べふ

文字数 1,730文字


 中学生の頃、鉄道ファン仲間の友人たちが、何やら耳慣れない『べふ鉄道』というものについて話すのを小耳にはさんだことがある。
 だが私には何のことやらわからなかったし、質問するのもシャクに触ったので、そのままになった。
『べふ鉄道』の意味が分かったのは、家が引っ越して転校をして、彼らとの縁が一応は切れたころのこと。
 暇つぶしに山陽電鉄に乗車していて、さあそろそろ帰ろうかとある駅で下車して、反対方向への列車をホームで待っていたのだが、そのとき駅名標に気が付いた。
 なんと隣の駅が『べふ』と書いてあるではないか。
 この時の私は、『別府』と書いて『べふ』と発音するのだということは、まだ知らなかったかもしれない。
 だけどとにかく、友人たちの言っていた言葉と次駅名が頭の中で結びつくのに時間はかからなかった。
 帰宅を先延ばしにし、私はもう一駅先まで行ってみることにした。
 それが、私とローカル私鉄との出会いで、山陽電鉄のホームからも見える別府鉄道車庫の中は、カラフルな色に塗られた小型車両が並び、まるでひっくり返したおもちゃ箱を眺めているかのような気がした。

「ははあ、あれのことだったか…」

 そんなこんなで、まわりに誰一人知った顔のいない転校生生活が始まったのだが、実は私には、秘めた野望があった。

「写真部に入ってやろう」

 前の中学では、私はどこのクラブにも属してはいなかった。
 友人たちは写真部員だったが、私は縁がなかった。
 だからもちろん、「絞りがどうの、ASAがどうの」といった友人たちの写真談義にはついていけない。
 現像液とか定着液といった言葉すら知らなかったのだから。
 別府鉄道の方は、カメラを持って一人で通うようになったが、話は学校生活の方である。
 こっちの中学ではクラブは正課クラブであり、全員が必ずどこかに所属しなくてはならなかった。 

「じゃあ予定通り写真部に入ろう」

 入部してすぐに、写真技術についての簡単な説明が顧問の先生からあり、私はホッとした。私は本当に何も知らなかったのだから。

「ははあ、現像って、こうやるのか。意外と簡単そうだな」

 ただ失敗した場合には目も当てられないので、フィルムの現像だけは写真店に依頼することを続けた。プリントをしくじっても、印画紙が無駄になるだけで、まあどうということはない。

(写真といっても、もちろんデジカメなんぞのことではない。フィルムカメラだが、カラー写真ですらない。白黒写真のこと。というか白黒写真って、お若い方々は見たことあります?)

 そうやって写真部生活が始まったが、意外なことも起こった。
 どういうわけか、写真部に3年の男子は私ひとりしかいなかったのだ。女子は2人ほどいたと思うが、そんなこんなで私は写真部長にされてしまい、ここに、

『写真のことを何も知らない写真部長』

 が誕生してしまった。
 鉄道趣味の方は、その後も順調にローカル私鉄に興味の主軸を移し、あちこちを訪問して歩いた。
 といっても中学・高校生だからそう遠くへは行けず、だがありがたいことに岡山県まで足を伸ばすだけで4つもローカル私鉄が存在し、しかもそのうちの一社はナローだった。
 そういったローカル私鉄関係の本を読み始めると、色々なことに気が付いてくる。
 例えば国鉄と違って、私鉄ではいちいち電気機関車を新設計などはせず、メーカー側であらかじめ設計しておいたものを新造・購入する例が多いと分かってくる。
 だから幼稚園時代に神戸電鉄で見たロコとそっくりなロコが、大井川鉄道や近鉄、小田急にまでいると知っても不思議には思わなくなる。
 この頃にはすでに廃線になっていたが、小学生時代の夏休みの帰省時、神戸と広島を往復するときに笠岡で見かけた派手な色の小さな列車が、

「井笠鉄道だったのか…」

 と了解できたりもする。
 車両にも歴史があり、例えば別府鉄道のキハ3は、

昭和3年に佐久鉄道が製造したが、佐久鉄道自体が国に買収されたので国鉄車両となり、その後、三岐鉄道に譲渡されて走っていたが、三岐鉄道が電化されたので別府鉄道へやって来た。

 というように、『車両には歴史あり』を感じずにはいられない。かっこよく言えば、『鉄道趣味とは過去との遭遇』であるのです。
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