補正であるかもしれぬが、とにかくこのDD51の機関士がすごかったのだ。
たしかに4両とは、長い編成ではないかもしれない。
かといって、まるで「密着連結器かよ」と思えるぐらい、発車時の揺れが少なかったらどうだい?
おそらくホームへの停車時、あと一秒で静止するという瞬間にブレーキをゆるめるのだが、そのレバーさばきが絶妙で、後部の4両の客車が、後ろへ行くほどシリンダー圧が微妙に高くなるようにはかりつつ、静止させるのだろう。
すると列車は、緩衝器のバネがすべて引っ張られた状態で停止。
状態としては密着連結器と同じで遊間はゼロ。
やがてベルが鳴り、このままで静々とマスコンを引けば、これはもう信じられないほど揺れない発車となるのでした。